(記事全文) 1996/3月頃 写真週刊誌「Focus」より
李博士といってもドクターではない。
イ・パクサは、謎の韓国大物歌手なのだ。 |
ソウル・金浦空港の入国審査官は、記者のパスポートに押されたジャーナリストビザを見て、
早口の英語で尋ねた。
「一体なんの取材なんです?」「韓国の歌手の取材です」「どんな歌手ですか?」と、 審査官はさらに突っ込んで聞いてくる。三・一独立運動七十七周年記念日を前にして、
竹島(韓国名は独島)問題で揺れる時期だった。日本からの記者に対して神経質になっている のだろう。「ポンチャックの歌い手です」「ポンチャックですって?」
その瞬間、張り詰めていた空気は弛緩し、審査官は曖昧な哂いを見せたのである。
ポンチャックとは、あらゆる分野の歌をメドレー形式で繋げた非常に単調な二拍子の ダンス音楽のこと。このたびキング・オブ・ポンチャックの異名をとる李博士(41)が、
日本でもCDデビュー。三月二十一日にシングル、「李博士のポンチャック大百科」を 出し、四月二十三日に電気グルーヴの前座として武道館でライブを開くという。
ポンチャックの帝王は、「動物園では、ライオンや虎よりも猿の方が人気があるでしょう。 猿は見てて面白いから。自分も猿と同じように面白い存在だと思う。日本でも受け入れられる
のではないか」と言いつつ、「自分の音楽は、キーボードひとつでやるのだが、武道館という 大きな会場で大丈夫だろうか?」と不安げに記者に尋ねた。
一体、いつもはどんなところで 歌っているのか、と彼のライブに行ってみた。場所はソウル郊外の焼き肉屋。地元のお婆さん の七十四歳の誕生会だそうで、そこで記者が見たのは、二百人ほどの客が酔いしれ、二時間
ぶっ通しで踊り続ける姿だった。果して、その大陸的なパワーが島国でも受け入れられるか どうか定かではないが、「音楽とは、人の感情を動かす力です。私は音楽を用いて、両国の
文化交流の架け橋にとなりたいんです」
そう言って、彼は「独島死守」の横断幕と露店のブラジャーがたなびくソウルの南大門 市場で、決めポーズ(!)を取ってくれたのであった。
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