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Secret Garden

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ココロに残る一言その1&その2


いい年した娘が書いた文とは思えん(自爆)
結局私もいや離れできていないんでしょうね。





2002年 4月 10日    ココロに残る一言 その1


「そうまでして頑張って、その会社にいる意味ってあるの?」

前の会社に就職して3~4年経っていたでしょうか。
私の円脱も治っては新しい所に出来ての繰り返しで、かつらも3つ目を作った後だったと思います。
久しぶりに行ったショットバーでバイト時代に一緒だった人に再会しました。

彼は私よりも2歳ぐらい年下だったと思うのですが、バイト先では先輩に当たる人で、その時は自動車の技術系の仕事をしていました。

少し飲んだ後、車で送ってくれると言うので二人で店を出ました。
その前に会った時に就職したこと、体調が思わしくないこと、円形脱毛症になったことを話していたので、その後どう?と聞かれました。
体調はすっかりよくなっていましたが、円脱は治るどころか繰り返していてとうとうかつらーになってしまったことを話しました。
彼のことは本当に友達と思っていて取り繕う必要がなかったのか、次は何時会うかわからないからいいやと思ったのか、ただ酔っていて深く考えていなかったのか、今から考えると不思議に思えるほど本当に素直に話していました。

私の愚痴をゆっくり聞いてくれた後、彼が言った言葉が「そうまでして頑張って、その会社にいる意味ってあるの?」でした。
確かに、好きで入ったわけじゃない、特別何かを得られるわけでもなく、お給料が良いわけでもない。
辞める勇気が無いから辞めない会社でした。
そりゃぁ行くからには一生懸命やってましたが、心のどこかで「こんなはずじゃなかったのに」と思っていいたのも事実です。
23~4の一番楽しい頃に、かつらを着けて、人目を気にしながら行くほどの会社ではないかもしれない。
私は返す言葉が見つかりませんでした。

彼から見たら、私は愚かに見えたかもしれません。
技術を身につけ、ここがダメならこっちと自分で考え職場を選べる。
彼はそういう人でした。
時代はバブルの頃で、仕事には困らない時代でした。

結局、彼とはそれきり会うこともなく、その会社にはそれから数年勤めて辞めました。
10年やったし、30になったし、もういいよね。
そんな言い訳にもならない言い訳で会社を辞めました。
10年間一緒に働いてきた上司は「そうか、それも良いかもな」と、引きとめもせず私の退職は受理されました。
そんなものです、会社なんて。
(それとも頑張っていると思っているのは自分だけで、引き止めるに値しない人間だったのか・・・(核爆))

入社して早々に出来た円脱はもちろん治らず、退職時には全身脱毛の状態でした。
まぁ、それも退職の理由ではあったのですが。

退職してさらに数年が経ち、今は別の会社でそこそこ楽しくやってます。
円脱も相変わらずです。
あの10年は私にとって何だったのだろうと思ったりもします。
無駄な10年とは思わないけれど、私の人生に大きな影を落としていることには間違いありません。

あの頃を振り返るとき、セットになって蘇るのが、あの一言なのです。




2002年 4月 14日    ココロに残る一言 その2


「人に良く見せようとか、しなくて良いんじゃない?ありのままでいれば」

視線恐怖症になって、自律訓練法(自己催眠)の教室に行っていたことは前にも書きましたが、そこの女性カウンセラーに始めて会った時の言葉です。
治療のためにどんな小さなことでも良いから、思っていることを話してください、と言われて。

仕事でトイレに行くタイミングがつかめず、膀胱炎になってしまったこと。
それを気に病んでいるうちに円形脱毛症になってしまったこと。
お風呂を覗かれてからいつも人の視線が気になること。
家族のこと・・・
話しているうちに、自分の中で何が問題になっているのかだんだん見えてきました。

家はごく普通の、ありきたりの家族です。
会社員の父、共働きの母、妹、そして私。
表面的には何の問題も有りません。
有るとしたら私の円脱と、母のパチンコ好きぐらいでしょうか。

母は夢中になると誰にも止められないところがあって、当時は昼3時半に会社が終わると家には寄らずにパチンコ屋に直行、夜11時に閉店してから帰ってくるという生活でした。
もう皆大人なんだから、それが母の言い訳であり、私たちへの足枷になっていました。
私も妹も働いていましたから、家のことをするにも限界があります。
家族はバラバラで。
父もマズイとは思っていても「奴に何を言っても無駄だから」と野放し状態。

この状態について、人には言えませんでした。
母も私も、父の勤める会社の系列会社に勤めていて(3人とも別会社)私の上司・同僚は皆母のことを知っていました。
皆が知る我が家の虚像と、家族しか知らない実像。
そう言うと大袈裟かも知れませんが、そのギャップを何とか埋めようと私は一生懸命でした。
いつの間にか疲れていたと思うんです。
ただ、他に気を取られていたから気づかなかっただけで。

私はどちらかと言うとマザコンです。
いい大人になっても、やっぱり普通のお母さんでいて欲しかった。
円脱になった頃は心配して薬を付けてくれたりしていたのに、面倒くさかったのか、まだらな頭に触るのがイヤになったのか、その頃には「自分でしてよ」と言われるようになったのもショックでした。

カウンセラーさんに話しているうちにそんな事がはっきり見えてきたのです。

そして言われました。
「人に良く見せようとか、しなくて良いんじゃない?ありのままでいれば」

「家のオカンなんかパチンコ三昧で家事なんかしやしない」
初めて皆にそのことを話したとき、胸の痞えが取れました。
もちろん母は嫌がりましたけど。
イヤならやめりゃいいじゃん。
母にもはっきり言いました。

あれから何年も経ちますが、母は相変わらずです。
それでも人に愚痴ったりすることで、私もストレス発散しています(^_^;)
私自身、最悪の精神状態から脱出して、少しだけ余裕を持って家族のことを見られるようになったというのも有るかもしれませんが。

自分で自分の首を絞める、そのことに気づかされた一言でした。



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