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カテゴリ:中部地方(北陸・東山・東海)
長らく沼津の喫茶レポートにお付き合い頂いて恐縮でございました。ぼくも正直なところ、沼津の事ばかり書き続けるのがしんどくなっていたのでホッとしているところです。最終日の一番の目当ては、喫茶店よりも久し振りに御殿場線に乗車することそのものにあります。だから仮にここぞという喫茶がなくとも悲観しないつもりでしたが、沼津の二日目が想定以上の不首尾に終始したこともあり、多少なりとも欲が出てくるというもの。そうは言っても事前の御殿場線沿線の喫茶調べでは、芳しい釣果はありません。実際昔はちょくちょく乗車したこともあるこの路線の沿線に町らしい町はそうなかったはずです。やはり御殿場駅に集中すべきのようです。
それでも列車に揺られ車窓をぼんやりと懐かしさはあまりなくむしろ新鮮な車窓風景を目を見開いて眺めていると、多少の町並みも視界を横切り中には現役の喫茶も混じっていたりするからネットの情報はどうしても限界があると言わざるを得ない。というか検索スキルに問題があるだけかも。見掛けたのに下車しないのは怠慢ではないかとの誹りは、見掛けたのが駅からの発車時であったことを理由とさせていただきたい。そうこうするうちに御殿場駅に到着。通勤利用であるなら飽きたとか言ってはいられませんが、旅の道中の同じ風景というのは虚しいものです。東海道線の眺めはまさにそれです。たまには御殿場線で迂回の大回りというのも悪くないなと思うのですが、それこそ贅沢というもの。金で時間を買うという言い方で、新幹線や飛行機を躊躇いなく利用する人がいかに多い事か。ぼくはそれを否定する者では消してない。例えば東京と大阪間はショートカットするに越したことはないと思うけれど、その先はなるべくなら在来線を利用したいのです。元手が慢性的に不足してるからそんな悩みは皆無なのですが。 御殿場駅に到着したことはすでに書いていたようです。御殿場線のような回り道をしてしまいました。ここまで来ると富士山はまさに眼前に広がっており、それはぼくに神々しさ以上に禍々しさを感じさせるのです。そんな富士山を迂回するように線路沿いを沼津方面に引き返します。やがて現れるのが「ラピス」です。が残念ながらお休みみたいです。実際に三保の松原から眺めたり写真や浮世絵などに描かれる富士山には明朗で爽快な明るさを感じ取ることが多いのですが、実物を近距離から眺めるとその巨大さは不気味で威圧的ですらあります。そんな場所にある喫茶店には怪しいくらいが似つかわしい気もします。富士急行沿線の驚愕の喫茶店を例に引くまでもないことです。山小屋風の喫茶店では凶暴な富士の姿に太刀打ちできぬでしょう。ところがここは端正な洋館風のクラシックで対峙しています。なるほど、さすがに富士山など比肩ならぬ高峰連なる欧州風はしっくりきます。いずれにせよ残念ながらお休みでした。 次に向かうは「ベル」です。富士山まで一直線に伸びる登山道の端緒に当たる通りらしいのです。こちらに真正面から真っ向に向っていたら相当な威圧感を感じたはずですが、ぼくの場合は裏通りから回り込んできたのでそのプレッシャーはありませんでした。ここがもう入る前から間違い店であることのオーラを放ちまくっています。そしてその予感は的中しました。禍々しくも美しい富士山の麓の喫茶として最も相応しいのはこのような静謐かつ端正なお店なのではないか。チェアを覆う美しき純白のカバーが富士を世界でも稀有な眺めにすることに寄与する積雪のような趣があります。これこそが王道の喫茶店に違いないとまたもや無責任かつ確信めいたことを口にするのですが、山麓の喫茶に限らずレストランや居酒屋までが馬鹿の一つ覚えのようにバンガロー風の建物が多くなるのはどんなものかと思うのです。自然との調和ということであるならば必ずしも木材のみを用いる義務が課せられているはずもないのにその硬直した発想の貧困こそが各地に放置されて本当に野に還っていくのをひたすらに耐え忍ぶ美観とは無縁の景色を出没せしめているのではないか。ウッディな内装は自然と一体になれるかのような印象をもたらしますがそれはきっと誤解です。日の差し込む日中はまだしも辺りが暗くなると途端に精彩を欠くように思われます。木材が暗くなってもなお美しくいられるには長い歳月を乗り越えてこそ与えられる褒美でしかないのではないか。なんてことは少しも思わずとも、この喫茶でぼくは避暑地の持て余した退屈で優雅な昼下がりを過ごしている気分を味わえたのでした。 静謐な喫茶の次には、この上なく賑やかな語り手のいる「ジョイフル」にお邪魔しました。場末のスナックのような物で溢れ返った暗い空間、消して嫌いではありません。お手洗いを拝借すると軒続きの奥は雑貨や衣料を扱うお店のようです。奥のボックス席ではお孫さんなのだろうか、冬休みの宿題でもやっているのか、懸命にペンを走らせていました。あまり飛び込みのお客さんが来ないのか、この季節に御殿場に来ているぼくにママさんは大いに語りかけること。淹れたて熱々のコーヒーを啜る間もない。話によるとここが開店してすでに44年だったかな、ちょっとうろ覚えですがそんなもんだったはず、近くこの呑み屋の多い一体は再開発で大きな道路が突っ切ることになり、うちが店を続けられるのももうわずかなのよねえと別段寂し気な風もなく語られますが、その真意は諦念にあるような気がしました。そうこうするうちに列車の時刻になりました。この夜はちょっとした集まりがあるので乗り遅れるわけにはいきません。ママさんは親切なことに飲み残しそうになったコーヒーを紙カップに移してくれて、列車内には濃厚で香ばしい香りが漂うのです。 今の店のそばには「丸安」という雰囲気のいい居酒屋のある呑み屋街が疎らながらも広がっていて、この町には改めて夜の時間帯にも来てみたいと思いました。夜になり闇夜に抱かれた富士の麓の町はいかなる姿を秘めているのか好機と期待で今しも出掛けたくなるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/05/28 08:30:05 AM
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