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カテゴリ:東京都その他
それはまあ京王線には縁が薄いことは認めるけれど、それにしたってもう少しは分かっているという自負を抱いていたのです。とりあえずは思い出せる限りは全駅に下車しているはずだし、それなら駅周辺もそれなりに散策もしているはずです。なのに都心からもそう遠くなくそこそこ便のいい仙川駅前に酒場好きなら見逃しようのない実に魅力的な酒場を見過ごしていたなんてこれはもう迂闊などという軟弱な単語で反省するのでは足りぬのである。と書いた頃から早一週間。ようやくしばらくは書く事を忘れたフリしても良い程度のストックもできていたのに漫然と日々を過ごしてしまった。そんな具合の出鱈目さだからどうもいつも同じことを述べている気がします。それはまあ置いておくとして、仙川にはまたじっくりと時間を割いて行ってみたいと少し思ったのは事実です。 細長い商店街の脇道にさらなる狭い通りがあって、そのシチュエーションだけで嬉しくなるのでした。そんな路地にはスナックが立ち並ぶけれどドンづまりもスナックらしき店舗が寄り集まっているのです。スナック街はその風情は好きだけれど、今では滅多に立ち寄る事もありません。こあした通りは風情を楽しむに留まる事が多いけれど、しかしここには立呑みの「番兵」という焼鳥の店があって、これが閑静な住宅街の印象が強い仙川の酒場かとその意外さに虚を突かれるのであります。店鋪からハミ出た客たちは小径に置かれて止まり木に群がって呑んでいます。ここは夏は暑かろうし冬は凍える寒さに違いない。そゆな過酷な環境でもここはこの夜のように盛況なのだろうか。ぼくはそれでも多くの客が身を寄せ合い呑んでいるのだろう、そんなイメージが脳裏に浮かぶのです。開放感のある店はまあ良いのだけれど、ここの場合は店舗そのものの魅力というよりは、店の表情を形作るのはむしろ人々の表情にこそ起因するように思えます。今ひとつ冴えない顔をしているのは、観察する側の部外者として振る舞うぼく位のもので、他の人達は、店の要素の一部として振る舞う愉悦を満喫しているようです。孤独に慣れ親しみ過ぎたぼくにはその一歩が踏み出せぬのです。さて、そんな孤独な男でもここの焼鳥のパフォーマンスの高さは認知できるのです。品書が奥にあるだけで良くは見えなかったけれど、かなりの品数があって、時折運ばれて行く肴を眺めるだけでそれが旨いに違いない事が見て取れるのです。家族三人の連携にはまだ難があるようだけれど、若い主人が実によく指揮を振るっています。近隣のスナックの客たちがホステスさんだかママさんと同伴するのも納得。しかも店への出入りの妨げにもなりかねぬ通路の使用にも目をつぶるどころかむしろ積極的にそこを指定席として使用する位にファンになるのも合点がいったのです。 さて、目当ては酒場放浪記に出たらしい「きくや」です。放映を見ていたらもっと早くに訪れていたに違いありません。なにせその店構えの素敵さは、見るや心をガッシと鷲掴みにするのです。しかもそれが駅舎を出て目と鼻の先にあるのだから、以前訪れた際に目を付けなかった己の観察眼の能力の低さに絶望師もするのですが、ともかく訪れる事ができたのだから良しとしよう。さて、この雰囲気だと客も多いだろうといそいそと足を向けますが目の前で女性が独りで店に入っていきます。うわ、これで満席なんじゃなかろうかという不安と焦りにその綺麗な女性に恨み言を吐きたくもなるのですが、戸を開けるとまだ席には余裕があるようでした。長テーブルの追込みスタイルというのもいいなあ。奥には座敷席もあるようです。ぼくはちょっと窮屈そうなカウンター席に通されます。案内してくれるのは学生バイトの可愛い娘さん、ここはそんなコたちが多くて目にも楽しいなどと助平心も芽生えます。先に入った女性は上司らしきおっさんと相席していますが、そんな上司への嫉妬心を打ち消してくれます。ここまでは良かった。しかしカウンター席で隣にいた二人が非常に質が悪かった。各々が常連ぶって、それはまあ良いとしても振る舞いがともかく横柄なのだ。とにかく品性が最低なのだ。そこはいくら常連といっても店の方は注意すべきではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/10/17 08:30:12 AM
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