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カテゴリ:豊島区
よくよく目を凝らしてみればもしかすると見逃していた酒場が視界に浮上するなんていう事態が訪れるやも知れぬけれど、この町は基本的には食い物屋が町の飲食店の主流であるらしい。そういう意味では学生時代に過ごすには大変に便利な町かもしれない。いやまあぼくのような貧乏学生だと外食などはとんでもない贅沢な事だったから、仮にここで過ごしていたからとて数多い店を利用できたかどうかというと疑問であるけれど、一般にはきっと学生さんたちの懐に優しい町と言っても良さそうです。というのは町に若者を呼び込みたい地元自治体や商店会の気持ちであろうけれど、実際に昼下がりの飲食店に立ち寄ってみると、そこにいるのは少なくとも若者と呼ぶのは憚られる年代のひたすら高齢者寄りの中高年層なのです。そして彼らがこぞって独りぼっちであることが、えも言われぬ哀愁を漂わすのでした。孤独なオヤジの食事というものにかつてはぼくもそんな風なネガティブな印象を抱いていたのです。しかし、いつしかぼくも傍目にはそんな彼らと似たり寄ったりの世代になっているのであって、そうなると彼らの表情からは微塵も汲み取れなかった充実が秘められていたことを知るに至るのでありました。 最初に訪れたのは「キッチン 長崎」です。ひと段落ついてテレビを眺めながら休憩されているので、誠に澄まぬという表情で店に入ります。ここに決めるまであちこち覗いたお店にはランチタイムを外しながらもゆるゆると過ごすお客さんたちの姿が見られましたが、ここはキレイに捌けていました。今更ながら日曜日の昼過ぎにここを訪れたのは、年少の友人が近くに住んでいるので、しばらくゆっくり話をする間もなかったので少し様子を見ておこうと思ったからです。地元の彼はどうと決まった店に入りがちで、折角こんなめし屋の充実した町に住んでいるのにそれはいかにも残念なことだぞとかねてから語ってもいたのです。なので今回は彼の知らぬ店を訪ねるというのが条件で、駅前で彼と落ち合うとブラブラと町を散策しここに決めたのです。さて、多種な洋食メニューからぼくが選んだのはチキンソテーの単品です。可能なら次は中華飯店にしたいので、めし物とビールは避けることにしました。いつも注文してから後悔するのですがこの時の注文もすぐにしまったなあと思うのは卑しい根性だからだろうか。常に迷わず後悔のない人がいるけれど、それって決断力があるみたいで勇ましくもありますが、ぼくは優柔不断と罵られても構わぬ、常に迷う人でありたいのでした。いつもならたかが食い物のことでとやかく語るのは見苦しいなんてスカしてみてはいるけれど、ホントの気持ちとしては手当たり次第に注文して不味い品は残して、旨いものだけを味見程度に摘むというのが理想なのであります。焼鳥だってひと串まではいらない。ひと欠片だけをあれこれ摘むというので十分なのです。そんなだからレストランで理想的なメニューがあるとすればそれはお子様ランチという帰結に至るのでありますが、今では見掛けることが少なくなったばかりでなく、大人も頼めるという条件を満たしてくれるお店はもう滅多にはありません。まあこうした個人営業のお店でいちいちお子様ランチを用意するのは並大抵なことではなかろうし、それを酒の肴にしようなんていうおっさんに提供するのは確かに気分の良いことではないだろうなあ。チキンソテーも旨いけど、それなら家で拵えるのが面倒なハンバーグとかにすればいいものを。と結局最後までくよくよと咀嚼しては、缶のウーロンハイで流し込むのでした。 すぐそばに「中華料理 香蘭」があります。ここは寂れ具合では東長崎でも指折りのお店かと思うのです。そして外観に劣らぬ完璧にスキのない店内も堪らなく好きにならずにはおられぬのです。餃子とそうねえカレーライスでも貰ってみよかな。このカレーライスが大当たり。中華飯店のカレーライスではありますが、時折遭遇する中華ならではの独特の風味というのが希薄で、大衆食堂のカレーライスに近しい味わいであります。しかも何より素敵なのはそのルックスです。もうこれだけを眺め食べるためだけでも訪れる価値があるというものです。遅れて出された餃子にはあまり期待せずカレーライスを平らげてからようやく手を付けたのですが、これまた絶品なのです。餃子のことはこれまでもせいぜい5軒食べて1軒良ければ良しとする程度にしか好まないのですが、時々こうした大当たりがあるから注文を絶やせぬのです。世の大抵の餃子は臭すぎる割に風味が希薄過ぎる。似たような材料を使ってるはずなのにきっちりと差が出てしまうという料理人泣かせの料理なのです。単純に高級な食材を使えばいいってものでもなさそうなのがより一層の困難を料理人に強いているようです。でも実際に、明らかに旨い餃子を知らずに、自分の作る餃子は見た目もいいし、材料もケチっていないから旨いに違いないという料理人の勝手な思い込みで作られた餃子ばかりが流通しているような気がする。ここのは違う。老齢の主人の生み出す味は長年の試行錯誤の賜物であるに違いないのです。簡単だし材料費も安いという考えで餃子を出す店は一度ここの餃子を食べてから出直してもらいたいと思うのであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/10/20 08:30:10 AM
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