御徒町に来るとどうしたものか気分が沈み込むのを感じてしまうのです。どうしてだかはよく分からないけれど、振り返ってみるとぼくの永くもない人生ではあるし、波乱万丈などと表現するにはいかにも地味な生き方をしてきたけれど、それにしてもその人生の岐路に立つ機会を何度かは経験しているのでありまして、その記憶と御徒町は引き離す事ができない様なのです。それがどのような岐路であったかについては詳らかにする気はないのでご安心あれ。大体において人生の重大事などというものは、本人がそう思えば思うだけ凡庸なものなのです。そうした岐路について懐かしい思い出だと御徒町の酒場で語れるようになったら、今感じている御徒町でのわずかな胸の疼きを伴う呑みにも変化が生じるだろうと思うのです。
さて、そんな感傷などにふけっておられぬもっとずっとのっぴきならない状況にわれわれは追い込まれていたのです。われわれのもう一人がまたもT氏であった事はこの際何ら関係がない。ともあれ、写真の外観と店内との手ブレというか投げやり感の差異を見ただけで凡そ事態の深刻さがお伝えできていると思うのです。なんにせよ、なんとか事態の収拾を図った後にわれわれの他に客がいないことを知るのですが、これは事態を収めるに当たって都合がよかったことはまずは間違いなかったことなのです。しかし事が済んでしまうと余りに閑散とした状況は必ずしも客として気持ちのよいものではないのです。「餃子酒場 山海楼 東上野店」にお邪魔したわけですが、御徒町店もあるからそれなりの人気店であってしかるべきと思うのですが、まだそれほど遅い時間でもないのにこの状況はどう捉えるべきなのか。といったことを思いつつもすっきり晴れやかな気分なのですぐに気を取り直して、呑み気も回復したのでした。餃子酒場という位なのでとりあえずは餃子を注文します。でも正直この餃子のことはあまり覚えていません。それよりも棒棒鶏の肉量のすごさにちょっとびっくりさせられたことをよく覚えています。けしてそんなに旨いわけではないのだけれど、これだけの量があれば2人が各々ホッピー中3つでやるのに不足はないのでありました。店の方たちにはやる気の欠片すら感じられぬのではありますが、たっぷりの棒棒鶏という取り柄さえあればそれにも目を瞑っていいと思うのです。