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夜が待ち遠しい

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杉並区

2019/11/04
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カテゴリ:杉並区
 さて、タイトルこそ「梵寿綱建築の見学散歩」と書いたけれど、そちらはすでに喫茶篇にて終えているので、お決まりの呟きもあまり洩らしようがないのです。それでも少し位は前書めいたものがないとどうも報告としては締まりのないものになりそうなので、無理矢理話題を捻くり出そうと思ったのですが、どうもうまくいかぬようです。なのでさっさと本題に入ってしまいます。



 方南町でも何度か呑んだ事がありまして、でもいかんせん町の規模も小さいから再び訪れようという気にはなかなかなりませんでした。実は以前すっごい気になる大衆食堂を目撃していて、我慢し切れずにネットで調べたらやはりとんでもなく好みな感じはするのです。でもネットでチェックしてしまうと何となくもう満足というかお腹いっぱいになってしまい、実際に訪れる機会を逸するということがあるようです。でも今回の散歩ルートを検討中にたまたま目撃した一軒の焼鳥店らしきお店を見てしまった時点でここと先の大衆食堂をルートに組み入れることに迷いなどなかったのです。そのお店というのが「とり幸」でありまして、実際に目にした時もやはりいいなあ、夕方に引き返してこようと思ったものです。しかし、しかしなのです。たまたまこのタイミングで店の女将さん―店構えが連想させるよりはずっとお若い感じ―が出てこられて、店内がバッチリ丸見えとなってしまったのであります。だからどうだというのか。ウ~ン、まあいい具合にゴチャ付いて悪くないんだけどね、ちょっと外観に比すると淡白だったかなあ。なんて書きつつ今にしてやはり行っておくべきだったと後悔するのです。











 で、お目当てはここ「中華・洋食 宝楽」です。環七通りに面しているからここを使って通勤する方なら間違いなく見ているはずです。イイ具合の三角地に店舗を埋め込んでいるから必然的に狭小な敷地を有効利用すべく店舗は半地下、中二階と微妙に縦に拡張することになります。これが何故だかいいんですね。どこがどういいか、別に見晴らしがいいとか俯瞰して店の方たちの挙動が確認できるなんてことはないのです。とにかく高い位置からの視線で世を眺めるのはどうしようもなく楽しいようです。さて、昼時を迎えるにはまだ早い頃合いだったので幸いでしたが、とにかくここの調理のペースはのんびりしています。ぼくらは平日をこうしてだらしなく過ごせているからいいけれど、勤めのある方にはソワソワ物なんじゃないかというくらいゆっくりと運ばれてきた肴たちは特別旨いとかそんなことはないけれど、とにかくゆっくり呑みたくなるそゆな肴だったのです。まだまだ暑い日が続くようですが、ここは見掛けによらず快適なので、またここに涼みに来たいと思いました。






Last updated  2019/11/04 08:30:08 AM
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2019/09/28
カテゴリ:杉並区
 高円寺は若い頃に住んでみたかった町のひとつであり、これから先も機会さえあれば住んでみたいと思える町のひとつであります。それだけ愛着がある位だからもうかなり歩きこんでいると思われるかもしれないが、実際に地元在住の方にも負けぬよという程度には散策しているという自負があります。実は例外はあるとしても基本的に地元のことを地元の方は案外知らないということが多いようです。さすがに店をやっておられる方たちは、商店街の組合だったり、慰安旅行なんかで顔見知りだったりするようですが、知ってはいても互いの店を行き来するような関係に至るのはあまり聞かぬ話です。町そのものにひとつしか商店街がなくしかも両手で余る程度の規模の商店街であれば、ただの顔見知りに留まらず互いの店を利用しあう互助的な関係性もありうるのでしょうが、都内ではなかなかそうもいかぬのであります。下町風の濃密な付き合いや近頃は若者たちがものづくりなんてキーワードを通じて交流しあうなんてこともありそうですが、それはそれでうざったい気がしなくもないと思っていたりするのですが。ところで、この日は高円寺あづま通り商店街という耳慣れぬ通りを歩いてみました。高円寺は放射状に商店街が散らばっていて、どうしても興味の誘いに身を任せて歩いてしまうので、いつだって似通った通りを歩くことになり、散々歩いているように思っていても実際には見落としも多いのかもしれません。











だって、もしここを歩いていたとしたら、「大衆食堂 福助(福助食堂)」なんてぼく好みのお店を見逃すことなどなかっただろうと思うからです。ここ1、2年を振り返っただけでも佐渡や佐久で「福助食堂」を目撃しましたが、福助さんの愛すべき姿を借用しての他力本願なやり口ではあるけれど、とかく著作権にやかましい諸々のキャラクター達のようなズル賢さが感じられぬのが良いのです。日本にはいくらだって著作権フリーないかした仲間たちがいるのです。そんな気のいい福助を見たらもう溜まらず立ち寄りたくなるものです。さて、高円寺の福助はというと、ぼくの見知った彼らとは一線を画しておられるようです。とにかく雑然とした店内には、嫌悪を感じる人がいても仕方のないところではありますが、ここはそんな些事には目を瞑るくらいの度量が必要なのです。ぼくにしたって福助屋号を掲げるならば質実剛健な飾り気のない内装にただ一体、そっと福助さんが佇むというのが正しいあり方だとは思うけれども、こえしたごちゃごちゃしてるのも大衆食堂の典型なのです。さて、酒はビールにせよチューハイにせよ市販の缶なのね、いやいや、贅沢は言うまいというかむしろ量は多いものだと涼しい顔で受け取り、グラスに注ごうではないか。肴もごちゃごちゃで賑やかでいいじゃないか。いろんなものが皿の上で混じり合い思いがけぬ味覚を産み出すなんて奇跡に立ち会うことが出来るかもしれぬのです。マルシンハンバーグなんて、子供の時以来だけれど、つみれみたいなもので、案外いけるじゃないか。これは味変の工夫の甲斐がありそうです。なんて、ダメな大人の家族には見せられぬ姿を晒してもオヤジは楽しげに見過ごしてくれるそんなヤサシイ空間なのだね、ここは。






Last updated  2019/09/28 08:30:06 AM
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2019/09/18
カテゴリ:杉並区
 都内でも高円寺を初めて訪れたのはかなり遅れてのことだったような気がします。ねじめ正一のベストセラー小説なども流行ったりして、かねてからその地名は認知していたし、駅を中心に放射状に商店街が張り巡らされている事も聞いてはいたのです。でも都内に通い、暮らし出した頃のぼくの行動範囲は映画が中心だったのです。そして今考えてみたら不思議な事に思えますが、当時の高円寺は映画とは無縁な町だったように思われるのです。だから高円寺は中央線を利用するにせよ自転車で荻窪なんかに行く場合であっても、単に通過するだけの町でじっくり町並みを眺めたのは、酒場ないしは喫茶巡りを始めてからのことだと思うから案外付き合いの薄い町なのです。しかもこの町は、意外と古い喫茶店も少ないし、酒場らしい酒場よりは定食屋や中華飯店だったりと、どこまでも若者仕様の町に思えて今でも充分に全容を知り尽くしているとは言い難いのです。







 この日の目的も高円寺ではなかったのですが、その予定が思ったより早く済んだので高円寺に移動して昼呑みしようということになりました。高円寺であれば夕方前であっても呑める酒場もあるだろう、仮になかったとしても定食屋や中華飯店があるだろうと思い出向いたのですが、いざ探そうと思うとなかなかこれといったお店に行き着かぬのです。もちろん、選り好みさえしなければやっている店もあるし、呑んでる客の姿も目に止まりはしますが、気の向かぬ店で呑むのはどうにも気に入らぬのです。でも横丁風の町並みであれば話は別です。いつもの発言で退屈ですが、横丁というのは傍から眺めるのは愉快な割に実際にそこに身を置くと暑さ寒さもそうだし、衛生面やら快適性などでとかく問題が多いものです。でも一度位は立ち寄りたくなるもので、高円寺駅高架下のストリートの地下にあるチカヨッテ横丁なる初めて目にした横丁風の小さな地下飲食店街には気持ちを持っていかれました。「四代目 鎌倉酒店 高円寺店」は昼から営業しているようで、その点が気に入ってお邪魔することにしたのです。オープンではないけれど、オープンな開かれた感じは悪くはない。何より涼しく快適なのが案外悪くないと思えるのは年のせいだろうなあ。すでに4名が呑んでいます。カップル2組でいずでもシルバー世代というのが羨ましいやら悔しいやら。この世代の人たちってホント恵まれてるなあ。煮込みで一杯です。この煮込みがぼくの好みでよかったなあ。こちらも定番のポテサラもなかなか良いではないか。お手頃で快適で、そりゃまあ近隣のご隠居さんたちも気に入って通うわけだ。でも気候がよくなったら、こういうなんちゃって横丁でなく本物の横町に行ってもらいたいものです。









 さて、近所の元マーケットである大一市場にやって来ました。こんな駅近にマーケット跡がほぼ原型をとどめているのが嬉しいなあ。嬉しい割にこれまでここで呑んでいなかったのは、若い人が始めたようなお店が多くてどうも気乗りしなかったのです。何度も通り抜けているうちにもうここで呑んだような気分になって、あえて本当にここで呑む必要はないのかなと。でもこの夜は、ちょっと懐かし系の雰囲気をとどめる「田舎料理 おかめ」と出会えたから、じゃあちょっと寄ってみるかとなったわけです。カウンター席だけの店内は店内とはいえ開放されていて、でもここだけは他店の今風な感じとは一線を画するちょっと渋い感じです。清酒をあっためて貰うことにしました。お通しは小肌かクリームシチューから選んでくれとのこと。ぼくは後者をお願いしたのですが、これが実に具沢山でこれだけあれば2、3合はいけてしまいそうです。でもまあそういうわけにもいかぬから適当に品書きから安い品を選びます。そうこうするうちにも近所のおっちゃんたちが集いだします。こちらは先の店とは異なり現役の勤め人の方が仕事明けに立ち寄ってるみたいです。やはり夕暮れを迎えた酒場には、疲れたおっちゃんの姿が似合うなあ。






Last updated  2019/09/18 08:30:07 AM
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2018/03/30
カテゴリ:杉並区
荻窪にフグやスッポンを売り物にしながらも、そこらの安さを売りにした酒場など尻尾を巻いて逃げるしかなかろうという恐るべき酒場の存在を知ったのは、人生初のインフルエンザが聞き及ぶような辛さとは程遠い適度の倦怠と睡魔を記憶させたのみで、基本的には持て余した退屈をネットでも眺めて過ごすという事になったのであります。ならば他人への感染など気にせず遊び呆けてみてはどうかといあ意見は、一応は否定しておくことにします。ぼくにとってはこのインフルエンザにおける症状は何でもなかったかもしれなけれど、万人にとってそうとは限らぬと思ってみるとやはりここは大人しく療養の日々を受け入れるべきであるという極めて良識的な判断を持ちあわせていたということです。考えてみるとこれまでよほど酷い症状に苦しめられた記憶があります。それがインフルエンザでなかったとはとても断言できぬのであります。そしてそんな時でもせっせと職場に出向いたぼくが、世間に向けて大量のウイルスを放出していなかったなどとは言えるはずもないのです。何てさも改心した大人を演じてみせますが、その真実は単に上司の脅しに屈したのだとは口が避けても言えぬのであります。そんなことでもなければ好き好んで医者に掛かろうなんてことは微塵も思わぬのです。ともあれそんな就職以来初めて経験する正月休みと地続きの長期休みの暇つぶしの最中にこの酒場と出逢えたのだから人には時として長い休暇も必要ということであるようです。

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 さて、荻窪駅を下車し、環八をとにかくひたすらに南下します。単調で余り目ぼしい飲食店もないから―余りと言うからにはそれなりに気になる店もあるのですが―、余計な誘惑に惑わされることもないはずです。「ふぐ・すっぽん料理 もみぢ」は、人気の繁盛店―店内にも写真がたくさん貼られていますが、これまで少なからずのマスコミ取材を受けているようです―かつ狭小店舗でありますから開店直後に入らねばその後の入店は運の良し悪しに左右される事になります。ああそうだ、ぼくはこの日、特にこの店と狙い定めて訪れたわけじゃなく、荻窪駅に着いた時点で初めてここに来ることを思い付いたのであり、しかも時間はすでに7時を回っていたはずです。なので、先の話でいうと運が良かったようです。といってもすぐに席に着けたかというとそんなこともく、8席ほどのカウンター席は満席だし、奥の小上りは6名位は入れそうだけれど、すでに4人のおぢさんたちが宴席の真っ最中というところです。でもその端に詰めさせて頂いて、先に呑み始めてたらと言ってもらえたので遠慮なく始めさせて貰うことにしました―ちなみにこの夜は職場の同僚と一緒―。フグ屋だから初めから骨酒―ヒレ酒ではなかったと思います―から始めて、冷え切った身体を暖めます。昔は苦手だったけど年とともに好きになります。しばらくしてもう帰るからねという台詞を少なくとも5回は聞かされた高齢カップルがようやく本当に切り上げることになり、カウンター席に移ります。さて、じゃあフグ刺しを頂くことにしようか。アワビもいいねえ。スッポンはうどんにしておこうか。スッポンの生き血の入った日本酒も貰っておくかな。なんて事を書くと他所のグルメブログをご覧になっているんじゃないかと戸惑わせてしまうかもしれぬけれど、そこはそれ、これこそがこちらの有名店たる由縁であります。こちらにあってはフグやスッポンを中心にほとんどの料理が居酒屋価格、いや下手な立ち呑み屋でも敵わぬ低価格で出してもらえるのです。うまくすればセンベロも全く無理ではないのです。しかもそれぞれのボリュームが凄いので、普段独り呑みを好むぼくでも同伴者がいて良かったと思うのです。こういう店の主人は気難しくて口喧しい印象がありますが、こちらの主人はほんわかとして物腰が柔らかくしかもユーモラスでお話好きというから堪らない。うねうねと動くスッポンを持たせてくれて写真撮ったらと至って気さくです。若いカップル―ゆうに2人前はある激安のふぐ雑炊を持て余しているといる―もいますが、ほとんどが近所のご高齢の方が多いみたいです。ツケなんかしてる客もいたなあ。確かに老後に近所にこんな店があったら通い詰めるかも。






Last updated  2018/03/30 08:30:06 AM
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2018/02/19
カテゴリ:杉並区
都内であれば、これでも随分といろんな町を歩いたつもりでいたけれど、それが不遜な思い違いである事を知らされるという見苦しい記憶についてはこれまでもことあるごとに書いてきました。ぼくには、映画館通いをしたという過去と、ここ十年程でしかなかろうけれど酒場と喫茶巡りを通じて都内各地はかり歩いたという自負があったのです。けれどそれが傲慢に過ぎぬ事は、こうしてブログに記すことによって身に沁みて誤解であったことの認識を深めたものです。もしかするとその勘違い野郎振りを知れただけでもこのブログを続けてきた意味があるのかもしれません。荻窪もまた若い頃にはそれなりに足繁く訪れた町のはずですが、先般酒場放浪記に導かれて環八を歩いてみて、以前までは退屈極まりなしと根拠もなく断じていた己の不徳を悔いていたのです。悔いているだけでは物事は少しも前進せぬのであります。なので、通りすがりに見掛けた食堂に向かうことにしたのであります。

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 そしてやって来たのは、「食堂 ことぶき」でした。環八に面してはいるけれど、駐車場があるというでもないので、利用者は主に地元の住民であると想像されます。でも壁を見ると何枚かの色紙が貼られていて、案外知られた店なのかもしれません。テレビに出たりもするメジャー店すら知らずして東京を知った気になるなんてやはりまだまだ修行が足りていないようです。あれれ、江口寿史のサイン色紙も飾られています。常々思うのですが、漫画家のサインを店の方はどのように入手しているのだろう。漫画家本人が自ら名乗り出てサインを置いていくとは思えぬし、かといって店の方が本人を目にしてそれと認識できるとも考え難い。ともあれ、江口寿史はここでの食事を気に入ったようです。得意とする可愛い女のコのイラストも冴えています。さて、素っ気ない内装の店内は好みのど真ん中で、それでもう充分に満足を覚えるのですが、だからといって、何も食わず呑まずで立ち去るわけにもいかぬのでした。酒は豊富とはいえぬけれど実用には不便せぬ程度には揃っています。肴もそう種類が豊富ということではありませんが、過不足のない程度にはあります。とりわけ目に付くのはブタカラ。容易に想像できる通りの豚の唐揚げです。単品で貰うことにします。これがもう商品名を少しも裏切らぬまさにそれ以外なかろうかというものであるのですが、これが思った以上に酒を進ませるのです。というか、これ一人じゃ多すぎるんじゃないかしら。付け合せの千切りキャベツが3倍あって丁度よいかもしれません。餃子もこれまた肉肉しくて下手な専門店などより余程旨いのです。そうなると他の品も頂いてみたくなるけれどそうは食べられぬ。できる事ならハーフサイズの提供を切望するのでした。無論、その場合には必ずブタカラはオーダー必至です。






Last updated  2018/02/19 08:30:06 AM
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2018/02/01
カテゴリ:杉並区
なかなかすっきりとした標題が思い付かず今後しばらくは試行錯誤で標題もブレブレになることと思いますが、まあとりあえずは後追い記録として現状を報告していきたいななんて思っています。自ら主体的に動くのではなく、番組が促すままに何の考えもないままに唯々諾々と放映されたお店を訪れるのであれば、一時にまとめて済ませてしまえば効率も良いとつい考えてしまいます。実際には、それなりに番組で紹介された酒場に足を運んでいるとそんなに都合の良い機会は少なくなっており、しかも近頃出てくるお店にはどうにも納得できないようなことも多くなっていることもあって、この先さほど登場しなくなるであろうと思うと無い知恵を絞り出すまでもなかろうかと思うに至るのでした。さて、この夜訪れた荻窪は運良く2軒の未訪店があるので、優先的に訪れようと計画していた町ではありますが、実は先達て荻窪に来た時には両店とも入れず仕舞いとなっており、正直なところ今回もまた同じ目に遭うのではなかろうかとどうにも気乗りしなかったのであります。

 まずは、北口の呑み屋街にあるという「ろばた焼 やまかみ」を目指すことにしました。本当なら先に遠くの店に行ってから駅に近付くようにハシゴするのが鉄則ですが、ここら辺の店は間口も狭いし、奥行もさほどなさそう、つまりは狭かろうという訳で混み始める前に早目に入ってしまおうという作戦です。万一入れずとも後回しにしてもう一度トライできるのも織り込み済みなのだ。そんな風に準備万端いそいそと出向いたのだから報われて然るべきなのに一向見つからぬのであります。地番で調べても間違いなさそうだし、これはもしかするともしかするんじゃないかい。已む無くスマホにて地図を見ると裏手には鰻屋がある、その裏、目指す店のあるはずの場所には数軒が看板もなく並び、店内は一掃されてしまったように思われるのだ。これはまたもや時期を逸したようだ。無駄足踏みをして喉も渇いた。そこらで一杯やっておくか。

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 こういう時に立ち呑みは重宝だなあ。見慣れぬ「立呑み 焼きとん 大黒 荻窪北口店」というのがあったので入ってみることにします。いささか窮屈な造りの、まあ今時の立ち呑み店でどうということもない。品書が厚みのある木材にペタリと貼られていて、カウンターの下に常備されていて、それはいいのだけれど狭いスペースでこれを開くのはやはり邪魔っけなのであります。どて煮や串揚を売りにしているようなので、まずはどて煮の盛合せを貰ってみたのです。呑むのは一番手頃なハイボールであります。大根、こんにゃく、牛スジが盛られていて八丁味噌ベースだからここはどうやら名古屋名物がここの特徴らしいのです。しかしまあ、どうなのだろうなあ、ぼくはどちらかというと名古屋贔屓の方だと思っているけれど、こちらの少なくともどて煮には少しも感心しなかったのです。酒にしたって立ち呑みとしてはかなり強気の価格設定だし、このままでは再訪は有り得ないと思うのです。

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 早々に勘定を済ませると、次こそはよそ見せず「やきとり 案山子」に向かうことにしました。ここがまた環八を北上してしばらく歩かされるので、またフラレるのは酷だなあ。などとくよくよしてしまう程度には歩かされるのでありますが、駅から随分と離れているけれどチラホラと良さそうな店があるのですねえ。もしやってなければそちらに立ち寄れば良いだろうとアッサリ機嫌も良くなるのです。しかしこの夜は赤提灯が灯っていました。提灯こそ枯れているけれど、ビル自体はモダンな雰囲気です。案の定、店内もその印象のとおりで打ちっ放しな壁は寒々しくて、余り焼鳥屋という風情は感じられぬのです。まだ他にお客さんはいないようです。カウンター席に奥にはテーブルもありますが、余り使われることはなさそうです。結構な高齢の夫婦が迎えたくれましたが、オヤジさんは人懐こい笑顔を絶やさず折に触れて声を掛けてくれますが、女将は最後まで強張った表情を崩してくれませんでした。品書を眺めてみるとどうやら提灯に書かれているとおりに焼鳥がお勧めらしいので適当に焼いてもらいました。可もなく不可もなく、いやまあ味は悪くないけれどちょっとぬるい気がしたのが残念。むしろやけに味の素と生姜すり下ろしの効いた古漬けが酒の肴向きです。近所の方は近場のここで週末を過ごしたりするのかなあ、そう思うとここで肴の事をとうのこうの語るのは無粋にしか思えなくなります。そして今振り返るとオヤジさんの柔和な表情と女将の頑な沈黙が脳裏に蘇って、不思議と再訪を思ってしまうのでした。






Last updated  2018/02/01 08:30:05 AM
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2018/01/27
カテゴリ:杉並区
浜田山なんて町は、正直よく知らぬ町です。知らぬ町に行くのならその町を散策して、少しでも知るべき努力をやってみてから語るのが心ある振る舞いであると思うし、実際そうしたいと思ってはいるけれど、稀にしか会えぬ知人が一緒だったり、それなのに合流するのが終電まで残された時間がほとんど残されてなどいなかったりすると、とうしても散策の時間はお預けを食わされるのはまあ仕方のないことでありましょう。この夜はその両方が揃っているのだから浜田山を散策する愉しみはまたの機会に譲るしかなさそうです。であれば珍しくもじっくりと紙幅を投じてこれから訪れようとする酒場について言葉を弄すれば良いのでありますが、情けなくもいつもの如くに余り覚えていないのです。それは仕方のない事なので、一言だけ言い訳しておきたいのだけれど、落ち合う時間が遅いという事はその時が来るまでひたすらに時間を潰さねばならぬわけです。時間を潰すのにどうするか、そう酒を呑んで時間をやり過ごしたわけです。ここで察しの良い方であればお気付きになるであろう、ならばその間に浜田山散策をすればいいだけではないか。それは誠に正鵠を得た指摘でありますが、散策より酒をより渇望していたのだからまあどうにも抗いようがなかったというまでのことです。

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「とらさんのみせ」ということは、陽気なこの主人はきっと「とらさん」なのであろうな。とにかくこの御主人、終始ご機嫌がよろしくていらっしゃってそのハイテンション振りに気圧され気味にならざるを得ないのだ。まあ人柄は大変によろしい方なので嫌味はないけれど、旧友と親交を温めるという生易しいシチュエーション向きではなかったかもしれません。さて、酒は各種揃っていたはずだけれど定かなる記憶はありません。肴もまた記憶は曖昧で誠に済まぬのだけれど、どれもこれも一手間二手間と手が込んでいて、品選びが愉しくなるのですが、そこにもいちいちとらさんの解説がもれなく付いてくるので、独りなら飽きず過ごす事が保証されているのであります。ぼくは自分の事をさん付けして名乗るような真似は良しとせぬ考えでありますが、このとらさんの開放的な性格には好感を抱く事ができました。そればかりか、旧交を深めんとした当の友人は、終電の時刻を迎えても独り席を立たず夜っぴいて過ごしたらしいのだから気に入ったどころではなかったらしいのでした。






Last updated  2018/01/27 08:30:04 AM
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2017/10/28
カテゴリ:杉並区
高円寺は、若い頃にはあまり縁がなかったけれど、今更ながらに振り返ってみると、ここで青春時代わ過ごすのも悪くなかったかということ。いや、それはないかもな。青春なんて相対的で、いやそれ以前に青春なんていう机上に乗せる以前の時代錯誤な概念などもはや排除すべきではなかろうか。それまで尊敬の念を抱いていた人物の口からその語が発せられた瞬間に、かねてよりの敬意が霧散するなどという無残な経験を幾度繰り返したものやら。青春という語を口にして許されるのは大林宣彦などの特殊な例外をおいてはほとんど存在しないだろうし、先の大林宣彦にしたってそれを武器にして若い女優を脱がすための手段として用いただけに過ぎぬとすら思えてきます。青春という時代は危ういものだと語る人がいるけれど、ホントに危ういのは青春を万人にとっての共有の時代と信じ込んでそれをさも真実存在するがのごとくに語れてしまう心性にこそあるんじゃないだろうか。ともあれ高円寺は、青春の町なとと称されたりしもするようだし、その所以も理解できない訳でもなく、ぼくのようなオッサンなどは町から排除されるべき存在と見做されるのかもしれぬ。しかしそこは大林宣彦の図々しさ、青春とは年齢という要件の必然などではなく人生を謳歌しようとする者に年齢を問わずもたらされるものなのだという確信を胸に叩き込んで出掛けることにします。

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 そんな青春を好むと好まざるに関わらず生き延びるしかない見掛けは老いたる青春たちの夜の向かう先はどこにあるのだろう。それは新高円寺駅に近い名は失念したけれど高円寺駅の南口から伸びるアーケード商店街をずっと下った辺りにあります。「さかな陣兵衛」というテレビで見ていなければ―実際には見ておらず、食べログで地図を調べただけなのだが―見落としていた、いや目に止まったとしても立ち寄ることはなかったに違いない程度に極ありふれた外観を晒していました。だから目の当たりにした時には、さっと様子を眺めたら早めに切り上げようと思った事を告白しておくべきでしょう。店内に踏み入ると、おやおやカウンター席にズラリと大先輩達が肩寄せ合っているではないですか。ここはどうも高円寺ではない、よその町なのだろう。屋号通りネタケースにはズラリと魚介が陳列されているが、ケチな親父二人はイワシ刺しとなめろうという最低価格の二品を頼むのであります。周りは盛大に贅沢に注文しているのにえらい違いだ。そしてそれは結構な量が盛り付けられていて、その意味では値段に相応と言えそうです。少なくともビールを呑んで焼酎3杯を呑み切ってもまだ余る程度だからその凄さが知れるというものだろう。新鮮らしく味もいいなあ。先程ここは高円寺ではないと書いたけれど、そんな事はない、いやここのお客さんたちは見てくれこそ青春とは遥かに隔たっているけれど、少なくとも食欲に関しては今現在青春時代真っ只中の連中より勝ってるのであります。つまりは心に青春を引きずる健啖なオヤジが通うべき店なのです。






Last updated  2017/10/28 08:30:06 AM
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2017/10/18
カテゴリ:杉並区
学生時代に中央線沿線で過ごせたらきっと楽しかっただろうなあ。なんて事を今更のように思ってみたりするけれど、冷静に暮らすとなるとなかなか大変なんじゃないか。何と言っても家賃が掛かり過ぎて、貧乏学生だったにも関わらずバイトは日雇いばかりで、定期のバイトも余り長続きしませんでした。就職してからというもの、転職もせずに一箇所で良くも続けてこられたものだと自分がこれ程に辛抱強いとは思ってもみませんでした。なんて個人的な話など置いておくことにして、確かに中央線沿線は楽しいし、利便性の高さも折り紙つきではありますが、振り返ってみるとそんな楽しい町巡りを身近に残しておいて良かったなあと思うのです。だって、ぼくのような活動規範にあっては間違いなく虱潰しにあらゆる路地を踏破して満足していたかもしれません。実際には町の見え方などその時々によって違ってしまうことは幾度となく経験しているし、ここでも告白しているのだから。

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 中央線沿線というとサブカルチャーへの町ぐるみの理解という若者にとって理想的な環境であるかの印象があるのですが、それは映画マニア―マニアという単語には常に違和感がつきまといますが、今だけはあえて己を落としてみたい気分なのです―にとっては必ずしも当てはまらなかったと思うのです。だから中央線を若い頃には思いのほか使っていない。かと言ってこの夜向かった「三晴食堂」などの大衆食堂に足繁く通えていたかはというと、それはなかったに違いない。酒は呑んでも外で呑むことは、ハレの日の贅沢に過ぎなかったし、食事も夜の一食のみという生活を長年続けた位だから、まず足を運ぶ事はあり得なかったはずなのです。だから遅まきながら中央線沿線を愉しむのはぼくにとっては時期を得た事なのです。さて、目指す食堂は早くも暖簾を仕舞っていました。

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 しかし、慌てることなど少しもないのがこの町の懐の広さであります。すぐそばに「キッチン フジ」がありました。なかなかに渋い良い店です。ビールと600円の定食を注文します。先に出されたサラダとお新香を摘みながらビールを呑むなんてなんて贅沢なんだ。若い頃からこんな愉悦を知ってしまってはロクなもんになれんななんて事を悔し紛れに思ったりする。煮出した番茶のような茶褐色の店内はやけに落ち着きます。壁面のカウンター席では若者がナポリタンを食べています。ハムエッグに白味魚のフライ、生姜焼きの添えられた定食のボリュームに非すると旨そうだけど明らかに量の不足したそれでを頼めてしまうなんて、もったいと考えないのだろうか。そんな若物の座る席の前には内照の店名入りパネルがカッコいいなあ。しかしなんにしろこんな渋くてお気軽な店が当たり前にあるこの町は、健康的な青春時代を送りそこねた中年坊やにとっては、遅れてきたもう一つの青春時代にも思えて悪くないのです。

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 では勢いに乗ってもう一軒、「丸長食堂」にも寄り道しましょう。住宅街に足を踏み入れるかどうかの路地のさらに路地裏にあって、非常に見つけ難い。これがまた楽しいのであるが、先を急ぎます。店内は雑然としていて消してきれいとは言えません。思いがけずに若い店主が単品の野菜炒めを作ります。ハイサワーを呑みながらボンヤリする時間は至福の時間です。たっぷりの野菜炒めは家庭の味そのもので、多めに作って残したのに麺を放り込んで、奥さんらしき人が自分と娘のために焼そばにしています。この家庭の食卓みたいなのも悪くないあ。店主は不機嫌そうに見えたけれど、実際には大変なお喋り好きで母親の後を継いで十数年とのこと。高円寺の町の住みやすさを語り、実に楽しそう。あくせく働かずとも何とかなると仰ったのですが、まさしかそれを実践されているようで羨ましく思うのでした。






Last updated  2017/10/18 08:30:11 AM
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2017/08/18
カテゴリ:杉並区
標題をご覧になって、ああ例の食堂に行ったのだなとすぐにどこに行ったのか見抜かれた方も多いはずです。お察しになられた方はこの先をお読みになったところで、時間の浪費にしかならぬかもしれぬので、最後まで読み通すなんてご無理はけしてなされぬようご注意いただきたい。いつものことではありますが、これから記される文章の大部分は情報量の非常に少ないものとなるはずです。ちなみになぜこれ程までに卑下してみせるのか。それはこのお店が「孤独のグルメ」や「酒場放浪記」の寄り道スポットとして登場したりしているような、まあ極めてメジャーな観光地と化しているわけなのです。何をもって有名スポットとして知られるかに至ったか。一つには昼呑みができるということ、次いでは釣り堀を併設する公園内の緑に囲まれて呑めるという辺りが物珍しいと判断されたのだと思われます。

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 さて、西永福駅から5分ほど歩くと大宮八幡宮に辿り着きます。その奥には緑豊かな和田堀公園が広がっています。吉祥寺の井の頭公園を始め、都心に近いのにこれ程に自然―この自然という言葉にいつも違和感を覚えます、だって自然という単語は本来は人為の及んでいないものを指し示す語であるとすれば、公園という人為の成果物のような環境を自然と呼ぶのには抵抗があります―に恵まれた井の頭線という路線に人気が集まるのも納得のできるところです。公園には善福寺川が流れていて、その流れに沿って歩いていくとやがて、「つり堀・食堂 武蔵野園」という景観と調和しているとは言い難い赤を基調とした施設が見えてきます。なんだか思い浮かべていたのとは、違ってる気がするなあ。というか大きな公園や有名観光施設などには、ごく当たり前のように休憩処が存在するものですが、そことここはどこが違っているというのだろうか。釣り堀に面したビニール張りのテラス席は確かにまあ余所ではあまり目にしない施設と言えなくもなさそうであります。しかし、ぼくには昔の茶屋のような風情ある休憩所の方に情緒を感じる者にとっては、思ったほどには興趣を覚えることはできませんでした。ビールに焼そば、フランクフルトという屋台風の注文になったのは、テラス席という解放的なムードが働いたとすればそれなりの効果がこの施設にあるということなのでしょうか。ただ他の観光地の休憩所と大きく異なるのが、客たちのほとんどが昼酒を堪能していること。隠居してまだ間もないという感じのオヤジ3名などはすでに相当の酒量を摂取したらしく見受けられます。しかし、それもまたマスコミなどの情報に基づいているのだとしたら、わざとらしい気がして素直に楽しめないのでした。でもまあ番台風の料金支払所なんかは非常に魅力的な造りで、一度は来ておくに文句はなかったということを記しておきます。






Last updated  2017/08/18 08:30:10 AM
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