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夜が待ち遠しい

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千代田区

2019/12/18
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カテゴリ:千代田区
 駅の改札を出ると出ないでは、同じ駅に出向くとしても気分には雲泥の差が生じるものです。その理由の一つとして誰しもが思い至るのが運賃が不要であるということです。これはきっとやり方次第ではキセル扱いとされる行為だろうから、運賃を未払いのままなのはルール違反となるかも知れぬので注意が必要です。ぼくがもし仮に鉄道オタクの特にこういうタイプのマニアを何オタクと呼ぶのかそもそもそんなマニアなどおらぬのか知らぬけれど、とにかく駅構内の飲食店を巡るようなタイプの人がいたとすれば、そうした最短距離の切符で遊び尽くそうと思うに至っても不思議はないけれど、生憎、現代の駅構内飲食店にぼくの琴線に触れるような店は余りなさそうです。この自信の無さは無知がもたらすもので、案外調べてみたら面白そうな店もあるかもしれないななんて思ってみたりもするのです。少なくともそこで酒が呑めるようなら訪問店の候補に加えるのも悪くないかもと思い始めているのです。





 さて、神田駅構内にもそうした呑ませる店があったのですね。池袋駅にもパブがあったりと多忙を極めるサラリーマンなんかにとっては案外利便性の高さで人気なのかもしれぬから、今ではほうぼうにこうした店があるかもしれぬとあっさりと駅ナカ酒場リサーチをしてみる決心を固めたのでありますが、取り急ぎ語るべきは神田駅の「ほぉーバル」であります。駅の構内にバルのようなさくっと呑んでだらだらと長居しないで済むようなタイプのお店が多いのは当然といえば当然のことです。でもひと昔前のアイルランドのパブを舞台にした映画がありましたが、そこでは金はないけど、有り余る時間を持て余した老人たちが一杯のギネスをのらりくらりと舐めるように呑んでいる姿がユーモラスに描かれていましたが、ここ神田駅構内のパブも眺めていると長居するお客が多かったように思います。それが分かるのはわれわれも結局閉店の時間まで居座ってしまったからでありまして、メガジョッキと380円の大盛ポテトフライで粘ったのでした。こんな好立地で手頃な価格帯で商売できるのは、この営業母体がどうやらジェイアールの関連会社だからなのだろうなあ。一日を通して一定の集客を見込めることもあり、終日の営業というのも結局、値段の引き下げに一役買っているように思われますそれはそれでありがたいのですが、そのせいで近隣の古い酒場が煽りを受けるようなことになっては元も子もないなあ。






Last updated  2019/12/18 08:30:07 AM
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2019/12/10
カテゴリ:千代田区
 神田という町との向き合い方に最近変化が生じていることは、前回書きましたが―ってそれ程明確には記していなかったかも―、それとは別にサラリーマンに対する共感の持ちよう次第でその印象も結構変化する気がします。酔ってヘラへろになったサラリーマンの時に愉快でもあり、場合によっては不快でもある彼らに対する気分の変化が神田をその夜の呑みの現場とするかせぬかのバロメーターとして機能するようです。つまりは今のぼくは彼らに幾らか寄り添った気持ちで生活しているということなのだと思うのです。ところで、企業戦士だったり落ちこぼれだったり大体いずれかに属するであろう彼らでありますが、その出自は見た目では容易には判別できぬけれど、概して言えるのは神田辺りを徘徊するほとんどの人達が田舎者なのだという事です。無論、東京生まれの東京育ちだっているだろうけれど、東京者の案外多くが実家の近所しか知らぬ都内不案内者であるように思われるし、大体が東京の奥の方は地方の町より余程辺鄙だったりするものです。だからかどうか知らないけれど、この町にはご当地酒場をよく見かける気がするのです。神田に限らず、東京、有楽町、新橋など地元の住民というのが極端に少ないであろう町には田舎者が田舎らしさを求めるのが必然なのかもしれません。









 かくいうぼくも田舎者の端くれなのでありますが、不思議と自分とゆかりのある地方のご当地酒場に行った記憶があまりないのであります。ご当地酒場の対象となる都道府県というんは案外限定されるものなのかもしれません。ぼくの過ごしたことのある土地でそうした対象となるのは秋田位じゃないだろうか。三重県や和歌山県などでも過ごしたけれどまずこの辺の郷土料理を食べさせる店は見掛けぬのです。やはりご当地酒場は雪国もしくは南国が似合うようであります。同じ東北地方でも宮城県をあまり見ることがないのも雪国ではないからかもしれません。この夜お邪魔した「このじょ」は、山形の郷土料理を提供してくれるお店でした。雑居ビルの奥にあるという立地の妙に惹かれてお邪魔することにしたけれど、入ってみればすっきりと清潔などうということのない店内です。カウンターに置かれた赤べこを見て、山形で赤べこなのという呟きを耳ざとく女将に聞かれて、お客さんにいただいたことをお伺いしました。山形料理といってもそれほど種類はないのですが、背広姿のお客さんたちは山形ご出身の方ばかりでした。東京生活の長い方が多いようでご当地言葉を耳にすることもなく、ちょっと残念なご当地呑みとなりました。






Last updated  2019/12/10 08:30:06 AM
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2019/12/05
カテゴリ:千代田区
 近頃、少し神田が好きになった気がします。もう結構な以前の事になると思うけれど、週に一度行くか行かぬかという適度なペースで呑みに通っていた時期がありました。いつしか神田の騒々しくて仲間内の呑み会といったグループ呑み連中の多さに、職場と地続きのような息苦しさと憐れさを感じるようになって以来、めっきり神田に立ち寄る回数は減ったのだけれど、まあぼくの性癖でもありますが、思い出したら麻疹のように繰り返し出向くのでした。ただし、同じ神田でも出向く方向性は徐々に変化してきたように思います。最初は呑み屋が密集したメインストリート、次にガード下、今ではオフィス街に紛れるように忘れ去られたような酒場を好むようになりました。この夜出向いたのもそんなわびしいオフィスビルの地下にありました。











 古い雑居ビルの地下に「ふるさとの味 居酒や 車屋 神田南口店」は、あります。地下街にもその規模の程度次第で興味の持ちように変化が生じるものです。もっとも関心があるのはやはり、新橋駅前ビルのようなちょっとした迷宮のような地下街に魅力を感じるのは間違いないけれど、余りに規模が大きいと必然的に人も多く集まるわけで、見掛け上の愉快さに比して現場は窮屈なことが多かったりするものです。ぼくが近ごろ好きなのはせいぜい5、6軒程度の小規模な地下飲食街です。店子が抜けて歯抜けになっていたりするのも寂寥感があっていいものです。こちらのような地下にテナント1軒だけというのは少しばかり物足りなさを感じさせますが、ここのように古いビルの地下だと味わいは格別なものとなります。店内に入ると奥が全面鏡張りになっており、店内を広く見せる演出なのだろうとは分かるのですが、店内が若干ごちゃついているせいかさほど上首尾な効果がもたらされているとは言えないかもしれません。それはともかくとして、この居酒屋、チェーン店なのかどうかは知らぬけれど、とても懐かしい気分に浸らせてくれます。肴の定番なところにも惹かれます。定番が揃っていることを喜ぶのもどうかと思うけれど、余り迷わずに済むところが有難いのです。そして、こちらで取り分けお勧めなのがハムカツであります。たっぷりサラダにゴツイカツが4枚も付いているので、一人だと当然持て余すこと必至です。しかも値段は400円だったかな。ここは明らかに職場の仲間などで連れあってくるようなお店です。とても独りでは食べきれません。そういやカウンター席は荷物置きと化していますね。近頃、職場の人と呑むことが少なくなったせいなのが、どこか回顧的な気分になった所以かもしれません。






Last updated  2019/12/05 08:30:06 AM
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2019/11/29
カテゴリ:千代田区
 神田の町は、路地の裏に入り込めばまだまだ掘り出し物が潜んでいることを確信しています。確信はしているけれど、近頃駅を中心に大きく変貌を遂げつつある神田駅を見るにつけ、あまりの速度にそれを見届ける気分にもなれず、このところめっきり寄り付かなくなった町のひとつです。町だってほとんど生き物のように変化し続ける宿命なのだから、発展といった方向で変わることは本来であれば喜ばしい事態であるはずなのであります。駅前が駐車場やマンション、下手をすると更地にされてしまうようなむごたらしい事態に比するまでもなく、発展的な変化はそれを受容する側の心構えひとつで大いに祝福しうる出来事に違いないのであります。その変化の過程を楽しむという受容の仕方もあるはずなのですが、どうもぼくにはそれに対する適性が決定的に欠如しているようです。







 お邪魔したのは、見るからに風格があり構えの立派さに怖じけをなさしめる「尾張家」であります。普段なら見向きもしなかった―というか実際ここが放映されるまでこの居酒屋が視界に入り込むことはなかった―、そういう類のお店です。大抵の場合、番組を見てから現場に出向くという事は少ないのですが、今回はたまたま暇だったのか番組を見て、安くはなさそうだけれど案外リラックス出来そうで、悪くないじゃないかという事で、放映されてすぐの金曜というリスク―視聴者が大挙して押し寄せるというリスクですね―も省みず、ヒョコヒョコと出向いたのであります。現地についてもその敷居の高さは明らかですが、何、勝手は知っているから恐るるには至らぬのです。店内に果敢に足を踏み入れるとコの字のカウンター席はほぼ埋まっているけれど、うまい具合に2席空いています。2席というのはT氏を伴っていたからですが、これで予約が入ってますなんてことにならねば良いのだがという杞憂もすんなりと通過しました。お隣りは老女お二人と、世代を超えて好まれているのは安心感を助長してくれます。席に着いて早速ビールを注文。その間に肴を見繕おうという寸法ですが、ここはおでん屋だからそれを中心に頼めばいいから気も楽です。そのおでんが思った以上に大振りで値段は予習済みだからまあこれならいいかと思えるコストパフォーマンスだななんてT氏とひそひそ感想を述べ合います。その後も次々とお客さんが訪れて,これはテレビ効果ではなくもともとが繁盛店なのだろうなあなんて思うのでした。こういう居酒屋に普通の素振りで呑みに行けるようなそんな大人に早くなりたいものです。






Last updated  2019/11/29 08:30:06 AM
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2019/09/19
カテゴリ:千代田区
 かつて数年間をお茶の水で過ごしたことがあります。当時のぼくは諸々の事情からいつも決まりきったコースを代わる代わるで吞み歩かざるを得なかったのであります。当時も飽きっぽい性格は変わらなかったので、ホントに嫌気がさしていたりもするのだけれど、今でも当時と変わらずふと気が向くと足を向けることがあります。かつてからの店の方の顔ぶれが変わらぬのもうれしいところ。この夜はそんな定番の呑み屋をハシゴすることにしたのでした。





 と書いたけれど、ハシゴするつもりはもともとはなくて、この前夜に「大衆酒場 徳兵衛」にお邪魔した際に忘れ物をしてしまい取りに行くことにしたのでした。いつもは馴染みのある半地下の店舗にお邪魔するのですが、生憎の満席で中2階のほうに席の空きがあったのでそちらで呑んだのした。こちらを訪れるのは何年ぶりになるだろうか、というかそもそも片手に余る程度しか入ったことがないかもしれません。上のフロアは、店の主人がいて昼間に煮込みの下ごしらえで大量のもつを茹で溢して油の浮きまくったお湯を側溝に廃棄している姿をよく目にしたものです。ほとんど顔を合わせたことがなかったのですが、忘れ物をしたことを告げると気のいい笑顔を浮かべてくれるので、そのつもりはなかったけれど、つい立ち寄ってしまうのでした。ぼくの通った頃は大概が閑散としていたものですが、今ではこうした古酒場を求める客が押し寄せて大変な混雑となっています。嬉しいことではありますが、自分のお茶の水の居場所を奪われたようで少し複雑な気持ちでもあります。





 仕事が遅くなった夜などには、お茶の水を通る多くの路線からもアクセスのいいお茶の水サンクレールをよく利用したものです。特に頻繁に立ち寄ったのが、そば屋が本来の業態である「げんない」でした。そうはいっても夜にお邪魔してちゃんとそばを食べている客は見たことがありません。そばは見なかったけれど、北海道でよく食べられるというラーメンサラダはほとんど毎回のように食べていた、いや食べさせられていたことをよく覚えています。その「げんない」ですが、知らぬうちに「そば酒房 笹陣 お茶の水店」と店名を変えたようです。その割に内装はカウンター席がなくなったり、食品ショーケースが小さくなったりといくらかの変更はありそうですが、テーブルや椅子、おばちゃまたちはそのままに何のための改称かよくわからぬままに引き継がれているようです。しかし、ラーメンサラダに準じてよく食べた、わらじコロッケは品書きには見受けられませんでした。ということで、間違い探しのような微妙な変化を探りながら呑むと話題に事欠かぬのでありました。






Last updated  2019/09/19 08:30:07 AM
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2019/04/11
カテゴリ:千代田区
 市ヶ谷っていう町は、きっと住むには良いんだろうなあ。一歩通りを裏手に入るだけで閑静で人通りも疎らな落ち着いた暮らしを得られそうです。しかも最近はそういう新しい住民たちをターゲットにしたスーパーマーケットなんかも案外充実してきているようです。かつては都心は交通の便は良いけれど、生活するには不便も多そうだななんて思っていましたが、今だったらさほど不便を感じずとも生活できそうに思えます。だったら住めばいいじゃないかということになるかといえば当然にそうはいかなのです。敢えて書くまでもないのですが、とてもじゃないけれどここらの住宅価格は庶民に手が届くはずもないのであります。住宅事情はおハイソ仕様だけれど、食料品などの物価に関してはそれなりに庶民的という矛盾は、朝晩で町を利用する人たちの差異と考えるとそう不思議ではないのかもしれない。だけれども、飲食店も案外お手軽価格が主流なのだ。地元民より勤め人に利用されることが多いであろう居酒屋なんかはひとまず置いておくこととして、イタリアンやら中華料理店、インド料理店なども押しなべてお手頃価格なお店が多いようです。おハイソな町である割に食に関しては案外質素な印象があります。まあ、銀座や赤坂なども近いから地元にぶらりと食事しに行くという機会自体が少ないだけなのかもしれません。













 さて、ビストロにもお手頃価格帯のお店があることは、随分以前から知ってはいました。しかし、どうも夜の市ヶ谷というのがゾッとしないのです。どうしてゾッとしないかはご想像にお任せすることにして、とにかく市ヶ谷をどうしようもなく嫌悪する自分を知っているので、なかなかそのビストロにも足を向ける気にならなかったのです。どうして今になってその気になったのか、それを説明するには例のごとく紙幅が足りぬので割愛させて頂くのです。四ツ谷「パサパ」系列である「ラベイユ(Restaurant L'Abeille)」です。この系列のお店というのはどこもいつだってすごい繁盛していて、それも敬遠したくなる所以なのですが、小奇麗だけれど味もそっけもないこのお店は寂しい位に空いていました。空いてるというか他に常連さんがカウンター席にいるのと、奥のテーブルにフランス人らしき女性を伴うカップルがいただけです。混んでると鬱陶しいとか言うのに空いてるとそれはそれで侘しいとは身勝手な事であります。さて、フランクな感じのフロアー担当のお姉さんに早速オーダーします。いつもはくよくよと悩むところですが、この夜は決断が速かった。ワインも赤の一番安いのを躊躇なく注文。すぐにワインとバゲットにリエットのアミューズが届けられます。この系列の定番ですね。大したもんじゃないけど、これがあるとないとで格段に楽しさに差が出ます。一皿目のオードブルはエスカルゴときのこのクリーム煮、たまに無性にエスカルゴ食べたくなる時があるんですね。エスカルゴのプニプニと各種きのこの食感のハーモニーが愉快だと言ってみたりする。次のメインは牛ほほ肉の赤ワイン煮、はじめての店ではなるべく大定番をいってみる。自宅でも作れぬことはないけれど、えらく時間と労力を要するため家事労働の対価に見合っているとは言えぬのであります。こうした料理は大人数の分量を一挙にドカッと拵えることが本来であれば求められるものです。というわけで自分で調理すると、やはりどこかしらで手を抜いてしまいがちなところが微塵もなくやっぱりプロの料理なのであります。ぼくにはすこしばかりゼラチン質が残り過ぎに思えたんですけど、これはシェフごとにそれぞれ拘りがあるようで、ここはこういうものだと思っていただくべきでしょう。デザートも3種盛りが手頃でいいですねえ。とすっかり満足し切った様子ですが、実は食後にひどく胃がもたれました。単に己の胃腸の分解能力の低下に理由を求めることも可能でしょうし、大体において重いソースの料理を並べているから仕方ないと言われたら項垂れるしかないのです。しかし、どうもそれだけではないのです。今振り返って思うと、一皿の味わいがひと匙目から最後の一口まで味に広がりとか変化が余りなく思われるのです。だからどうしても食べていて飽きてきてしまうということになるようです。これはちょっとばかり勿体ないと思うのだけれど、これは客の嗜好とすり合わせた末に至ったものなのだとすれば悪いのはぼくの味覚ということになりそうです。ここの客がどうやら多くが近隣住民だとすれば市ヶ谷の人たちは案外濃厚な料理を好むようです。だとすると市ヶ谷のビストロは、ぼくには少しばかりキツイみたいです。






Last updated  2019/04/11 08:30:11 AM
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2019/02/28
カテゴリ:千代田区
いつまでも変わらぬ事は、尊いものと思っています。しかし、いつまでもという様な大仰な物言いをしてみたところで、所詮は己の把握しうる程度な期間のことをいつまでもと称しているのであるのです。それで十分なんじゃないかと思うのです。生まれる前の事など正しく知りようもないし、それが出来立てホヤホヤだとするともとより興味を覚えることもなさそうです。死んだ後の事となるとそれこそ知ったことではないというものです。だからぼくの生きている限りにおいては、叶う事なら町も余りに変わらずいて欲しいし、そこに根付いた酒場もぼくを受け入れてくれると嬉しいと思うのです。その反面で余りにも変わらぬのも退屈です。だからぼくは通う町にはなるべく片手程度のお店を確保しておいて、代わりばんこに通っているのです。マンネリをマンネリと認知してしまうと、かつて抱いていたはずの愛着をいとも容易く引っくり返し思い出すのも嫌ということに変容させかねぬのであります。御茶ノ水の夜もそんなマンネリズムに陥りつつあります。かつては日を置かずに通ったあの酒場にかつての愛情を注げなくなるように感じたのは気のせいではないと思うのです。























 いや、けして「銀座アスター お茶の水賓館」に通い詰めていたんじゃありません。何かしら事あるごとにここで会合が持たれ、好むと好まざるに関わりなく高い会費を払うということもありむしろ愛情とは縁遠いと言ったほうが相応しいかもしれない。というか、ここは些かもプライベートなお店などではなく、むしろオフィシャルに利用するのが適当なお店なのだから、ぼくの関心を引かぬのも無理からぬところなのです。だからこういう時には、早いうちにオフィシャルな振る舞いは済ませてしまって、後は徹底して眼前に並べられる普段よりワンランク程高価な料理と呑み放題に邁進するべきなのであります。この日は中華料理のメリットでありデメリットでもある大皿ではなく、個別に取り分けられているのも大変結構です。会費の内訳を知らぬ以上、面倒よりも金銭で厄介事を回避するのが、こうした場合には都合がよろしいのです。いちいち料理名を書き写すつもりもないし、そもそもメニューを後生大事に保存しておくだけのマメさとも無縁だから、結論としていつもより美味しい気がしたと書くことにしようかな。かつてはここの料理に対しては、日本ナイズされた中華料理と批判的な感想ばかり述べていたが、それは相応の金額を支払っていなかったからか、はてさてぼくの味覚があっさりを好むという高齢化の傾向にあるからかは定かではないが、とにかくこれまでに感じたことのない好感を覚えました。おっちゃんやおばちゃんがこのメジャーな高級中華料理店を好む理由が少しだけ分かった気がします。まだプライベートで来たのは一度きりだけれど、いつかまたプライベート利用する時があるのだろうか。









 以前から「銀座アスター」で呑んだ後は、きまって「大衆酒場 徳兵衛」を訪れたものでした。この夜もいつもの流れに沿って迷うまでもなくここを目指したのでした。客たちの顔触れは一新されていて、当然かもしれぬけれど見知った顔などないのでありました。いや、半地下のフロアと決め込んでいるのでここにも自然と足が向かうのでありますが、見知った店の兄さんの姿は変わらず健在でした。店は大層賑わっていて、以前はたまには入れぬことがあっても大概は閑散としていた記憶があるけれど、この夜は盛況だったので、兄さんに混んでるねえと声を掛けるといやいやこんなもんでしょ、昔だってそうだったよとごく稀に姿を見せるようになった者と毎夜務める者とは印象がこうも違うのだなあ。この夜は当然だけれど少しも食欲がなかったのでひたすらにトリハイを呑みました。ここの強いトリハイ―に限らぬけれど―は旨いんだか不味いんだかなんとも言えぬけれど、とにかく手っ取り早く酔えることは間違いないのです。しかし、やはり年齢のせいなのか酔いが回るよりも先に胃のむかつきが到来したのです。ここの酒はぼくにはもう潮時なのかもしれぬ。かといってこの先どこへ行けばいいというのだ。やはり御茶ノ水ではこれからも同じ行動を繰り返すのしかないのかもしれません。






Last updated  2019/02/28 08:30:10 AM
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2018/12/26
カテゴリ:千代田区
 どうしてまた九段下で呑もうと思い立ったのか。東京のど真ん中、九段下などにどうして気を許せる酒場があろうものか、と本当のところは気持ちは飯田橋方面に向かっているのでした。しかし、歩いてみると要所要所に良さそうな雰囲気の飲食店が佇んでいるのです。なんだよ、こんなにいい店があるならもっと早くから来ていたのに。こういう先入観に基づき取りこぼしているお店があるんだろうなあ。と、結局いつもの何ら生産性も創造性にも欠ける結論に至るのでありました。結局、横着する者は幸運からも見放されるということであります。











 そんな気になるお店の中から一軒、「お食事の店 まさみ」をセレクトしました。格式こそいかほどのものか知らぬけれど、巨大であることは間違いのないホテルグランドパレスとホテルメトロポリタンエドモントに挟まれるというそんな強烈な立地によもや古色蒼然たる定食屋が居座り続けられることがまずは驚愕です。しかしこういう都心の町のエアポケットのような店は近隣のサラリーマンたちの格好のたまり場となることも少なくないので、感慨もそこそこに暖簾をくぐることにしました。幸いかなお客さんは独りもおりませんでした。が、こういう場合困るのがカウンター席に腰を落ち着けるべきか、あえてテーブル席にしておくかであります。カウンター席は常連の指定席となっていることも予想されるし、テーブル席は近隣の背広族のために空けておくべきという気もする。特に指示もないので、選択したのはカウンター席。特に文句も言われずホッとします。こんなに気を遣って、そこは常連の席なのよなんて嫌味を言われたりしたらここまでの好印象がぶち壊しになるところでした。それにしてもホッとするなあ。ビールは缶になるのだな。構わん構わん。酒は生酒なのね、一向に構わんです。コロッケはいかにも手作りで大変結構。マカサラはう~ん、業務用かしら、ちょっと残念だけど、やはり構わんのであります。今のところお客さんは増えそうにもないのだけれど、店のお姉さんたちはじわじわと3名になっておりました。個性もさまざまで最後にお越しになったお姉さんは実によくしゃべるお方で非常に愉快でありました。九段下はまだまだよさそうなお店があるので、再訪必至でありましょう。






Last updated  2018/12/26 08:30:06 AM
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2018/12/21
カテゴリ:千代田区
 市ヶ谷って町はホントに面白くないなあ。って愚痴ばかり言ってみても仕方がないのであるけれど、呑みにはどうも適さぬ町であるのは事実なのであります。しかし市ヶ谷を悪く語るのは本当は筋違いかもしれぬのであります。今、市ヶ谷がつまらんとかなんとかエラソーに門外漢が語ってみせている、その市ヶ谷はJRの駅がある、つまり市ヶ谷駅の界隈それも外堀と皇居に挟まれた一帯を主に指して語っているわけでありますが、住所としては四番町だったり五番町、六番町もしくは九段北とか南だったりするのです。では市ヶ谷とはどこにあるのか。外濠を通る靖国通りの北側のかなり広範なエリアに市谷××といった地名が残っています。防衛相や大日本印刷などの国の施設や大きな企業・工場があるだければなく歴史的な町並みも少なからず残っているのです。地名を眺めるだけでも想像力を掻き立てられるエリアなのだ。柳田國男の旧居跡があるのも市谷加賀町であるし、市谷山伏町にある市谷小学校の裏手には住所こそ違えど泉鏡花も居を構えていたそうであります。そんな歴と文化の薫る市谷を散策してみてはいかがでしょう、などと出来損ないのパンフレットのようなことを書いてみても仕方ないけれど、日中はこの界隈は散策すると案外楽しめるのです。







 しかしそんな小粋な愉しみを味わう余裕のない貧乏性のぼくにはJRの駅の界隈、市ヶ谷の方が似合っているのかもしれぬ。ということで、昼下がりに「そば処 瓢箪」にお邪魔したのであります。ここには昔よく通ったものです。そばの印象は余りなくて専ら気に入って食べていたのがミニカレーなのであります。絶賛するとかそういったものではないのでありますが、しみじみと空腹を満たしてくれる腹っぺらしのぼくには有り難い味方でした。しかし時遅く、すでにご飯切れてしまったようです。しからばカレーそばでもよかろうと頼んでみるとカレーも切れているとのこと。だったら最初からご飯もカレーも切れてると言って欲しいものです。それに追い打ちを掛けるように食券を買い求めてくださいな、それで品切れかどうかわかるからだって。なんて気まずい思いをさせるのだよ、おばちゃん。店のスタイルが変わったんだろうか。なので、かき揚げを浮かべたそばを頂きました。最初からこれと決めていれば間違いなく旨いのだけれど、食べたいものが食べられないとなるとどうも満足は出来かねぬのでありました。





 と、「瓢箪」のことを記録するためのダシとして「おかってや 市ヶ谷店」のことは書くのであります。そう、チェーンの面白味のないお店の感想を述べようとしてもやはりどうやっても面白くなどなりはしないのであります。靖国通りの地下にある小奇麗なお店で、まあ魚介類が豊富で新鮮との触れ込みで一部のオヤジたちが好むタイプのお店なのであります。世間的には立派にオヤジなぼくではありますが、気持ちはまだまだ若いつもりのぼくにはこういうしっぽりと気取った店はどうも性に合わぬのであります。絶対独りではいかないだろうし、大体においてこちらのお店は独り客をあまり想定していないようなのです。まあ刺身などたまにしか食べないぼくには、刺身があるというだけで新鮮な気分になれるのだからたまにはよかろうと思うのです。でもまあやたらと暗いなあという印象しかない、まあそんな大人の居酒屋なのでありました。






Last updated  2018/12/21 08:30:07 AM
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2018/11/29
カテゴリ:千代田区
 たまにはぼくのような者だって気取ってみたくなることがあるのです。そういう時は大概が迷いとか苦悩とかいうネガティブな因子が根底にはあるのですが、時には意味もなく気取ってみたい、そんな余波があるものだし、それさえないというのは壮年男子としては問題があるのではなかろうか。というのが前夜の結論だったらしいが、なんだかよく分からぬ。少なくともバーで呑むという所業はカッコいい事だということらしい。この場合、世間様がどう思おうかという事など委細構わぬのであります。当の本人の思惑が全てなのであります。バーでカッコつけている時に、仮に美女がすり寄ってくるなどという事態が生じようともけしてがっついてはならぬのです。そんな時にはグラスに残るバーボンなりの残りをグイと呑み干し、直ぐ様にバーテンダーにお替りの合図を送るべきなのだ。女になど脇目も振らぬという厳然たる意志を貫くしかないのです。さのストイックな姿勢に熱い眼差しを向けるようなら、お替りもグイと空けて席を立つべきであります。勿論、その際にはさり気なさを装い視線をちらり投げ掛ければ良いのです。気前よく彼女の分の支払いを済ませれば首尾は万端整っている。しかしそう上手くはいかぬのが現実です。だからこそ孤独な自分に酔うというのがバーでの一般的な振る舞いなのであります。ぼくなんぞが男を代表して語るのはどうも不遜な気がするけれど、そうした孤独な男の大部分は助平な事を考えているはずです。居酒屋で独り呑む男で助平な事を思う客は半数に及ばぬと思うが、バーだとその八割は助平な夢想に耽っているはずです。つまり、バーとは男が独り誰も見てなどいないけれどカッコつけながら助平な事を考えるという実に不健全でファンタジックな空間なはずなのです。
 


 なのに、市ヶ谷などという不粋な土地柄で呑むということになるとそうもいかぬのです。靖国通りの退屈な雑居ビルを奥に進むと「BAR 9DAN SLEUTH(バー・クダンスルース)」という思いがけずオーセンティックな割といい感じの空間が広がっていたのです。それにしてもこれは少しばかりキャパシティを取り過ぎではなかろうか。この町は散策に値するほどの愛想もないし、かといって閑静な住みたい町と呼ばれることもない、まあ無機質で退屈な町だからこの辺で勤務する連中は恐らくは夜になると町を移るのだろうと思う。だからここにこんな広い店は贅沢に過ぎるのではないか。まあ、贅沢は嫌いではないが当然他力に本願することになります。などと悠長な事を述べるのは、前段の男としてのバーでの振る舞いに完全に背く所業を犯したからなのであります。そう、仕事関係のおぢさんたちとグループで呑むということになったのです。しかも場所はバーなのだから己の流儀はどこへいってしまったのであろうか。幸いにも写真にそのオヤジたちの姿は認められぬから、何もかも無かったことにしてしまうという方策も取りうるわけですが、根が正直なぼくとしてはそれは避けたい。みっともない所業を為してしまったけれど、それを繕ってみせるのは潔くないのではないか、とここに来てまたもやカッコつけてみせるけれどやはりちっともカッコよくはないのでした。さて、仮にここで独り訪れたとしたらどうだろう、と夢想してみる。きっとカウンターに控えるバーテンダーなど気にも止めず、ひたすらにお二人のキレイな娘さんをチラ見してしまうことだろう。チラ見がバレぬと思うのは当の本人だけなのは知っているけれど、きっとそうしてしまうだろう。カッコつけの道はかくも険しいのであります。






Last updated  2018/11/29 08:30:10 AM
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