3997906 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

夜が待ち遠しい

PR

全45件 (45件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >

中央区

2019/10/03
XML
カテゴリ:中央区
 足を運ぶ毎に表情を変え、それも悪い方、悪い方へと向かいつつあるように思える月島でありますが、先般、久しぶりに来てみてなんだまだ多少なりとは懐かしい風景も残っているじゃないかと思うに至ったのです。だから、少しぼくなりの価値観を重視してガイドブックなどとは縁を切って、路地という路地を隈無く歩いてやろうじゃねえかと鼻息荒く再訪したわけでありますが、最初はガイドブックのいいなりに、次はなんの情報も持たずに臨んでみて、その後は適当な時間を置いておくというのが、良いようです。どんなに好きな町だって飽きてしまうものだし、嫌いな町も日が経ってから訪れると憑き物が落ちたかの様に好ましく感じられることもあるものです。
 
 月島には、酒場を巡りだしてすぐに訪れています。なんと言っても「岸田屋」があるから無視する訳にはいかぬのであります。その後、何度も月島にはやって来ていてその度に一応様子を伺いに行っているのだけれど、その度に絶望的な気分に陥るのです。その理由は言わずもがなでありましょうが、とにかく酒場で呑むのに行列をなすというのがどうにも我慢がならぬのです。これは想像するに「岸田屋」さんもそう思っているに違いないのです、だって呑みたいと思う客に待たせるのってとても不憫な気持ちになるだろうから。だからといって店の方の工夫や努力でどうにかなるものでもなさそうに思えるのです。酒場を巡り始めた方が通おうとする店は大体決まっています。





 そんな名酒場「岸田屋」には、開店前まではまだ30分以上もあるにも関わらず早くも行列ができています。未訪であればぼくも列の後尾に着くところですが、あえて列を延ばすのに貢献しようとは思えません。名酒場で加えて大いに愛着のある酒場だから入りたい気持ちはやまやまですが、並んでまでして酒場の開店を待つだけの根性はもう失われてしまいました。世にいう名店の多くが後継ぎ問題に悩まされていると聞きますが、酒場や喫茶という家族経営の割合が高い業態はその傾向がより鮮明な気がします。名店だっていつまでも安泰ではないから、行けるうちに行っておくべきかもしれないとも思うのです。しかしねえ、お向かいにすでに開いていて、しかも楽しげに始めている人の姿を認めたらそちらに気持ちが奪われるのも無理からぬのです。「味久」は、本来はラーメン屋のようですが、酒もそして少なくない種類の肴もあるからどちらが主となる業態かも判然としません。想像するに長年の営業の過程で求められてこうなったのであろうと思われるのは、ラーメンの品書が一枚の模造紙に記されているのに、他の肴は随時増やしていったように継ぎ足しされているからです。そこには季節物もあったりするのですが、王道のまぐろぶつや揚出し豆腐をつい頼んでしまうのです。カウンターには、お客さんが持ち込んだらしい乾き物やらが無造作に置かれており誰でも口にして構わぬという太っ腹な一面もあります。やがてお客さんも増え始め、交々がお気に入りの席を目指します。幸いにもぼくの着いた席はそんな彼らの邪魔になる場所ではなかったようですが、ぼちぼちここを定席とする方も来られるかもしれぬ。次に移ることにします。向いの名酒場には既に第一陣が入店を終えていましたが、そんな入れ替わりを待つ客が早くも列を作っています。









 前々から気になってはいたけれど「ひょうきん村」という居酒屋らしからぬ緩い店名でどうにも気になって遠ざけてしまっていた古そうな構えの居酒屋を目指しました。先日改めて眺めてみてやはりこれは一度は来ておくべきと思うに至ったのです。さて、店内は奥に深い作りになっていて、船底天井に店主の店に対する思い入れの深さを感じさせるのです。卓の配置は大きなものが2つあるだけで、おっ込式になっているのが楽しいのです。カップルなんかも多くこの夜は独り客もおらぬので、お隣さんと親しく交流なんてことはそうは余りなさそうですが、独りでも案外気兼ねなくやれるのではないかと思えました。こうした年季ある居酒屋だとついお値段が心配になるものですが、こちらは大丈夫。居酒屋の定番メニューが大概は揃っていますが、いずれもお手頃価格で安心して利用できます。と想像以上に居心地がよくてつい長居してしまいます。月島のお気に入りができました。






Last updated  2019/10/03 08:30:06 AM
コメント(0) | コメントを書く


2019/09/25
カテゴリ:中央区
 久し振りに月島に足を向けました。お目当ては近頃散歩のお供として親しませてもらっている梵寿綱という建築家の物件巡りのためです。建築見物というのは楽しいだけでなくて現地までの交通費さえ気にしなければ元手がなくたって楽しめるところで、本当ならお楽しみは老後にとって置きたいところですが、大概のお楽しみというものが気を逸すると後の祭りという事になりかねぬ事はもう散々経験して身に沁みて分かっています。この梵寿綱という建築家の存在は、早稲田や池袋などの何軒かをたまたま知っていたからその成果は知っていたし気にもなっていたけれど、だからといって改めてこれらの物件を設計したのは誰なのかというのをリサーチするだけの意欲はなかったのです。今ではネットでこの日本のガウディなんて評される事もある建築家の情報は多く目にすることができるのです。実に有難いことです。有難いけれど、一方で調べる楽しみを削がれたという口惜しさもなくはないのです。酒場とか喫茶店というのは、調べておくのが効率がいいのは確かですが、ある程度までは歩くことを厭わないのであれば偶然に遭遇するなんてこともなくはない。というか事前の調べから零れ落ちていたお店に鉢合わせしてしまい予定を変更してそちらを優先するなんてことも起こりうるのです。一方で、建築というのは見るからにこの人と判然する場合もありはするけれど、ぶらぶら町を歩いていてこれと認知しうるほどには明瞭な痕跡を呈している訳ではないことが多いのです。梵氏なんてのは、むしろそうしてスティグマを声高に表明しているからまだ分かり易いけれど、建築家として活動を始めた初期の物件にそれを認めることは困難だから、やはり何らかのリサーチは必須のことのようです。







 月島には、「カーサ相生」という物件があります。都内各地の町を歩いていてカーサ××や××レジデンスなんて漆喰風の壁面や青の瓦屋根にバルコニーという古いマンションをしょっちゅう見かけますが、こちらはオレンジ柄の壁面デザインと琉球チックなエントランスに個性は認められるものの、まだグロテスクとかドギツいとすら受け取れかねぬ氏の個性はまだまだ影を潜めているようです。しかしそれでも他で目にするカーサシリーズとは全く異質な個性に鈍い興奮を覚えるのでした。





 ついでに「みなみ屋」でパンを購入。ちょっと散歩した際に古いパン屋を見掛けるとついつい買い求めてしまいます。こちらのことも知っていたはずですが、きっと以前も今回同様にふらりと立ち寄り、買って帰ったんでしょうね。ストリートビューを見ると、かつてはテント看板があったようです。今回買い求めて店名を確認しようと表に出た際にはすでに無くなっていました。だから、別な店と過って認識してしまったのかもしれません。







 さて、本題からは離れてしまいましたが、今回は珍しくもんじゃ焼店にお邪魔しました。もんじゃ通りにあるのはいずこも似たり寄ったりで面白くないから、月島らしい細い路地にある「もんじゃ はざま」に伺うことにしました。外観はちょっといい雰囲気ですが、店内は至ってありふれた様子でした。まあ、もんじゃの店って案外画一的で面白味には欠けるきらいがあるから仕方はないでしょうね。ああ、荒川区のもんじゃは駄菓子屋と一緒だったりして、観光気分で行くならそっちのほうがずっと楽しいかもしれません。ともあれ、久々のもんじゃには少し興奮します。豚肉入りのもんじゃを注文しました。サラリーマン2人組と食いしん坊仲間―というのはもんじゃの焼き初めから粘っこくカメラを向け続けていたからすぐ分かるのだけれど、もんじゃを食べるのは初めてのようです―の2人組がいます。この2組がまあ何とも残念な位に大胆で無知なのでありました。なんと、と驚くこともないのだろうけれど、座席に届けられた材料の盛られたボールをいきなり鉄板にぶちまけてしまうのだから何とも乱暴であります。知らぬなら店の方に聞くが正解と思うのです。タネが鉄板の端に流れ落ち、大量の湯気を上げて店の方が慌ててフォローに駆け付けるのを眺めたのですが、ぼくの顔には少し呆れた表情が浮かんでいたはずです。ぼくはまあそれなりにもんじゃを焼いてきているので上手に仕上げることができました。もんじゃにはやはりビールがよく合うなあ。生理的に受け付けぬ人もいるだろうけれど、このジャンクな感じはやはり悪くない。けれど、けれどですねこの程度の料理とも呼べぬような商品に千円も払うというのはどうかとも思うのですね。やはりこの点でも荒川区のもんじゃに軍配を上げたくなるのでした。






Last updated  2019/09/25 08:30:07 AM
コメント(0) | コメントを書く
2019/08/08
カテゴリ:中央区
 京橋の町は、昔はせっせと通い詰めたものです。なにを目当てに訪れたかは、ご想像におまかせすることにしたい、などと書いてしまうといかにももったいぶっているようで、不愉快に感じられる方も居られるかもしれぬから端的にはフィルムセンター目当てだったと言っておくに留めよう。だから大阪の京橋と異なりここ東京の京橋は酒場を目的にやって来るような町ではないのです。いやまあ、若い頃、映画を終えて知人と遭遇―遭遇と書くといかにも稀な事件のような印象を与えかねぬけれど少しも珍しい事ではなかったのだ―したのが、夜の上映のであればほぼお決まりのようにセンター前で落ち合って呑みに向かったものです。そしてセンターの周辺をしばらく彷徨ってみるものの結局は数軒の決まりきった酒場にしけ込むことになるのでした。今でもその魚介を名物にしたチェーン居酒屋や蕎麦がウリの立呑店などが変わらず営業しているようだけれど、少しの感慨もぼくにもたらさぬのはどうしてだろうか。他の町ではそこが例え気に入らぬ町であってすら、訪れてみると所謂ところの懐かしいという感情がじわじわと酒に混じって脳に沁み入るというのに。それはまあ多分、その当時は酒場という存在が単に人が集まって酒が呑めるという場所に過ぎなかったからであると思うのです。そこでは語りこそが全てであって、その夜に出会った面子が揃って語らえる場所があれば良かったのです。いやそこはまあ喫茶店で良かったかと言われるとそんな事もないのであって、やはり行くのは酒場でなければならないのだ。あれから随分と歳月が過ぎ去ったけれど、それ以上は不要だったらしいのです。少なくとも語り合った映画のことは覚えているけれど、店の雰囲気はほとんど覚えがないのです。













 さて、思い出話はこのくらいにしておいて、京橋で久々に呑むことになったのです。京橋は、お隣りの銀座や日本橋が日々刻々と町の個性を無くしているようです。空は狭くなり日本中何処にでもありそうな店舗に守られるように老舗が埋まっている。かつては平面上の迷路で迷っていれば良かったのが、今では上下にも探索の視線を遣らねばならぬから、これはこれで迷宮の繁殖に寄与していて、活性化に一躍担っているのかもしれない。でもぼくにはそれは気に入らない。というの坂や階段が増えるの真っ平なのです。坂や階段は上下に空間を拡大するための機能に与してはならぬのだ。専ら鑑賞に耐える対象としてそこにあるべきなのです。ともあれ、あまり馴染みのなかった巨大ビルヂング、いやここはやはり当世風にビルディングと書くべき、無愛想なタワーがへと向かいます。その一階に少しくわざとらしく置かれたテラス席がパリ気分を増幅するとでもいうのか。日本の気候、特に夏場はオープンな環境では食欲など湧くはずもないのだ。ビアガーデンという文化も今後は今以上に冷風機の完備が求められることになるだろう。といった本質とはかけ離れた次元で話を引き伸ばすのには理由がある。料理はまあ特段ケチを付けるつもりはないけれどまあ概して普通であると言っておこう。値段だってまあ場所柄を考慮すればそこそこではないかと思うのだ。これは予想していたことなのだ。だから文句をつけるのは筋違いだということは分かっている。しかし、しかしだよ、いかにも素人くさ過ぎるのだ。特にサービスに対する教育が全く行き届いていない。普段ならそう文句を抜かさぬし、普段でなくてもさほどは気にしないけれど、それなりの値段を取るならせめて席な背後を通り抜ける度にぶつかるのはいかにもお粗密だろう。そのたびに詫びるのだよ、でもその詫びがすぐに繰り返されるとなるとやはり我慢ならぬのはぼくの側に問題があると思うべきなのか。そして、私的に不快なのがインテリアのがインテリアが全般に安っぽ過ぎるのだ。いや、ビストロだもん、そんな気取られても困るけれど、店内に足を踏み入れてすぐにガッカリさせるのは良くないだろう。パリのカフェ風のビストロは、ムードを大事にしているようで肝心なところが全く欠如しているように思えたのです。こういうのを好む方もいるかもしれぬけれど、デートで来るのは消してお勧めできません。これだったらよりシックでハリボテ感の少ない池袋西武のレストラン街の一軒を強く押します。予約不要なのには相応の理由がありそうです。






Last updated  2019/08/08 08:30:06 AM
コメント(0) | コメントを書く
2019/07/13
カテゴリ:中央区
 築地で呑むのは贅沢なことだとずっと思っていました。銀座で呑むとか麻布で呑むとか、贅沢な盛り場というのは少なくありませんが、その何処とも違った贅沢感がぼくの足を遠ざけるのでした。自らが自らに対して印象操作を講じているという具を犯していることは分かっているのですが、どうにもこれらの町で呑むことには抵抗があるのです。その抵抗感の源泉に値段の高さがあることを否定するつもりはありませんし、実際に食べログなどの情報を見てみるとぼくが普段呑みに行く町とは格段に値段に開きがあることが分かります。無論、すべてがすべてにおいて高級店であるということもなく、中には庶民的な価格で有名店や老舗店と対抗する気概のある店があることも情報では知っているのですが、ぼくがそれらの町に寄りつけぬのは、必ずしも各店舗への抵抗感だけではないのです。それは上手く表現できないのですが、町そのものだったりその町を往来する人々というのが予めぼくという人間を排除しているような疎外感を放っているのが堪らなく嫌なのです。日頃、酒場での孤独を語ってみせているけれど、その孤独というのは自ら望んでの孤独であり、そもそもそこにある孤独を望んでいるわけじゃないのです。などと出鱈目を語ってしまいましたが、そんなぼくにも築地へと行く機会がとうとう巡って来たのです。ってまあ築地で呑むのが初めてという訳でもないのにもったいぶって見せましたが、やはり築地で独りは嫌なので、知人を連れだって訪れることにしたのです。









 まずは築地の酒場の入門編かつ決定版としてよく知られる「季節料理 魚竹」にお邪魔することにしました。どうやら口開けのようです。カウンター席だけの狭いお店ですが、不思議と窮屈な印象はなくてこの店はこの広さこそがベストな空間と感じさせる落ち着いた雰囲気です。太田和彦氏の番組などでも目にした実直そうな親子は控えめな応対ながらそのプロ意識の高さでとても素晴らしい。青菜の煮浸しにジャコを散らしたお通しで初めから清酒を頂くことにしました。肴は名物でもある焼魚の盛合せと肉豆腐にしました。いや、これがびっくりなのです。焼魚などと馬鹿にしては失礼なほどに旨みが乗った肴をいただくと、刺身が魚介の最高の食べ方だと語ってみせるもっともらしい意見など吹き飛ばされてしかるべきと心底思ってしまうのです。もとより魚介は火を通した方が好みのぼくにはその意見を盤石とするに足る心強い味方を手に入れたように思えました。さて、そうこうするうちに客席が埋まってゆくのです。独り客は、いかにも誰かの酒場本で仕入れたに違いない情報をもとに、手早く注文を済ませると電車の時間があるので6時過ぎには勘定を済まさねばならぬなどと、妙な予防線は張って忙しないことこの上ないのです。酒もカールスバーグの瓶を一本切りとは酒呑みとしていかがかと思うのです。次に来た客はグルメ系の編集者だか作家だか知らぬけれど、やけに尊大な振る舞いで不愉快極まりないのだけれど、そんな輩には慣れっこらしき店主らはそんな相手に対しても平静さを保っていて、ああプロというのはこういうものだなあと教えられた気分です。そうしょっちゅうは来れそうもないけれど、誰か好きな知人と築地で呑む機会があればまたぜひお邪魔したいと思いました。









 さて、もう一軒行っておこう。あれこれ思い当たる酒場はあるのですが、すぐそばの「鳥芳」の風情についつい引き寄せられてお邪魔することにしました。三和土に木製のカウンター席と卓席が合理的な配置で据えられていて赤い合皮張りの椅子がもうこれぞ焼鳥店という景色を構成しています。これだけでもう堪らない満足感を得ることができています。肴はあらら、5本か7本のセットで注文しなくてはならないのね。知人もまた食の細い方だから持て余しそうだけれど仕方がない。大根おろしにウズラの卵という定番に焼鳥5本、お新香、そして〆のスープというまあ焼鳥店のお馴染みのセットをオーダーすることにしました。肴についてとやかく言うのは面倒ですが、確かに実にちゃんとした焼鳥で美味しくいただきました。そして、最後には食べきれなくて残しそうなのを店のおばちゃんがすぐさま察してくれて、お持ち帰りになりますかと、ラップにホイル、ポリ袋を用意してくれたのは嬉しかった。持帰ったそれは温め直しても旨さの強度は余り衰えることもなく美味しく頂くことができました。さて、ここでも作家系グルメオヤジの集団に遭遇。此奴らはどうしてああも尊大そうなのだろう。まあこちらも酔いが回ってきたのでじきに気にならなくはなったけれど、この現代日本には一体どれだけの作家系グルメオヤジたちが跋扈して、駄文を書き散らしているのだろうか。そしてそれを嬉々として消費してしまう自分にも嫌気が指すのでありました。






Last updated  2019/07/13 08:30:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/10/19
カテゴリ:中央区
 ふるさとがあるというのは、嬉しいこともあるけれど、鬱陶しい面もあります。ぼくの場合は、親の都合に付き合わされて各地を転々としたということもあり、ここが本当のふるさとであると自信を持って言い切ることはなかなか難しい。でも今ではそんな引っ越し歩いたことがとても自分にとっての財産となっている気がするのです。特に若い頃はふるさとが一つしかなければいじけてしまったかもしれないと思うのです。それは東京という町へのコンプレックスのようなものがふるさとである唯一の町と比較するには都会過ぎて、東京生まれ東京育ちといった人たちに劣っているという、まあ他愛のない劣等感に見舞われていたと思うのです。しかし、東京とは比較にならぬけれど、国内のそこここがふるさとだと思ってみれば、日本には東京だけではなく様々な町があるのだよと自信を持って語ることができてしまうのです。実際には短期間しか住んでいなくたって、住んでいたという事実によりかつて住んだ町はぐっと身近に親しく感じられ、それにより一期一会であったとしても多くの人と知り合えたりもするのだから確実に人生を豊かにしてくれる気がするのです。











 東京で田舎を感じようと思えば手っ取り早いのが東京交通会館に出掛けることです。上野なんかが特に東北地方方面の地方出身者の思い出の地なんて語る人もいるけれど、ぼくにとっては有楽町の東京交通会館こそがふるさとの印象を濃密に感じ取れる場所となっています。このビルには日本各地のアンテナショップがあってそうした面で楽しくもあるのですが、広島の銘酒である賀茂鶴を呑ます「銘酒の店 ひろしまや」もまた濃密なふるさと感に浸れる酒場であります。と書くとさもかつて広島の住民であったかのような誤解を与えてしまいますが、ぼくの長くも短くもない人生において広島で暮らしたことはないのであります。それでもこのオールドファッションなビルの地下飲食街で呑むとあたかも地方のどこかの町で呑んでいるような懐かしさがあるのです。常連客から差し入れられた雑魚を女将がテキパキとおろしと合わしてくれたり、やはりこれも差し入れのいわしの丸干しをさっと炙って出してくれたりするとここが東京の中心地であることを忘れさせてくれるのです。もうこうなるとここは広島でもどこでもない地方のどこかの町でしかないのであって、静岡から時折やって来るという大学教員や隠居後の小田原の住民などと話をするとますますここがどこなのか分からなくなってきて、その混乱は酒から銘柄という雑味をも取り去ってしまうような錯覚に陥るのでした。






Last updated  2018/10/19 08:30:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/10/12
カテゴリ:中央区
 こちらを継続してご覧くださっている方であれば―もっぱら独り言を呟いてばかりで、書き込みが滅多にないこのブログでは常連さんがどの位いるかなど知る由もないのです―、もう耳にタコが出来ていてもおかしくないので、お話を引っ張るつもりなと毛頭ないのでありますが、かつてのぼくは酒には興味はあっても、酒場に関しては安さを最重要視するような、とにかく実用一辺倒な酒場選びをしていました。それは映画を見る事に相当なる情熱と金銭を費やしていたからという言い訳が成り立つ程度の相当であったわけです。もともと行った酒場の事を感想などなしの店名と駅名そして金額のレベルという最低限のメモを取り始めたのも、映画の終わった後に顔見知りの映画マニアたちと酒を浴びるように呑みつつ互いの感想をぶつけ合うための場所を映画館のある町に確保するためであったのです。今晩はここで映画を見るから終わったらウロウロと酒場探しの労を払うまでもなくすぐさまに語り合いたかったのです。なんてことを書くとさも熱い青春時代を送っていたかのようだけれど、そんなことは少しもなかったのであります。って、本旨からどんどん外れていますがつまりは映画のメッカである日比谷や銀座では随分とたくさんの映画を見てきたし、それだけの時間潰しもしてきたのです。だけれど、経済重視のぼくは日比谷で呑もうだなんてことを少しも思わなかったし、実際日比谷とか有楽町エリアは敬遠するをモットーとしたのです。確かにガードした酒場など魅力的に思えるスポットもあるけれど、それは観光資源でしかないと割り切っていたのだ。
 












 だから、「爐端 本店」なんていう炉端焼き店のような店があることなど見てはいても視界から排除してしまっていたんだろうなあ。改めて眺めてその居酒屋然とした立派な構えにすっかり参ってしまった。慌ててネットで調べてみるとどうも結構なお値段だそうな。しかしまあいつかは間違いなくお邪魔するのであれば、今入っておくに越した事はない。なんせいくら人気店であっても唐突に店が無くなることなどそう珍しくはないからです。店内にはお二人の女性がいるばかり。大きめのテーブルも3卓ありますがやはり炉端焼きのお店ならカウンター席にすべきだろうなあ。焼きの担当らしき男性は無表情に腰を下ろしてこちらを見るともなしに観察しているようです。それにしても使えない席が出るほどの大皿がズラリと並べられていて、これでホントに焼物ができるのか。と勿体ぶっても仕方ない。こちらのお店はこの大皿から食べたい品をチョイスして腰を下ろした男性が鍋で温め直してくれるという塩梅で、焼物はないし例の大きなシャモジもないのです。フロアー担当の高齢の方が店の主人のようです。これだけの料理はとても捌けぬだろうと思っていたら、外国人観光客たちが波状的に訪れて帰る頃にはほぼ席が埋まりました。こういう古いいかにも日本風のお店は日本人より外国人が好むということでしょうか。料理は鳥や筍の煮付と豚のケチャップ煮などの煮物が主流です。席の前には巨大オムレツなどもありますが、とにかく一品ごとの量が半端じゃないから頼み過ぎは禁物。非常に美味しいけれど味付も濃い目だし。さて、混み合ってきたのでお暇しましようか。勘定は、そうねえ覚悟しておいて良かったなというものでありました。懐具合のあったかなパトロンがいたら、4名位で訪れて、もっとあれこれ摘んでみたいものです。良くは知らぬけれどどうも日本の外食費は諸外国からみると手頃らしいから、外国人観光客にはそれなりに納得のいくものなのかもしれぬ。今後こうした古い居酒屋が増えるとなると、それはちょっとばかり困った事だな。やはり値段の明示されぬ酒場は普段使いには厳しいです。
 








 それにしても裏路地ではあるけれど、「多る満」などという分かりやすいくらいにぼくの好みのツボを付く店があるとは迂闊にもほどがあるというものです。店内も飾り気なく質素でこれもいいなあ。値段もはっきりして明朗安心だしね。お客さんは他に一組だけとやや寂しい。有楽町ガード下が大改修となり、一掃されつつある今、若者や訳知り顔の中年サラリーマン達がこぞって、そうした生き残り店で満足げに呑んでいるけれど、あれは傍から眺めるのが愉快なのであって、現場に身を置くとさほど面白くないものなのだ。むしろ凡そ日比谷とは思えぬこうした昔風の大衆食堂で呑むほうが貴重なのです。さほど大した肴はない。手頃な単品の肴を組合せてメシと味噌汁などを頼むシステムなのだろうが、試しに定食を想定してみたらうーむ、案外いい値段になるなあ。白身の魚の西京漬などは味がほとんど無かったからメシを掻き込むにはいささか厳しい。でもそれでもこの静謐な空間で燗酒をチビチビやる幸福はガード下ではけして得られぬものです。満足です。






Last updated  2018/10/12 08:30:09 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/10/11
カテゴリ:中央区
 東京の中央区や千代田区は都の核としての役割を担っているらしく、江戸の時代から栄えたというし、実際に老舗と呼ばれもするお店も数多いのです。って珍しく知ったような言い方をしていますが、そんな老舗有名店に実際に足を運ぶことは極めて稀なことは、このブログの読者の方なら良く知る事です。実際に行ったら真っ先に報告するだろうから、本当にそうした店とは縁薄い人生を過ごしてきて、そしてこれからもその境遇に劇的な変化が到来する事は期待できぬのです。しかし、その事に大きな不満はありません。いや、少しはあるけれど創業100年を超えるような老舗有名店の多くは、店舗も建て替えられていたりしてぼくにはさほどの魅力は感じられぬのです。老舗の味で江戸の人々の味覚を堪能するというのも風雅な愉しみではあると思うけれど、それが現代人の舌に合うかどうかというと少しばかり不信を抱かざるを得ぬし、例えば牛鍋とかにしたって、かつての牛の肉質や風味が今の飼い慣らされた牛の味と同じものとはとても信じられぬのです。何だか書けば書くほどやっかみが滲み出るようで、情けなく恥ずべき振る舞いに思えてくるので、ならば庶民派の老舗店に足を向けることにしよう。千代田区は無論なこと、中央区にも存外に庶民派老舗店が残されているのだからわが心の渇望を慰めるために出向くことにしたのでした。
 






「大勝軒」の系譜については、多くのグルメサイトで大概は出典も曖昧なままに詳らかにされているから、興味のある方はそちらを参照頂くとよろしいかと思うのです。茅場町もそうした系譜に連なるお店と聞いたような気がする。いや聞いたではなく、まさに出典も明示されぬいかがわしいといえばこの上ない、そんな情報を頼りに足を運ぶのだからこの文章もあまりアテにならぬのです。そして、そんな不安に駆られるのはもっと甚大な理由があるのです。このブログでは以前、浅草橋の系譜店を報告したと記憶するけれど、そちらはいわゆる町中華というよりは大衆食堂にかなり接近した店の構えと内装だったのであって、ここ茅場町の店舗もそうした伝統に連なると信じて疑わず訪れたのであります。しかし辿り着いて店を眺めてみると、これはどうしたものか、そうした予想をアッサリと覆す残念至極な現実が待ち受けていたのです。いやまあ、老朽化した建物を維持するのを常連となるつもりなど微塵もない事が明らかなぼくのような者がどうこうと述べるのは、不遜極まりないことでそれはどうかと思うけれど失望に暮れたのは事実だからこの事を隠し建てするつもりはありません。しかし、店に入った時はわれわれだけだったのが、じきに近隣のサラリーマン達が2階へと続々吸い込まれるのを見ると、やはり長年愛されてきたお店の実力を見たような気にもなるのです。と褒めてみてすぐに落とすのもどうかと思うけれど、どうも店の方がかの大陸の人達が多いように思われ、加えて料理もいかにもそちら方面のやや粗雑な味わいに感じられたのです。老舗の暖簾を大陸の方に売り渡してしまったのではなかろうかという不穏なことも念頭に去来することをどうにも抑えられなのです。今後、三度の逆々輸入が叶う日が訪れることを期待します。






Last updated  2018/10/11 08:30:08 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/09/07
カテゴリ:中央区
茅場町には、実に多くの立呑み屋があるようです。その何軒かには寄らせてもらっているし、他の何軒かも目撃しています。その経験やら目撃した限りにおいて、この界隈の立呑み屋にはどうも相性が良くないようだとの感想な帰結せざるを得ないのです。別に茅場町の酒場を常用する紳士や淑女たちの事を貶めようなんていう意図はさらさらないし、安く手軽な立呑みという選択肢は大いに正しい選択と共感する。だけれども彼らは少しばかり立呑みを愛しすぎてはいないだろうか。とにかくどこもかしこも繁盛していて、よくぞあの環境で大いに盛り上がったりできるものと感心するくらいなのです。この町には日本の経済を動かしているらしき大きな企業なども多いようで、つまりは日本のエリート層も少なからず跋扈しているなだろうけれど、立呑みに出入りする人たちはさしずめそんなエリート集団から締め出されたような人たちなのだろうかと皮肉にも思うのである。なんてったって彼らは同業他社のライバル達がそっと立ち呑む群衆に紛れ込み聞き耳立てているかもしれぬのに、平気で社外秘ではなかろうかというような話題を繰り広げてみせたりするのです。しかもあえて聞き耳を立てずとも、そんな話など興味すらなく聞きたくもないと思う者にも筒抜けの大声量で喚き散らしていたりもするのだから、茅場町には産業スパイなどの存在すは意義はありはしないのであります。







 とまあそんなだから、すがれた―なぎら健壱が好んで用いる言葉なので使ってみました―酒場を好むぼくには茅場町の立呑み屋は敷居が高いのであります。まずは「standing ギョバー 茅場町店」にお邪魔しましたが、ここは珍しくも閑散としていたので、ひと安心です。おまけに店のスタッフは女性中心で可愛いコが多いのも加点すべき要素であります。しかも可愛いけれどすげえ感じの悪い奴らばかりという、とんでもなく倒錯したコンセプトが売りの店というのも案外に遭遇するのだけれど、こちらは普通よりちょいと感じがいいという程よい―つまりは一言二言軽口は叩いてみたりするけれど、それ以上の発展は望めぬことが容易に察せられる頃合の―女のコ達が揃っているのである。火遊びはもう卒業だと考える中高年世代にはお誂え向きで、ここはそんな世代を照準に据えたお店なのではないか。少しばかりアメリカンなくだけたムードも、この世代のオッサンたちであればカッコいいじゃんオレなんていう自己陶酔に浸れそうであります。それはいいなあ、ぜひ行きたいと思われた方も居られるかもしれぬ。しかしそれにはしっかりとカラクリが仕込まれているのです。もったいぶらずとも答えは明らかですが、値段にこのムード代は含まれているのです。それも高いというにはちょいアレだけど少なくとも立呑みの値段ではないなというさじ加減が憎らしい。気持ちだけでも若返りたいという小銭持ちの中高年にはよろしいのではないでしょうか。







 一方、「越後十日町そば がんぎ 新川一丁目店」はとんでもない混雑ぶりです。繁盛店ではカウンターに正対せず、斜に構えて並ぶようなお店もあるらしく、それをダックスとか言ったりするようだけれど、ぼくはそんな酒場用語を公然で口にする勇気はありません。良く言えば恥じらい深い性質なのであります。それにしてもこんなに窮屈な思いをしてまで酒を呑むとはご苦労なことだと思うのです。仕事を終えてひと息つきたいところを場所取りに始まり混雑をかき分けての注文やら思い出しただけでうんざりしてしまうような大儀なことをしなくてはならぬ都心のサラリーマンは気の毒に思えるのです。通勤時には満員電車に揺られているだろうに、わざわざ一苦労してまで立呑みで過ごすとは彼らこそホントの呑兵衛、大都会の呑兵衛の鑑であると言えましょう。それにしてもこんな状況下でそばを啜ることが果たして可能なのであろうか。いくらへぎそばが短めに一口サイズに取り分けられていてもなかなかに厄介であろうと思うのです。それとも時間帯で客足が途絶えたりするのだろうか。そんなことは余り期待できなかろうと思いつつ、早々に引き上げたのでした。






Last updated  2018/09/07 08:30:08 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/08/31
カテゴリ:中央区
 八丁堀って、たまに時代劇なんか見てると―まあ、実際にはそんな脳天気に時代劇を眺めることなどそうそうないのだけれど―、お白州なんかあったりしてお硬い町のイメージがあるし、今でもそれに近い感じはあります。だからということでもないのだろうけれど、そんなに好んで立ち寄ろうとは思わぬのです。だけどこの界隈は、ご存知の通り数多の駅が乱設されているから、それがハシゴの過程だとそこが八丁堀だなんてことは意識せぬままに呑み歩いていることになるのであります。それは果たして都内の酒場巡りを主たる目的とするこのブログにとって適当な振る舞いであるのだろうか。地図を眺めるのは楽しい行為ではあるけれど、実際に町を歩く際に地図を開くのはなかなかに面倒な作業であります。その面倒を厭わぬ人こそが散歩の達人と呼ばれたりもするのだろうなあ。しかし、ぼくには達人志向などもとより有りはしないのだから、実はちっとも構いはしないのであります。大体において、散歩や酒場ないしは喫茶巡りなどは覗きにも通じるような恥ずかしい趣味なのでありまして、こっそり愉しむべき行いなのではないでしょうか。こうしてブログを書く振る舞いはとうなのだという矛盾は知らぬ振りで通すことにしたい。


 さて、駅のそばの路地を歩くと「山海料理 RAKUMI」がありました。まあ、どうということのないお店ではありますが、八丁堀では贅沢を語っては呑み損ないかねぬから気に止まったら入っておくべきです。しかし、そんな不遜な気持ちが筒抜けたのか満席とのことで遠慮するを余儀なくされたのでした。







 しかしまあ、こんなこともあるんですね、横断歩道を2度渡って斜向かいのエリアに移動したら同じ店名の立呑み屋らしき「立ち飲み居酒屋 ラクミ(RAKUMI) 入船店」があったのでした。どうしても別にどうしてもこちらにお邪魔したかったということでもないのですが、話のネタにはなりそう。っていうかしっかりもう書いてしまっている。近隣に系列店があることなど別に対して珍しい話ではないんですけどね。さて、こちらもまた大変に賑わっていましたが、開店が早くて待つでもなく入店できました。升盛りの刺身がこちらの名物ということのようで、ならばと注文してみました。刺身はそれなりに好きだし、旨いか不味いか程度は分かると思っているけれど、それが旨いというある一線を越えるとどれも等しく旨いということになってしまうのであって、だからここのようにお手頃に旨い刺身を頂けるというのはとてもありがたいことなのであります。どんな料理にも言えることなのですが、一つの品が大量にあっても余り嬉しくない。美味しいものが品数多くあった方が格段に嬉しいのであります。これは年を取って食が落ちたとかいうことではなくて、幼少期からの食習慣がそうさせるのであります。実家ではとにかく食卓が賑やかでありました。残念なのはそれが必ずしも旨いものではなかったということですが、とにかく今でもちまちまとあれこれ摘むのが至福の時間なのであります。お隣は女性の独り客でしたね。何がきっかけかはすでに忘却の彼方に去りゆきてしまいはてましたが、親しくお喋りなんぞさせていただきました。連絡先を尋ねたり、そのナンパ術をメモしたりしないことにいつだって後になって舌打ちすることになるのですが、つまりはそうした方面に才覚が著しく欠けているということの証左にもなりましょう。ということで、思いがけずも楽しいひと時を送ったのでありますが、詳細は失念したとしか申し上げられぬのが甚だ残念であります。









 またも横断歩道を渡って次なる酒場は「お食事処 いち」であります。酒場放浪記に登場したためか、2度にわたって門前払いを食わされているので、入店運の強いO氏を伴って三度目の正直を企てたのであります。さすがに同じ日に三度も顔を覗かせるのは気恥ずかしいのでありまして、物陰にそっと忍んで様子を見守るとあっさり入店を許されているではないか。これは必ずしもぼくの運の悪さに原因を求めるべきではなく、ちょうど一巡目の客の入れ替わりのタイミングであったのだろうけれど、それでもやはり釈然とせぬ気持ちと己の運のなさを嘆くことになるのであります。席に着くと早速に運ばれるのが一口サイズの生ビールです。これって値段に含まれてるんだろうけれど、程よいサイズが好ましい。ビールなどこの程度のサイズで十分なのであります。下手なお通しを出される位ならこの店のように一口ビールを提供して欲しいものであります。さてと品書きを眺めるとこれといった特徴もなくて、まあ万人に受け入れやすいつまりはごくごく普通のお店なのでありまして、都心の酒場らしくサラリーマンたちが席を埋めて、大いに盛り上がっているのであります。喧しくて敵わないけれど、これが都心の普通の居酒屋の現実なのだから、そこはもう大人しく受入れるしかないのでありました。






Last updated  2018/08/31 08:30:08 AM
コメント(0) | コメントを書く
2018/08/28
カテゴリ:中央区
 新富町は付き合いの古い町です。古くから付き合っている割にあまり呑んでいないのには理由があります。大体察しては頂けているかもしれませんが、学生時分のぼくは極端な貧乏生活を不本意ながらも余儀なくされてあり、それはまあ映画ばかりを見てバイトすら日雇い仕事にたまに手を出す程度という今時の学生が聞いたらふざけんじゃないよと言いたくもなるであろう不遜で享楽的な日々を過ごしていたのだから、まあある意味では自分勝手に貧乏生活を享受していたのであります。しかし、そんなぼくでも不満はあった。不満などたいうものはどんなに恵まれた人生を謳歌しているかに見える人にもあるものだろうけれど、とにかくぼく程不遇な者など医はしないであろう、いや、さすがにもっとずっと満たされぬ気持ちを抱く者も存在するという現実は弁えていたけれど、とにかくそんな風にいじけた日々を送っていたのであります。何が不満って、好きな酒が自由に呑めもせぬ現状に憤っていたのであって、酒などという嗜好品に金銭を投下できぬからと憤るのは、それだけで贅沢の誹りを免れぬかもしれぬのだ。まあ、それはおいておくとして、とにかくまあいじけた生活を送っていた頃には視界に入らぬものがあるのですね。その一つが酒場で、ぼくは新潟時代に酒呑みの洗礼を受けておるので、当然のように酒には馴染みがあるのであって、酒を呑むことは当時から習慣化しておりました。だから呑めぬ日々は辛い、というか堪らなく寂しいことなのでした。そうした鬱屈した感情が酒場が自然に混じりこむことを無意識に排除したのかもしれぬ。














 と、まあいつも以上に饒舌にそして無軌道な語りを披露してしまったけれど、「さくら家」もまた、学生の頃からあったはずなのだけれど、ちっとも視界に浮上することのなかったお店なのであります。というか、自分やはり酒場が好きなんだなと自覚しながらも長くここの事は見過ごしていたのだ。別に路地の裏の裏なんて言うような目立たぬ場所にあるんじゃなし、なぜこれまで見逃していたのか。それを語りだすとまた再現がなくなるので、話しを元に戻すとやはりなかなかの老舗感のある良いお店ではないか。前回だか前々回だかにこの界隈で呑んだ際に見掛けて気に掛けはしたけれどそのまま忘れ去っていたのであります。店内は外観写真が示すように増築しているらしく奥は平板だったと同伴者は語っておりました。手前は少人数向けのつまりはカウンター席になっていてとても感じがよろしいのであります。感じはいいけれど迂闊に頼むと財布が悲鳴を上げそうな雰囲気ではあります。なので控えめに注文して控えめに勘定を済ませたのです。いつも同じ事ばかり語っているけれど、ぼくにとっての酒場巡りの原動力は店の雰囲気に相当程度割かれているわけであります。なので、仮に通されたのが奥の団体席だったら感想はこれよりずっと辛辣辛口になったであろう事は疑いようもないのであります。それから付け足しみたいでさほど情報として役をなしませんが、まあ店の看板商品である焼鳥はまずまずなのでありました。従業員というには貫禄があったのでもしかすると大女将かもしれませんが、とにかく年増の女性が酷くおっちょこちょいで、だけれども憎めないユーモラスであったことが思い出されます。






Last updated  2018/08/28 08:30:08 AM
コメント(0) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全45件 (45件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.