市ヶ谷の肉豆腐とレモンサワー押しの気軽な大衆食堂
店にとって看板商品というのは一般的には集客のための最重要ファクターのひとつなんだろうと思います。ぼくの場合は肴はそりゃあるに越した方がいいとは思うけれど、2、3杯吞むだけならばなけりゃないで構いはしないし、さすがに酒はなくていいなんて言えぬにしろ、その種類や銘柄にとやかくいうことはしないわけで、だからそのお店に看板商品があろうがなかろうが、店選びの条件となることはほぼないと言ってもいいと思うのです。そりゃまあ時にはあれが食べたいこれが食べたいと食欲が訴える場合もあるけれど、それはもっぱらホリデイのお楽しみにとっておけばよくて、ウィークデイは簡単な肴と酒があれば満足なのです。とまあぼく自身の話はさておいて、店選びには個室の有無だったり、大人数での利用や予約の可否だったりと様々な条件があるものですが、そうした条件を撥ね退けてでも看板商品を目当てに店を選ぶ人は存外に多いようです。それだけの集客力が看板商品にあることは商売人にとっては周知の事であろうし、だからこそその選択には慎重であるはずだし、意欲的でもあるに違いないのだ。しかしですね、近頃、その本気度を思わず疑ってしまいたくなるような商品を店名に冠するお店が多く見受けられるようになったような気がするのです。良かれ悪しかれ昔の飲食店はこれと決めたら生涯を賭してひとつものを作り続ける気概があったものですが、今の経営者はもしかすると飽きっぽいわれわれ消費者の意向に応じるもしくは先んじるように定期的に商品の見直しを図っているようにも思えるのです。それがとても看板商品とは成り得ないであろう肴なんかを堂々と掲げられる所以なんじゃなかろうかなどと思ってしまうのです。 さて、市ヶ谷の外堀の先にある「肉豆冨とレモンサワー 大衆食堂 安べゑ 市ヶ谷店」では堂々と「肉豆冨とレモンサワー」が冠されています。果たして看板商品は肉豆腐とレモンサワーであるらしく、前者は2種用意されていて以下のような説明がなされています。肉豆冨《黒》 438円:国産の牛すじを店内で圧力調理。醤油ベースの甘目の出汁で煮込みました。肉豆冨《白》 438円:牛バラ肉と玉ねぎを共に鰹風味の出汁で煮込みました。 ふうん。なるほどねえ。肉豆腐なんてのは決まりがあってなきがごとしの食べ物で、この2種は牛肉を使っている(《黒》でわざわざ国産を謳っているということは《白》の牛バラ肉は国産じゃないのね)けれど豚肉でも構わないだろうし、鶏肉の店だってあるんじゃないか(「三州屋」だと鶏豆腐って呼んでますけど)。長ねぎ入りのものもあるし、白滝入りも食べたことがあります。豆腐にしたって焼き豆腐を用いた店もあります。つまりまあ、多様なヴァリエーションがあって不思議じゃないから10種程度を用意するなんてことになれば看板に掲げるだけあるなあとある意味感心したかもしれません。が、こちらではキムチなどのトッピングの種類でヴァリエーションを増やすという安直さに堕しているのがどうにも気に入らぬのだ。それと肉には国産だったり出汁は作り分けたりとそれなりの工夫がみられるけれど、商品名の中心となる豆腐へのこだわりが全くないというのも解せないところであります。鍋を片手に明け方タクシーで乗りつけて豆腐を買い求めたという色川武大氏までのこだわりはぼくにはないけれど、それでも肉に国産を訴えるなら豆腐にだって「北海道産大豆100%使用」位の攻めがあっても然るべきではないだろうか(って隈なくメニューを眺めたらその旨の記載などあるのかもしれないけれど)。ってケチを付ける位ならたった2種のみなんだから両方食べてから語れって意見もありそうですが、ぼくはすじ肉は余り好みではないから《白》にいくつもりが同行者が《黒》のみを頼んだようです。まあ味は普通かなあ。圧力調理の目的はきっと肉質を柔らかくするためなんだろうけれど、思った以上にしっかりとした噛み応えでありました。一方のレモンサワーも好みの問題かもしれませんが、ちょっと甘過ぎる気がしました。まあ、何にせよ勘定は安く上がったから文句をつける気はさらさらないのです。まあ、概して高くつくことの多い市ヶ谷でこのお店は財布の助けにはなりそうです。