静岡おでんは静岡で食うのがうまい その3
さて,ホテルでひと休みし,すっきりしました。ここからが本番です。最初に向かったのは静岡に来たら寄らないわけにはいかないという老舗大衆酒場です。 開店が4時30分なので,万が一にも入れないことがないように開店10分後には到着しました。駅からもすぐの場所であまり風情のない通りに,ちんまりとした古い構えの一軒家があります。「多可能」です。あららデジカメの電源が切れてしまいました。使い慣れないものを使うと大体こうなるんですよね。引き戸を開くと広いテーブル席に広めの座敷,カウンターは8席程度しかないようです。カウンターでは常連さんがすでに飲まれていましたね。大正12年創業のお店で,移転だか改築だかされているようですが,なかなかに風格があって気持いい酒場です。カウンターにも予約の札が置かれており,6時までなら予約の席に着いてもいいということなので,ゆったりと席に着くことができました。黒エビスの小瓶をもらい,お通しの茹で落花生をつまみます。その間もひっきりなしに予約の電話が入り,繁盛振りが窺えます。すでに全席が予約でいっぱいのようです。ひげを生やした若主人の采配っぷりが堂に入っていて気分がいいですね。桜えびのかき揚が届きました。静岡に来たなあという気分になれてうれしいです。そうこうするうちに予約客がどんどん入ってきたのでほどほどにして引き揚げることにします。 今回の旅の一番のお楽しみは青葉横丁や青葉おでん街などのおでん系飲み屋横丁をはしごすること。というわけで早速青葉横丁に向かいました。青葉通りは,戦後の多い頃には約200台のおでん屋台があったそうです。昭和32年以降,それらの屋台が都市開発の煽りを受けて撤去されることになり,昭和43年になって青葉横丁や青葉おでん街を形成したと言うことです。青葉横丁は静岡のおでん横丁の最古参で,以前は20軒近い店があったということですが,この日の昼間に通り掛かった際には,横丁の途中でビルの改築工事を行っているようでした。一部店舗は取り壊しになってしまったのでしょうか,ちょっと心配です。さて,横丁の入口にある「三河屋」はすでにお客で一杯です。 それでは数軒先にある「たこ八」に入ってみることにしましょう。6,7名も入れば一杯になりそうな狭いお店です。ぐつぐつ煮られている静岡おでんや次々に揚げられる串揚は菜箸で腕を伸ばして好きなものを取るスタイルのようです。黒おでんには串の刺さっていない具もあって,そのときはおばちゃんに申告して串をもらいます。最後の勘定で串を数えるんですね。ぼくの場所からは2つあるおでん鍋のどちらも手が届かないため,お隣の2人組の御婦人にお願いしてよそっていただきました。お酒はウーロンハイを頼みました。そしたら目の前のカウンターにつまれたちっちゃな紙パックを渡されました。これが焼酎なんですね。「ワンショットむぎこーん」なる銘柄でした。お隣には「芋焼酎 芋ケン」なるものも積まれていて,恥ずかしながらこんな焼酎があること初めて知りました。調べてみるとダルマ焼酎で知られる中国醸造のロングセラー商品なんですね。コンビニの定番商品と言うことなので今晩でもチェックしてみましょうか。コップと「むぎこーん」に1Lの紙パックのウーロン茶を手渡されて好きなように割って飲むスタイル。おばちゃんも楽だし,客も好みの濃さを楽しめるし,いいなあ,東京でも普及して欲しいな。次のお客さんも来たことなので次に行ってみましょう。 ところで,静岡にはこの有名な2つのおでん横丁以外にも面白そうな飲み屋街がたくさんありした。今回は次回のお楽しみにとっておいたちゃっきり横丁は,両替町にある昭和初期築の建物の狭い通路にあります。30m程の狭い通路の両脇には狭い居酒屋が立ち並んでいます。昭和町にあるひょうたん横丁は横丁というにはやや広めの路地があって,案外今風のバーなんかが立ち並びます。南口にあった入船横丁なんてのも風情がありましたね。 ちょっと物悲しかったのは,欅の並木のまぶしい七間町名店街そばにある別雷神社に張り付くように営業している飲み屋街です。七間町名店街HPによると七間町は,今川時代に七つの座(小絹・炭・米・檜物・千朶積・相物(干魚・塩)・馬商)が設けられたことが起源となっているようなので,今川範政が駿河一国の守護となり現在の静岡に本拠地を移した頃(1400年代)以来の歴史があるのでしょうか。ともかく由緒ある商店街のはじっこにひっそりと店を連ねる様には強く惹かれますが,実はこのすぐそばにはかつて多くの映画館があったようです。-- 七間町というこの街は、全国的に見ても映画館が一ヶ所に集まった珍しい街だ。現在はここに十三のスクリーンが五つの建物に入って立地している。商店街は全国どこでも映画館を中心に街を構成している。それは、映画というものがその発生のときから持っている”大衆性”という性格に起因するものに違いない。--ということで,大変ごもっとも。そんな素敵な街が平成21年にオリオン座を含む4館9スクリーンを閉館という悲しい事態に陥ったのです。今その跡地はまっさらな更地と化しており侘しさが漂っています。