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最初の転勤は小樽から千葉県へ。幼稚園だった私はその頃の記憶はない。
2回目の転勤は小学校5年生の秋。 大親友の美和ちゃんと別れるのが悲しかった。 転校先は神戸だった。 学校での挨拶で「中川なつみといいます。千葉県から来ました。よろしくおねがいします。」 たったこれだけで、クラスのみんなはクスクス笑った。 標準語がおかしかったらしい。 国語の時間に教科書を読む順番がまわってきた。 読んだ後、先生とみんなが拍手をした。 なんなんだ?この拍手! それからいじめっぽいものにあった。 でもすぐに関西弁を覚えて何か月後にはいじめられた子をいじめかえすくらいになっていた。 3回目の転校は一番つらかった。 西宮への転校だ。 前にも書いた通り、大好きな人との別れが一番つらかった。 そして、バレー部に入っていた私はバレー部の見学をした。 「ポジションどこだった?」と聞かれ、正直に「レフトのアタッカーだよ。」といった。 そしてアタックをみせてほしいといわれた。 ネットが異常に高い!!! 今までの高さと比較にならなかった。 もちろんアタックは一度も入らず・・・・ アタッカーなんてうそついてるんだよと噂され、それに頭来て部活はやめた。 神戸でのバレー部は楽しかった・・・ 4回目の転校。これも辛かった。 今度は北海道の小樽だという。 私は親友と入りたかった高校へ入ったばかりの5月だった。 高校生活が楽しくて楽しくてしょうがない時期だった。 親友は別れるなんてとんでもないといって下宿をすすめた。 それを両親に言ったら、家族だからみんなが一緒にいないと、と父親に言われた。 私も妹も泣きまくっていた。 そして小樽へ行った。 関西から来ただけでヤンキーといわれた。 西宮の高校と明らかに雰囲気が違ってなかなかなじめなかった。 でもお友達には恵まれた。 不登校になりそうだった私を支えてくれたのは親友のおかげだ。 家では全く親と口を利くこともなかった。 それほど小樽の高校は自分には合わなかった。 第一小樽は一年の半分は雪の中。私は寒いところが一番苦手だ。 沖縄にあこがれてるのだから・・・ 冬は寒すぎて鼻毛が凍る。これにはまいった。 高校3年生の時は親友とクラスも別れてしまい本当に暗くて嫌な記憶しか残っていない。 卒業アルバムも買わず、卒業式にも出なかった。 以上!転勤族は本当につらい。。。 わたしだけ??? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.12.11 13:59:37
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