Nipponitesさんの覚書

2013/03/31(日)11:32

「PKを外す事ができるのは、PKを蹴る勇気を勇気を持っているものだけだ」 @電王戦

公式対局で初の男性プロ棋士がコンピュターに負けたという事で、ニュースになっている。例によってニュースは表面的にそれをなぞっただけ。それに触発されて、いつものごとく水に落ちた犬は叩けとばかりに、負けた棋士のブログに文字通り誹謗中傷を書き込むものも多数、そっちもニュースとなった 実際、私もプロ棋士がコンピューターと戦わない状況を「逃げ回っている」とおもっていた。賞金がどうのこうのというが、プロ棋士が稽古先に出張してもらうお金は数万円である。コンピューターが弱ければ、金額は問題にならない。コンピューターが強くない過ぎたからこそ、もう「稽古を付ける」相手ではなくなってしまったので、そこに名誉を含めた問題がでてきて、みなが金額を理由にしてしり込みするようになったのだ。 そして、実際その日は来た。けれどそれはもうわかっていた。清水女流や米長元名人が、現役男性棋士ではない代表として戦ったけれど、まるでコンピューターに歯が立たなかった時に誰もが感じていた。また、公式ではやらないが、プロが自宅でコンピューターソフトと対戦しているのはまちがいなく、プロ自身がまちがいなく、もうその日は来ているとわかっていたはずだ。 今回の電王戦5局の下馬評はあちこちあれど、コンピューター有利ではないか、場合によっては、コンピューター全勝ではないかというものすらあった。これは、先の女流と元名人が完敗した事からの推測だ。また将棋24で人間では叩き出せない高レーティングをソフトが持っていることがその実際的証明とされた。 しかし、時間のある将棋ではどうなのか?ソフトはほぼ満遍なく手を読むため、いくら時間をかけても読まなければいけない枝は指数関数的に増えてしまい、時間に比例してどんどん強くなるという事はない。 いっぽう人間は経験知とか大局観という名の知恵の中で、ある限定された枝を深く読むことができるし、その時点での形勢判断が正確であり、ここにコンピューターよりも先んじているところがある。 実際ソフトの形勢判断は評価関数によっとおり、それはプロの数万の対局から導いているものだが、そんなものでは、プロと同じ形勢判断能力があるはずがない。人間の脳のシナプスの数は、PC700台より多いんだから。 そして、プロの形勢判断は、経験的な勝ち負けから帰納的に導かれたものであるので、それは演繹法的な完全なものではないけれど、実際に使用する分においての実用性という面では、かなりに高く、そしてその数ある対極での経験値の高さと形勢判断の優秀さこそが、プロの面目躍如足るものなのだ。 ここにおいては、プロは圧倒的にソフトを凌駕している。これは今もってそうだろう。 さて、電王戦1局目はソフトがプロに貸し出されていたことも合って、阿部こうるプロは毎日持ち時間4時間の対局を続け、徹底してその弱点を研究していた。ソフトはその研究手順にはまった形で、仕掛けから中盤まで全部プロは研究済みというところに落とされてしまったのだから、これはソフトであろうが、人間であろうが、こうなってしまっては勝てない。プロ圧勝。 これは研究済みと知らなかった時点での観戦では、さすがプロ、貫禄の勝利とみえたものだから、人間応援側は沸きかえった。もっとも、大判解説のあくつプロも局面局面でソフトが優勢とは思えないとちゃんと判断していたので、プロならあの形に持ち込めば、研究してなくても勝てる展開であったのだろう。 最後はコンピューターが水平線効果の惨めな指し手を繰り返した後、投了。プロ強を思わせた。 さて、今回の二局目は、ソフト開発者であると同時に、東大将棋部にもいた、勝負師の開発者との戦いである。ponanzaの山本氏は、第一局をみてからかどうかは知らないが、なんと、ソフトの定跡を全部削除するという手に出た。まさに勝負師の開発者だと言わざるを得ない。 当然にソフトは現評価関数だけで、定跡知らずで指すわけだから、力戦形の変な将棋になった。囲碁では定石をほとんど知らないが、力だけはやたら強くて勝ちきる、なんて人がいるが、(将棋にもいるが、定跡ゼロはありえない)そういう、力自慢派。小池重明が化けてでてソフトにのりうつったかのようなものである(笑) 戦いの詳細は他の譲るけれど、早々と後手プロが飛先を交換できて十分な形に見えたが、先手ソフトの角打ち以降みるみる先手の形が整って、対ソフトでは勝ちにくい形。そのまま、押しつぶされるようにソフト圧勝かと思われたが、このへんの粘り越しはさすが苦労人のプロだけあって、62銀という受けをひねりだし、そのあとコンピューターらしい緩手があって逆転。中盤のねじり合いでは、後手プロが指しやすい形勢となる。 後手プロは入玉含みの37馬をとらず、王手飛車をかけて、はっきり勝ちにいったが、結果的にはこれがあやしくした。切った張ったの打ち合いはソフトが大得意。そして、この佐藤プロはそういう切れ味で勝負するほうではないのだ。みるみる形勢は接近し逆転、そのあとはソフトがプロ的な粘りを一蹴し(人間相手だと効果あるのかもしれないが、ソフトは一顧だにせず)そのまま押し切った 会見で負けたプロ棋士や関係者の意気消沈のさまはみてて気の毒なくらいで、ひごろ不遜ともいわれるソフト開発者が殊勝に答える分、それが勝者の余裕にも見えて、プロ棋士は一様に下を向く、人間敗北、を印象づかせる会見だった。野月プロの最後の言葉は視聴者を泣かせた。 負けたものを叩くのは簡単だ。しかし、負けるかもしれないと思いながら戦い続けるその努力をするのは、ものすごい精神力と忍耐力が必要なのだ。そして、それにもかかわらず負けてしまうかもしれないのが、勝負だ。いや、人生そのものがそういう仕組になっている。負ける経験なしには、勝者とはなりえない。 だから、勇敢に戦った、佐藤プロにはその勇気と努力は賞賛に値する。今日は勝てなかったが、明日また戦えば勝てるかもしれない。そうやって、人は自らを鍛え、切磋琢磨し戦い続けるのだ。逃げてばかりでは、負けはしないが、永遠に勝つチャンスなどやってこない。 ひきこもりニートか負け組みかしらないが、それが負けたプロのブログを荒らすというのは大変に遺憾である。将棋連盟に何をしている、と怒号するならまだいい。戦わない棋士を卑怯者と罵るのもまだ許そう。 しかし、果敢に戦った彼を誰が責める事ができよう。甲子園で7対0で負けた地方の選抜高校に怒号をあびせかける心性は日本人にはないはずだ。努力したことが重要なのであって、それが勝てばもっと評価されるが、負けたからといって誹謗中傷されるいわれはない、そう思うのだ。 佐藤慎一四段は勇敢だったし、その戦いぶりはずっと賞賛していい。 2ちゃんに書かれていた、サッカーのイタリア代表のバッジオの言葉を彼に送りたい PKを外す事ができるのは、PKを蹴る勇気を勇気を持っているものだけだ ps もうひとつ、中島みゆきの歌詞もある ファイト、戦う君の唄を、戦わないやつらが笑うだろう、ファイト!

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