NPOオール上尾市民活動ネットワーク(略称、AAN:エーツーエヌ)
秋池幹雄(090-9956-0480)です。
プリンス公園
検索しましたら、
興味深い記事が、
ありました。
【まちづくり】「請願駅」のはずなのに、市民が大反対!?―「北上尾」をめぐる謎:第1回
開業を巡って上尾市や駅開設に関して携わっていた第三セクターなどに様々な疑惑が持ち上がったことや、地元の反対運動があり、当時の新聞記事を大いににぎわせた「難産」の歴史があります。(抜粋)
1986年になってようやく新駅開業の動きが具体的になります。4月に上尾市が都市経済部に駅周辺対策室を設置、その翌月の5月には当時の上尾市長がトップとなって地元主導の駅建設促進期成同盟会(以下:同盟会)が発足します。
このただならぬ事態に「単なる駅開設の事業」に終わらない何かを予感した高校関係者や地元住民を中心として「教育と開発と住民自治を考える市民の会」(以下:市民の会)が発足し、より強く市民活動を進めていくことになります。
実は上尾市は1986年10月に、「北上尾(新駅)周辺整備計画」という計画を秘密裏に策定していました。
さらに同盟会と上尾都市開発が、市長がトップを務める組織であることや、上尾都市開発が安易に引き受けてしまった費用負担は財政上の裏付けがなされていないことや、右翼団体がなぜか出現するなど、北上尾駅の建設の裏にはただならぬものがあると、市民の会はその後も様々な調査を続けていくことになります。そして、様々な事実が明らかになっていくのです。
2017/6/22 【まちづくり】難題続きの駅建設とその街のいま-「北上尾」をめぐる謎:第2回
前回は計画段階でのさまざまな反対運動や経緯をご紹介しました。しかしその最中で建設を半ば強行的に始めてしまい、そういった課題や反対運動は依然残されたままでした。
そんな北上尾駅西口を見てみると、駅通路が不自然に曲がっていることに気づきます。これは前回説明した上尾高校移転に絡んで、駅前広場がずれたことによるものですが、この駅通路がとある市道を不自然に跨いでいることに気づきます。実はこの市道が再び論争を巻き起こすこととなります。
その流れの中で行われた1988年2月の上尾市長選挙では、駅建設推進の旗手であった旧市長が落選し、北上尾駅建設の見直しを訴えていた市長が当選しました。そのため1988年5月、駅の建設工事はいったん中断されます。
(抜粋)
この業者と上尾市との間では2000万円の他に様々な衝撃的な事実が明るみに出ました。開発計画を市側がリークする代わりに市職員が現金を受け取っていたこと。駅開設が明らかになる前の1985年頃から駅西口の土地を買い占め、市の公社へと転売していたこと。1987年の1月ごろから市民の会の活動を妨害し、脅迫を行っていた右翼団体に市道廃止異議申し立て書と住民の名簿が市から流出していたことなどです。
こういった「汚職」は全国報道によって全国民に知られることとなり、
1989年の11月、上尾市はついに独自調査によって
駅建設計画に関わった市職員16人を退職処分にします。
さらに財政上の負担も大きくのしかかり、
最終的に上尾商工会議所が3億円の負債を抱えることとなりました。
上尾市の未来をになうはずの新駅開設によって、
市民はもちろん、
上尾市も最終的には大きな痛手を負うこととなったのでした。
出典:まちづくり かぜみなさん 2017/6/22
ダイロクマチノテ代表・ライター・ポエマー 本屋と商業施設に想いをはせて、夢の跡を(強行日程で)訪ね歩く詩の人。 商業施設を訪ね歩いたり、商店街を歩いたり、バスに揺られて山奥のニュータウンにいったり、最近は離島に行くフェリーに乗るのも好きです。
上尾市の歴代市長
初代:下里金太郎(1958年~1963年)
2代:斎藤一布(1963年~1968年)
3代:下里光徳(1968年~1972年)
4代:友光恒(1972年~1988年)
5代:荒井松司(1988年~1996年)
6代:新井弘治(1996年~2008年)
7代:島村穰(2008年~2017年)
8代:畠山稔(2017年~ )