:smile: 「清水や」はJR秋葉原駅昭和通り口から浅草橋駅方向へ進み、清洲橋通りを左折してスーパー・ライフを左手にみながら神田和泉町交差点を渡った先にある、小さな立ち食いそば屋である。
宮田店長と話しをしていたら、実はお父さんはあの1960年代、読売ジャイアンツで救援投手として活躍し、
「8時半の男」といわれていた宮田征典さんだということが判明したのだ。自分も川上監督時代の野球をよく見ていたので宮田投手の記憶が残っている。野球の話をして常連になってくれているお客さんも多いそうだ。
「清水や」
住所:東京都台東区台東1-1-15 https://goo.gl/maps/Cinpza4QCPbeb8dg9
営業時間:6:00~18:30
定休日: 日・祝
https://bunshun.jp/articles/-/45035?page=3
宮田征典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E7%94%B0%E5%BE%81%E5%85%B8
宮田 征典(みやた ゆきのり、
1939年11月4日 - 2006年7月13日)は、
群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(投手)、
野球指導者、野球解説者。
日本野球界におけるリリーフ専門投手の草分け的存在で「8時半の男」と呼ばれた。
種部儀康は義兄。
孫に元高知ファイティングドッグスの宮田孝将がいる[1]。
「8時半の男」宮田征典 2009.10.07
https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20091007/bbl0910071608004-n1.htm
昭和40年12月、
東京・神田三崎町にあった
宮田征典投手宅を訪れた。
「20勝投手のオフ」を取材しようとアポなしで押しかけたところ、
宮田はちょうどショルダーバッグを肩にかけ、
北風の中、外出するところだった。
こちらにすれば、絶妙のタイミング。
「良かったら、一緒にどう?」という誘いにのって同行したところが、
なんと都内の「青山墓地」だった。
たまたま筆者の先祖の墓もその片隅にあったので、
それを告げると、彼はひどく喜んで、「案内しろ」と言う。
墓前に立つと、
次の瞬間、
彼はショルダーバッグから和紙と墨汁、
女性が化粧に使うパフのようなものなどを取り出し始めた。
わが家の家紋は「左三つ巴」なのだが、
彼は墓に彫られた家紋に和紙を当てると、
裏から墨汁を塗り、
パフで優しくなでたり、
たたいたり。
これが彼の何よりの趣味、家紋の拓本だった。
入社2~3年の若い筆者には、
こんな趣味もあるのか…と、新鮮というか、むしろ奇異にさえ感じられた。
いずれにせよこの一件で、
彼とは親しくさせてもらうことができるようになったのだから、収穫ではあった。
(略)