先日、自民党の古賀派と谷垣派が合流することが正式に発表された。2000年の「加藤の乱」以降、首謀者である加藤さんを支持するか、しないかで意見が別れ、宏池会は分裂状態となった。最近になって「中宏池会構想」、あるいは「大宏池会構想」などが取りざたされていたが、中宏池会構想が遂に実現することになった。以下は時事通信ニュースより引用。
古賀・谷垣派が合流=両派会長が合意、自民第3勢力に(時事通信)
自民党古賀派会長の古賀誠選対委員長と谷垣派会長の谷垣禎一政調会長は16日夜、都内のホテルで会談し、両派の合流で正式に合意した。新派閥の会長には古賀氏が就任し、谷垣氏はナンバー2の代表世話人となる。総裁候補は当面、明確にしない方針。お披露目となる5月13日の政治資金パーティーまでに新派閥の設立総会を開く運びだ。
旧宮沢派(宏池会)の流れをくむ両派の合流後、議員数は61人(衆院50人、参院11人)となり、第2派閥津島派(68人)に次ぐ党内第3勢力が誕生する。(引用終わり)
宏池会といえば加藤さん(現在は無派閥)。加藤さんといえば前述の加藤の乱である。超低支持率にあえぐ森内閣は誰も望んでいなかった。そういう国民の声を代弁していたのが当時の加藤さんだった。そういう印象を私は持っている。結果的に加藤の乱は失敗に終わり、森内閣不信任案も公明党欠席などの影響により否決された。そして宏池会は分裂した。
もともと宏池会は保守本流を自負する、ハト派の派閥であり、私は自民党は好きになれないが、何となく宏池会を応援したくなる。そんな感じだ。自民党内部でもリベラルな派閥だからだ。そして'60年代の池田勇人さんに始まり、宮沢派とも呼ばれてきた。
1998年に宮沢さんから加藤さんに会長が交代したとき、河野さん(現・衆議院議長)を中心とするグループが河野グループ(現・麻生派)を結成し、宏池会から離脱する議員が増えた。そして加藤の乱で堀内派(古賀派)と小里派(谷垣派)に分裂した。
しかし森派出身の小泉さん、安倍さんが政権を担っていた時、閣僚人事や党三役人事において、思想的に対立する古賀派、谷垣派は基本的に冷遇されていた。特に安倍政権になってからは谷垣派が徹底的に冷遇されていった。靖国神社の問題に関するスタンスの違い、ハト派の宏池会に対して、タカ派の町村派、麻生派。
安倍さんは自民党総裁選挙に勝利したとき、同じ対立候補でも麻生さんは厚遇されたけれども、谷垣さんは冷遇された。「靖国神社参拝を控える」という発言がきっかけになったのだろう。
しかし安倍首相の突然の辞任、福田政権発足を受けて谷垣派、古賀派(宏池会)は主流派に返り咲き。そして今回の中宏池会構想。宏池会の復活が期待できそうだ。しかし麻生派との溝は深まっていき、大宏池会構想はもう実現不可能になった。
中宏池会の結集によって自民党はどう変わるのだろうか。
何も変わらないと思うが、変な期待を寄せてしまうが、果たしてどうだろうか。
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Last updated
Jan 18, 2008 11:00:23 PM
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