2008/08/04(月)10:53
清原、ついに1軍復帰!だが・・・
今日のホークス戦を前に、清原が1軍登録された。そしてついに今日の試合の7回ウラ、695日ぶりに1軍のグラウンドに立ったのである。私は試合の様子をYahoo!動画で見ていた。相手は南海ユニフォームの大隣。初球から思いっきり振っていった。そして結果は三振。それでも私はオリックスファンとして、清原が再び1軍の試合に出場できたことをうれしく思った。
私が清原のことを初めて知ったのは1998年、野球というスポーツ自体に興味を持った頃である。同年の夏休み、小学校6年生だった私は初めて野球の試合を見に行った。大阪ドームでの近鉄VSオリックス戦。試合は3-7で近鉄が負けたものの、私は直接聞いた近鉄の応援歌がかっこよく聞こえた。かなりかっこいい歌詞だったのを覚えている。それが、私が近鉄ファンになったきっかけである。
当時の私は清原=巨人というイメージしかなく、西武の選手だったことは想像もつかなかったのが正直なところである。それから清原の存在を憎たらしいと思った。なんせ巨人のホームランバッターであるから。アンチ巨人の人々が憎むのは当然だったのかもしれない。
しかし2004年に入って清原は故障に悩まされるようになり、その年はわずか40試合出場(12本塁打、27打点)という最低の成績に終わった。2004年の巨人にはローズ、小久保、ペタジーニといった他球団から移籍してきた強打者がいた。清原は当時37歳。堀内監督は彼を構想外選手とし、彼は解雇されそうになった。ちょうど合併球団(オリックス・バファローズ)の監督に就任した仰木さんから「大阪に帰って来い」とオファーを受けて、本当に合併球団に移籍してしまうのではないかと世間は注目していた。しかし彼は「泥水を飲む覚悟」という言葉を残して巨人残留を果たした。スキンヘッドになったのはそれからだ。私が考えるに、それから清原の野球人生が大きく変わったような気がする。
翌年は96試合に出場。22本塁打を打ち、復活したように見えるが、夏休み以降は1軍登録を抹消された。そして10月2日頃だったか、シーズン終了を待たずに巨人から戦力外通告を受けた。その当時のメディアは、'97年にFAで獲得した大物選手の解雇を紙一枚で発表するなど、巨人の選手に対するそっけなさを批判していた、と私は記憶している。
私の清原に対する見方が変わったのはここからである。
2005年12月15日、仰木さんが亡くなった。(同年12月16日の日記)その数日後、彼はオリックス移籍を決意する。背番号は引き続き5。彼の強い意気込みを感じた。ちょうど私も2006年からオリックスを応援するようになり、「まさか清原を応援することになるとは・・・」と感じた。
2006年開幕戦(@西武ドーム)、清原のユニフォーム姿を見た私は新鮮に感じた。今まで清原=巨人というイメージしかなかったが、それが崩れたわけである。以下の表はその開幕戦(3月25日)のスタメンである。
(二)塩崎
(中)平野恵
(左)谷
(三)中村紀
(指)清原
(一)北川
(右)ガルシア
(遊)阿部真
(捕)日高
(投)川越
そしてこの日記には書いてないが、同年8月15日に私は千葉マリンスタジアムに応援に行った。スタメンに清原の名前がコールされたとき、私はうれしく感じた。レフトスタンドで他の人々に混じってオリックスを応援した。清原も応援した。もちろん初めてのことである。しかし結果は連続三振だったと思う。私の後ろから「お前、それでも4番かーーーっ!」という野次が飛んだ。大選手の宿命である。それでも私は初めて清原を直接見ることができてうれしかった。
2007年はシーズン開幕前に古傷の左ヒザにまたケガを負い、難しい手術を受けた。プロ野球選手で再起した者はないといわれる、軟骨を取り除く手術である。5月頃には「このままでは引退するかも分からん」という趣旨の発言もした。当時の私は衝撃を覚えた。そして昨年は一度も1軍の試合に出場できず。それでも彼は復活を目指してリハビリを続けた。
そして昨日、2年ぶりに1軍登録された。しかし昨年のよりもっと衝撃的な言葉を口にした。
「このままでは左ヒザが壊れてしまって、二度とグラウンドに立てないかも分からない。3日からの1打席1球を自分の野球人生の集大成だと思って、バットを振り込んでいきたいと思う」
事実上の現役引退発表である、といくつかのメディアは報じたが、まだ正式に引退発表はしていないから分からないというのが私のスタンスなので、できれば来年もまた現役のままいてほしい、というのが私の願いである。 すでに清原と同年代の選手はそのほとんどが現役を引退している。桑田さんが今年3月に現役引退を発表した。昨年には古田さん、佐々岡さん、吉井さん(現日本ハム投手コーチ)も現役を引退した。高津さんはヤクルトを退団し、韓国プロ野球で最後の現役生活を送っている。
ひょっとしたら、私が清原のプレーを見れるのは今日が最後かもしれない。でもまだ「さよなら」は言わないでほしい。私もできればもう一度、球場で応援したい。仰木さんは死ぬまで彼を誘ってくれた。仰木さんが叶わなかった夢、プレーオフ進出という夢を実現させるまで、引退しないでほしいというのが、私の清原選手に対する願いである。