南海ホークス、阪急ブレーブスという名前が消滅して今年で20年になる。南海は1960年代から'70年代前半にかけて、阪急は'70年代にそれぞれ黄金時代を迎えた。特に阪急は'75年から4年連続リーグ優勝、3年連続日本一という偉業を達成した。
しかしメディアのスポットライトが当たることが少なかった当時のパ・リーグ。南海、阪急両球団とも他球団と同様、観客動員数の低迷に苦しむことになる。特に阪急の場合、ライバルの阪神が同じ西宮市をフランチャイズとしていたからなおさらだ。
かつて日本プロ野球界を支配していた産業は鉄道会社だった。プロ野球チームという最高のコンテンツがあると、ファンが自分たちの電車を利用して球場に来てくれるからだ。新たな乗客を呼べる事業だったのだ。しかしその考えもやがて通用しなくなってきた。
1988年4月。南海ホークスの川勝オーナーが死去。彼は「自分が生きているうちは、ホークスを売らない」という強い意志を持っていた。彼のおかげで南海ホークスが1988年まで延命できた。南海本社ではそれ以前から関西空港建設と連動していた難波駅再開発計画を進めており(昨年完成)、球団の人気低迷の時期と重なったので球団を売却するのには都合が良かった。
代わって就任した吉村オーナー(経理部出身)は、真っ先にホークスの売却に目をつけた。そんな中、ホークス買収に名乗りを挙げたのはダイエー。福岡にプロ球団を誘致する構想とリンクし、9月には双方の思惑が一致してホークス売却が決まった。
1988年10月20日。10.19の次の日だったが、川崎球場で南海ホークスとして最後の公式戦が行われた。15日の本拠地最終戦では満員のファンに囲まれて大阪球場を後にした。20日の試合は3-5で敗れた。こうして南海ホークスの歴史は幕を閉じ、福岡ダイエーホークスがスタートしたのだった。
現在の大阪ではホークスファンは大勢いる。私も昨年、大阪ドームや神戸スカイマークスタジアムへ観戦に行ったが、熱心なホークスファンが大勢いたのが印象的だった。それは福岡に移転してから親会社のダイエー、ソフトバンクが「関西でのファンのシェアを拡大したい」という思惑を持っているにせよ、過去を大切にしている証だと思う。
その証として今年、球団発足70周年を迎えたホークスは交流戦(阪神戦)、およびオリックス戦において南海ユニフォームを着用した。オールドファンにはたまらないファンサービスである。
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Last updated
Aug 25, 2008 09:47:29 PM
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