昨日の前編では、主に
南海について話を書いた。今日は
阪急ブレーブスのその後について話をしたい。
阪急は巨人についで2番目に古いプロ野球チームである。
阪急は'70年代後半にパ・リーグの盟主として名を馳せるが、'80年代になるとその座を
西武に譲り、再び地味な球団になった。最後の優勝は1984年(日本シリーズでは
広島に敗れた)。それ以降は低迷していたが、
南海ホークスが
ダイエーに身売りされても
「阪急は無事だろう。しばらく売却されずに続くだろう」と多くの野球ファンは予想していたらしい。
しかしその日は突然起きた。
1988年10月19日、阪急電鉄が突然、ブレーブスの売却を発表したのだ。売却先は
オリエント・リース(現在の
オリックス。総合商社ニチメンと三和銀行の共同出資により設立されたリース会社である)という大手ノンバンク企業である。これによって、
ついに鉄道会社がプロ野球界を牛耳る時代が終わったのだ。
それと同時に山田久志、福本豊という
阪急の黄金時代を支えた2人が同時に引退。10月23日。
阪急ブレーブスとして最後の公式戦が西宮スタジアムで行われた。こうして
阪急ブレーブスの50年以上の歴史が幕を閉じた。
時代は昭和から平成に変わり、日本プロ野球もひとつの時代が終わった。
オリックスに親会社が代わってからは、阪急時代の記憶が急速に薄れていった。チーム名もブレーブスから、ブルーウェーブに変わり、本拠地も西宮スタジアムから、グリーンスタジアム神戸になった。
そんな中登場したのがイチローだった。'94年にはシーズン200本以上の安打を打った。こうしてイチローは一躍、日本プロ野球を代表する選手になった。
オリックスは震災が起きた'95年に優勝を果たし、神戸の人たちを勇気づけた。「がんばろう神戸」が合言葉になった。翌年には日本一も果たした。'77年以来19年ぶりの日本一である。
しかしイチローや田口が抜け、仰木監督も退任してからは急速にチーム成績が悪化。2002年には87敗、'03年には88敗、そして'04年には83敗。このように3年連続の最下位。阪急時代でも経験しなかった初めての屈辱だった。
最大の問題点は
南海→
ダイエーと違い、阪急時代の歴史を継承しなかったことだろう。先進性といえば聞こえは良いが、
現在に至るまでオリックスには阪急時代のユニフォームの復活という話は聞いたことがない。
宮内オーナーも日本経済の再建に関する会合には積極的に参加するが、
ブルーウェーブ再建には全く消極的だとファンからは捉えられた。そして「
宮内オーナー、日本経済再建の前にブルーウェーブを再建せよ!」という横断幕が掲げられたこともあった。
宮内オーナーは財界きっての野球好きだと自称する。だが球団の歴史の重みというのを理解しているのだろうか?
オリックスが2004年まで歩んできた歴史の重みを、どう感じたのだろうか?
私は球団合併について、
オリックス・ブルーウェーブと
オリックス・バファローズは
全く別のチームだと考えている。
あるホームページでは、かつて阪急ファンだった人の球団売却についての声が書かれている。
「信じられなかった。確かに、赤字球団。だが、阪急グループのシンボルは、このブレ-ブスと、宝塚歌劇団だったではないか。
しかし、前オーナーから受け継いだこの時のオーナーはシンボルと考えてなかった。
阪急サイド、オリックスサイド、どちらが考えたか知らないが、パリーグの優勝チームを決める大事な日に、こんな発表し強烈な宣伝効果を狙ったことが、悔しい。
長い阪急ブレ-ブスの歴史の中で最大の汚点であり、現場の選手、スタッフ、ファンを無視した野球を全く理解しない経営者たちの行動が、腹立たしかった」
現在のオリックス本社の球団に対する姿勢も、おそらくこのときから始まっていたのかもしれない。「プロ野球チームは、グループの宣伝材料に過ぎない」