先日、菅首相は3自衛隊の幕僚長(統合幕僚長)と会談したが、首相はシビリアンコントロール(文民統制)という基本原則を認識していなかったという報道があった。
菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」(19日、朝日新聞)
菅直人首相は19日、首相官邸で北沢俊美防衛相に「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」と述べた。憲法66条は「大臣は文民でなければならない」と規定しており、これを知らなかったかのような発言は、シビリアンコントロール(文民統制)への理解の浅さを露呈したと批判されそうだ。
首相は、この日開いた自衛隊の折木良一統合幕僚長ら制服組首脳との意見交換会を前に、北沢氏との雑談の中でこうした発言をした。
意見交換会のあいさつでは「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と語った。これまで、そうした自覚がなかったと受け取られかねない発言だ。
意見交換会を終えた折木統幕長は、記者団に一連の発言について聞かれて「本当に冗談だと思う。指揮官としての立場は十分自覚されている上での話だと、私は認識している」と語った。
(引用終わり)
冗談じゃ済まされないことだ!シビリアンコントロールを軽視していたら大変なことになる。戦前日本の歴史を忘れたのだろうか。
戦前日本には軍部大臣現役武官制という制度があった。軍部大臣(陸軍大臣、海軍大臣)の就任は現役の軍人に限るという制度で、民間人が軍部を統率するシビリアンコントロールと対極にあるシステムである。1900年に山県首相の下で創設され、1913年に一旦廃止されたが日中戦争中の1936年に復活した制度である。
この制度下では首相と軍部大臣との間で意見が食い違った時、軍部大臣が一方的に辞職し、陸軍省または海軍省が後任の軍部大臣を出さないことで、軍部が合法的に倒閣を行うことが可能となった。
特に2・26事件以降は軍部の発言力が強くなり、首相候補の政治家が天皇から組閣命令を受けるときには軍部の同意が必須となった。一例として1937年に宇垣一成が組閣命令を受けたが、陸軍が陸軍大臣の候補者を出さなかったために最終的に組閣を断念するということもあった。このように、軍部が内閣の生殺与奪の権利を持っているのであれば、民主的政治を続けることが非常に難しくなる。軍部が暴走したことも一因となって、日米開戦、そして悲惨な結果となったことは忘れてはならない。
その反省として、日本国憲法第66条には「首相その他の閣僚は文民でなければならない」というシビリアンコントロール規定が置かれている。つまりかつての職業軍人はもちろん、現役の自衛官が閣僚に就任することはあってはならないことだ。
菅さんは市民運動家出身だが、私は「アマチュアに政治を任せたらやっぱり危ないのでは」とつくづく感じたことがある。厚生大臣で薬害エイズ問題を担当したときに厚生省の責任を初めて認め、原告団に謝罪したことは評価されるべきである。しかし憲法解釈の正しい理解はもちろん、国政の重要問題に対する取り組み、官僚や国民に対する人心掌握術に長けたプロに政治を任せた方が良いのではないか。もし日本が大統領制の国だったとして、いわゆるアマチュア出身で国政に対する認識度が低い人が大統領に選ばれたら大変なことになるだろう。だから大統領制は支持できない。
今回の記事を読んで、そう感じた。
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Last updated
Aug 21, 2010 10:35:56 PM
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