私は現在、U-NEXTでアニメ「ラブライブ!スーパースター!!」を視聴しています。「ラブライブ!」シリーズで第4作目となる作品で、物語の舞台は東京都渋谷区原宿および港区表参道、青山エリアです。
「ラブライブ!」シリーズで舞台となった地域を振り返ると以下の通り。
第1作目:通称「無印」(μ'sの章)
千代田区神田、神保町エリア。
第2作目:「ラブライブ!サンシャイン!!」(Aqoursの章)
静岡県沼津市。
第3作目:「虹が咲学園スクールアイドル同好会」
港区お台場エリア および 江東区有明エリア。
第4作目:「ラブライブ!スーパースター!!」(Liella!の章)
渋谷区原宿 および 港区表参道、青山エリア。
第5作目:「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」
(まだアニメ化は発表されていません)
石川県金沢市。
特に「スーパースター!!」の舞台である原宿、表参道、青山は、私が小学生だった頃から接点のある地域でした。
例えば、私が小学校低学年の頃、通っていたピアノ教室の発表会がドイツ文化会館・OAGホール(港区赤坂7丁目)で開催されました。OAGは赤坂にありますが、最寄り駅が青山一丁目駅でした。他にも同じ年代に、私は父と一緒に紀ノ國屋(青山店)へ出かけたこともあります。
いずれも当時は、父の運転する車で行く場合もありましたし、電車で行く場合もありました。特に私は当時から電車で移動するとなるとテンションが高まる性分でした。表参道駅に初めて降り立った際には、銀座線の01系電車を見て大興奮。紀ノ國屋からの帰り道では、父にせがんで渋谷まで銀座線で移動しました。
1996年(当時小4)の夏休み最後の日曜日には、家族総出で原宿へ移動。東急新玉川線→半蔵門線→千代田線というルートで、明治神宮前駅で下車。昼食のオムライスを食べた後は、シルク・ドゥ・ソレイユのサーカス(アレグリア)の公演を見に行きました。
以上が私の小学生時代の話。書くだけで、平成初期の東京が甦ってきます。東京メトロはまだ営団地下鉄でしたし、原宿駅周辺の再開発が始まるかなり前の話です。
時代が飛んで、私が高校生だった時代。私はとある事情で、原宿駅(または明治神宮前駅)でたくさん下車するようになりました。原宿には、私が当時ドハマりしていた海外アニメのグッズを扱っているお店があったため、足繫く通ったという思い出があります。
当時、私は渋谷駅をよく利用していました。東急線・半蔵門線からJRに乗り換えるため。渋谷で寄り道するため。ほぼ毎日、渋谷駅で寄り道していたので、半蔵門線渋谷駅の構内図は熟知している!・・・と、妙な自信を持っていました。
私にとって、渋谷こそが、自分の青春の城だったのです。
父も東京に移住して現在、35年。数々のJRのターミナルを知っていますが、一番馴染みがあるのは、やっぱり渋谷駅です。父は今でも東京在住のベルギー人として、渋谷の町を見続けています。
しかし、令和という時代を生きる私は、大きな事実に気が付いてしまいました。それは、神田、神保町にしろ、原宿、表参道にしろ・・・、私にとっては東京都自体が非常に遠い存在になっていたことです。
私は2021年7月23日をもって、東京人として生きるのを辞めました。私は、東京に対しては反発、失望、幻滅といった気持ちがあるのです。
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Last updated
Sep 3, 2023 09:12:21 PM
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