大日本帝国本土決戦用、秘匿飛行場は丸見えだった
本土決戦、一億玉砕に向けて大日本帝国は多くの秘密基地を作った。 特攻艇の基地、地下基地もあったが「秘匿飛行場」もあった。 軍隊とは不合理なものだが、太平洋戦争末期は文字通り「末期的」策が次々実施された。 適切な燃料もないのに飛行機を飛ばせば鬼畜米英に抵抗できると不合理な考えをいだいた。 米軍に丸見えだった「秘匿飛行場」空撮写真、米で発見2019年8月15日 朝日新聞 …(略)… 写真に添えられた報告書によると、倉吉を偵察したのは米陸軍第3写真偵察戦隊に所属する偵察機F13。 1945年8月6日、上空約9500mから撮影し、付近に掩体(えんたい)(敵の攻撃から飛行機を守る施設)や駐機場はなく、飛行機も見当たらないと報告している。 写真には「KURAYOSHI AIRFIELD」(倉吉飛行場)と記載があり、コード番号「90・26―2631」が付けられている。 工藤さんによると、飛行場名を特定し、コード番号もあることから、撮影前から米軍は倉吉の秘匿飛行場を認識していた可能性が高いという。 秘匿飛行場は全国に40ほどあったとされ、倉吉とは別のいくつかの秘匿飛行場についても米軍が空撮した写真が残されていることが分かっている。 それらの写真にも同様にコード番号などが記載されているといい、米軍が各地の秘匿飛行場を認識していたとみられるという。 ― 引用終り ― 日本の八木博士の考案したレーダーの時代に、必要以上に灯火管制を強いていた。 米軍はあらゆる科学的手法で日本を分析していた。 日本軍は軍人が一番優れているとして、武器、弾薬以外に民間の力を活用しようとしなかった。 生産を統制し、質の悪いものでも大量生産をし成果とした。 日本は敗戦を正しく総括していないので、戦後の民間企業は軍人精神の悪いところも多く引き継ぎ継続した。 ■偵察機F-13 F-13は、超空の要塞と呼ばれた爆撃機B-29を偵察用に改造したもの。 与圧室とエンジンに排気タービンを備えたことで、高射砲や邀撃機の届かない高高度からの撮影飛行が可能。 軍事目標の確認、爆撃成果の評価のための写真を提供した。 F-13が装備したのは、垂直写真はK18カメラ(約600ミリ)とK22カメラ(約1,000ミリ)。 角度30度で斜め俯瞰写真を撮影するトライメトロゴンカメラ(約150ミリ)。 3種類の撮影機を計6台搭載していた。 夜間撮影時は照明弾と同期させてシャッターが切れる、K19カメラ(約300ミリ)を搭載した。 F13は爆弾をまったく搭載しない。 前部爆弾倉は撮影用機材を搭載。 後部爆弾倉は航続距離を伸ばすための燃料タンクが搭載された。