名機になれなかった傑作機 P-40(1)P-36~P-40
P-51と比較され、凡庸な駄作機とされるP-40を、駄作と決め付けることはできない。 「無事これ名馬」という言葉も戦場においては真実の一つ。 機械として故障が少なく、被弾耐性が強く、パイロットの生残性が高いのは、立派な軍用機としての取り柄。 零戦や一式陸攻など、撃たれ弱い(有効な防弾装備を持たない)機体が、多くの名パイロット、名将を死に導いたことを思えば明らか。 戦争の基本は物量と物量の戦い。 悲しいかな、武器、弾薬、糧食だけでなく「人」も物量のうち。 生産を消費が凌駕するとき、勝敗の大局が決する。 例え物量豊富な米国でも、ダメ飛行機を13,738機も作る余裕はない。 しかもP-40は連合国各国に供与され、様々に使用されている。 愛称は三種類。 A型からC型は「トマホーク (インディアンが用いた斧)」。 D型とE型は「キティホーク (ライト兄弟が初飛行に成功した場所)」。 F型以降は「ウォーホーク (米国で「タカ派」を指すスラング) 」。 英空軍ではF型以降もキティホークと呼ばれた。 全ての愛称に共通「ホーク」は P-40 の前身 P-36 ホークからきている。 P-36 は、1920年代から1930年代前半の米陸軍航空隊主力戦闘機、ボーイングP-26の後継機として開発された。 試作機はエンジン不調もありライバルのセバスキーP-35に敗れた。 エンジンの換装でさらなる高性能を発揮した近代的な低翼単葉引き込み脚戦闘機。 第2次世界大戦初期、太平洋戦線初期に活躍。 低空での機動性が高く、フランス空軍への輸出型はドイツ空軍の主力戦闘機メッサーシュミットBf109Eでも容易ならざる相手だった。 P-36は大馬力では無い空冷エンジン搭載機であり、速度性能や防弾性能に余裕をもたせた大出力エンジン版が開発された。 1937年からテストを開始したXP-37/YP-37はターボチャージャーが不調だった。 当時の圧倒的工業先進国である米国でさえ(ドイツでさえ)ターボチャージャー(排気タービン)を実用化するには困難が伴った。 1938年、P-36を、空冷エンジンから液冷の過給機装備のアリソンV1710エンジンに換装した性能向上型・XP-40が初飛行。 最高速度がP-36Aより50km/h近く(P-36Aが高度3,050mで最大速度504Km/hに対して、高度3,700mで最大時速550Km/h)速かった。 直ちに量産が発令され米陸軍航空隊の主力戦闘機として採用。 武装は機首の12.7mm機銃2挺。 工業力に秀でた米国なれば、空冷から液冷への転換で、エンジン関連の大きな問題も発生しなかった。 量産型のP-40は更に設計を洗練し機体構造を見直して、最大時速を575km/h(高度4,600m)に向上、武装も12.7mm機銃×2に加え、主翼へ7.62mm機銃×2に強化された。 米陸軍が要求しなかった高高度性能以外、問題はなかった。 * * 同じくアリソンV1710シリーズ搭載のP-39エアラコブラも、P-40も、マーリン・エンジンを搭載すれば「名機」になった可能性がある。 P-40Fはエンジンをマーリン28型(パッカード・マーリンV-1650-1)に換装。 弱点だった高高度性能が向上した。 軽量化をはかったP-40Nや高高度性能向上型P-40Fは、侮りがたい好敵手として大戦終盤まで活躍した。 XP-40Qは2段式スーパーチャージャー装備のV-1710-121に換装。 水滴型風防、冷却システム更新など徹底改良され高高度性能は向上、最高速度680km/hとなりP-40最高性能モデルだった。 が、P-51などに及ばないため採用とならなかった。 P-39の発展型P-63B(キングコブラ)でパッカード・マーリン V-1650-5エンジン搭載型が計画された(計画のみ)。 マーリンエンジンは実績のあるP-51に優先的に供給された。 * * マーリンエンジンがなかったら、スピットファイアは名機になれなかった可能性が高い。 大戦を通じて性能向上させ活躍したスピットファイアは、排気量を大きく変えず、スーパーチャージャーの性能向上により大馬力化と高空性能を向上させたロールスロイス(パッカード)/マーリンエンジンにより進化していくことができた。 手のこんだ楕円翼とて、エンジンの性能が低ければ真価を発揮しえない。