テーマ:その他金融(128)
カテゴリ:経済
東海地区は元来豊かな地域だ。 濃尾平野を中心に農産物は豊富。 トヨタがあったこともあり紡績機械製造も発達。 それらが三菱や愛知の航空機を支え、敗戦後は自動車産業の興した。 預金者はいても借り手がいないので金融機関が困っているという話があったが、貸し手の銀行も選別されていたことを知った。 世界に冠たるトヨタは敗戦後、ドッジラインによる不況と激しい労使対立で倒産の危機に立った。 住友銀行が貸さなかったのはバンカーとして正当かもしれない。 だが、企業と雇用の存続に関わることだけに貸してもらえなかったトヨタは忘れない。 トヨタは銀行が都合のいいときだけカネを貸してくれる存在であることを骨の髄まで記憶した。 これが後の「無借金経営」につながったのだろう。 トヨタ創業者を死に追いやった住友への恨みと不信 2015年1月8日 ビジネスジャーナル …(略)… ●東海地方で広がる、住友と三菱への不信 東海地方は元来、旧東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の牙城だった。 東海銀は強力な営業力を誇り、大きな存在感を示していた。 トヨタが東海銀を支えてきたといっていい。 トヨタの協力企業は東海銀から融資を受け、トヨタは東海銀と旧三井銀行(現三井住友銀行)の2行を優遇し、住友銀行とは絶対に取引をしなかった。 これには理由がある。 戦後の1950年、ドッジ・ライン不況でトヨタが倒産寸前に追い込まれたとき、三井銀(当時は帝国銀行)、東海銀を中心とする銀行団が緊急融資をした。 当時、三井・東海と共に主力銀行の1つだった住友銀行(当時は大阪銀行)は、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と、にべなくトヨタの緊急融資の要請を断り、さらに貸出金の回収に走り、トヨタとの取引を打ち切った。 この交渉での心労がたたり、創業者の豊田喜一郎氏は1952年3月に急逝した。 トヨタの歴代社長は、この仕打ちを決して忘れなかった。 65年、トヨタは経営危機に瀕していたプリンス自動車の救済を、プリンスのメインバンクである住友銀の堀田庄三頭取から懇願された。 トヨタの石田退三会長は「鍛冶屋の私どもでは不具合でしょうから」と堀田頭取の要請を拒絶した。 トヨタと住友銀との取引が再開するのは、三井銀の後身のさくら銀行と住友銀が合併して三井住友銀行が発足してからだ。 ただし、取引窓口は旧三井銀出身者に限っていた。 三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)は、トヨタの倒産危機の時に再建案に消極的だったと伝えられている。 最終的に再建案に同調するが、これがたたった。 三菱銀行のトヨタとの取引は、海外決済などに限られていた時期が続いた。 …(略)… 海外から多額の工作機械を購入して資金繰りに窮したホンダは三菱銀行に救われた。 正確には三菱銀行京橋支店。 だからホンダは三菱系。 オデッセイ発売前、売れる車を持たないホンダが三菱自動車に吸収合併「される」という話が巷間を賑わしたこともあった。 プリンス引き受けた日産は、プリンス・カラーを消し去ることにやっきになっていた。 技術の日産以上にプリンスが技術力を誇っていたことも原因のひとつだろう。 結果、相乗効果は生まれず、No.1トヨタとNo.2日産の時代が続いた。 そうこうしているうちに日産は、バイク屋のホンダに台数や利益で追い越されるようになった。 資金を欲するものに大銀行は金を貸したがらない。 エコノミストは根拠のない規模の利益に屁理屈をつけて、世間の目を欺く。 中京圏はトヨタとともに、しばし安泰! 苦しいのは企業だけにあらず。 2017年3月28日 まぐまぐニュース!
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いやはや全く!銀行業界で働く身としても、住友のえげつなさは、痛切に身に染みており、その有様には辟易としている。
住友銀行出身者は、取り込んだ企業で傍若無人に振る舞い、そのえげつない企業理論を振りかざし、そこのプロパー社員達をなます切りにして行く。 まさに、この銀行ありてこの行員あり! 令和になった今でも、彼等の蔓延る企業の至る所で小さな「鍛冶屋、鋳掛屋」事件は起こっている。 (2019年12月21日 01時11分25秒)
ねこぱんちさんへ
日本の成長率の低下で、すべての実業界の「住友銀行化」がすすんでいるようです。 豊かになってモラルが低下するのは、戦後に日本に宗教心が無いせいでは、と疑心をいだきます。 大災害の発生が、世界主教に共通の「慈悲心」の重要性を次世代に伝えているようです。 トヨタが住友銀行につけているケジメはとても大事なことと思います。 (2019年12月22日 08時40分27秒) |
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