テーマ:日月神示(43)
カテゴリ:寺社、パワースポット、予言
1944年6月10日、千葉県成田市の「麻賀多(マカタ)神社」の敷地内にある末社「天日津久神社」にて、不思議な出来事起こった。 岡本天明(1897年~1963年)が誰もいない社務所で休んでいたところ、突然右腕が怒張し、激痛が走り出した。 画家である天明は、外出するときは、筆と画仙紙を持ち歩く習慣があり、筆を画仙紙にあてた。 すると勝手に右手が動き出し、文字のようなものが本人の意思と関係なく書き示された。 初めて天啓の書『日月神示』が示された。 その翻訳文が有名な下記の文章。 富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる 仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である 自動書記を体験する以前に、天明は大本(教)と関わっていた。 1920年、22歳の時に天明は大正日日新聞社に入社し、大本と関わる。 1921年、第一次大本事件で失職。 1925年、 人類愛善新聞(大本の機関紙)の創刊に際し編集長に就任。 1935年、第二次大本事件、政府の徹底した弾圧により大本の組織、施設は壊滅状態。 その後16年の間、天明は神託を記し続け、1961年、最後の「日月神示」を書記して2年後、68歳でこの世を去った。 天明を通じて示された大量の文字は、一から十、百、千、万といった漢数字と、かな、独特の記号が混じった文章であったため、天明自身でさえ意味が分からなかった。 天明の死後も妻の岡本三典や様々な人々が、解釈に挑み、次第に解読がすすんだ。 1976年、『原典日月神示』、1991年、神示の第二訳私解(一二三神示第二仮訳)を三典が発表した。 研究の結果分かったのは、現在、悪の世になっている事を神は見抜いているので、神のしかけで悪は消滅し、三千世界に大変革が起こり「ミロクの世」に変わるといった内容。 「世の中の九分九厘が悪神の天下になったときに、最後の一厘で神業が発動され、大どんでん返しがおこり、世の建て替え建て直しが一気に始まる」という、「神一厘の仕組み」が発動するという。 ただし、日月神示の読み方や解釈は8通り有ると神示にあり、その内の1つ、2つに成功したけとの認識が『日月神示』の研究者の間では一般的。 神から下りてきた言葉の自動書記、悪の世が厳しい選別(三千世界の大洗濯、大峠)を経て劇的変化を遂げ、最後に一気に良い世の中に変わる(三千世界の大建替)という転換の構造は、大本(教)が示すところも日月神神示も同じ。 この世に未来と未来への備えを伝えてくれた主な神は、大本では「艮の金神(うしとらのこんじん)」と名乗った「「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」。 天明を通じて「天之日月神」により伝えられたのも「国之常立神」の言葉とされる。 出口直のお筆先(大半ひらがな)に王仁三郎が漢字をあてたのが『大本神諭』。 直の死後発表されたのが、出口王仁三郎の著書『霊界物語』。 天明の自動書記を三典が表記したのが『原典日月神示』。 その解釈が『一二三神示第二仮訳』。 この関係も双方似ている。
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最終更新日
2018年10月11日 21時17分36秒
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