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テーマ:神社仏閣(339)
カテゴリ:寺社、パワースポット、予言
■開祖、役行者 修験道は、飛鳥時代に役小角(役行者)が開祖。 役小角は634年(舒明天皇6年)生まれ、701年 (大宝元年)没とされる。 飛鳥時代の呪術者である。 伝説的な人物となっており、開祖に関する史実は 不詳。 役小角は終生を在家のまま通した、との伝承から、 開祖の遺風に拠って在家主義となっている。 ■修験道 修験道は、平安時代のころから盛んに信仰される ようになった。 その教えは、古神道(仏教伝来以前からの日本土 着の神々への信仰)と、仏教の信仰とを融合させる 「神仏習合」の動きの中に求められる。 鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立 した。 江戸幕府は、1613年(慶長18年)に修験道法度を 定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のど ちらかに属さねばならないこととした。 ■主な修験道の神々 ・蔵王権現(ざおうごんげん) ・愛宕権現(あたごごんげん) ・若一王子(にゃくいちおうじ) ・九十九王子(くじゅうくおうじ) ・前鬼・後鬼(ぜんき・ごき) ・一言主(ひとことぬし、元は賀茂氏の祖神) ・天狗(てんぐ) 修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行うことに より、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳 信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教。 修験道の実践者を修験者または山伏という。 ■明治政府による「修験道禁止令」 1868年(明治元年)、「神仏分離令」 1872年(明治5年)、太政官第273号「修験道廃止令」 発布。 修験道を廃止し、本山派修験・羽黒修験は天台 宗に、当山派修験は真言宗に所属するものとした。 多数の寺院は廃寺、または神社に変更し生き延び た。 「修験道廃止令」以降、公には山伏は存在しなく なった。 さらに明治政府は、山伏の収入源であった行為を 禁止する命令を相次いで出した。 1873年(明治6年)、教部省達第2号。 狐憑きを落すような祈〓をしたり、玉占いや口寄 せを業としている者が庶民を幻惑しているので、 そのような行為を一切禁止。 1874年(明治7年)教部省達第22号別紙教部省乙第33号。 禁厭、祈祷等を行ない、医療を妨げ、湯薬を止め ることの禁止。 1860年(明治13年)太政官布告第三十六号 …旧刑法第427条第12号。 妄りに吉凶禍福を説き、又は祈祷、符呪等を為し、 人を惑わして利を図る者を拘留または科料に処す。 1882年(明治15年)内務省達乙第42号別紙戊第3号。 禁厭、祈祷等を行なって病人の治療、投薬を妨げる 者がいれば、そのことを当該省に報告すること。 明治政府は、欧米と対等の立場にたてるよう、近代 国家形成を目指し、中央集権的政府の確立をはかった。 そのため、天皇を中心とした祭政一致国家の建設の ために「国家神道」で、尊王思想を普及させた。 神社神道を国家の宗祀とするための政策が進められ た。 廃仏毀釈もその一環。 神仏習合の山伏や修験道は国家神道普及の障害の大 きな要素だった。 山伏の悪評を最大限に利用して仏教施設や仏具もろ とも民間に普及していた修験道を消滅させようはかっ たのであろう。 ![]()
最終更新日
2018年05月02日 22時00分10秒
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