カテゴリ:モータースポーツ(4輪)
1970年代の話。 レース・オブ・チャンピオンズが、F1とF5000 の混走で行なわれていた時期があった。 当時のF1は3L自然吸気エンジン。 DFV+ヒューランドのミッションの全盛期。 ホンダは参加していないし、出力が高いと思われる フェラーリV12(のちにフラット12)は足回りの悪さ から実力を発揮でききれずにいた。 で、F5000とは何か。 フォーミュラ5000(F5000 )は、タイヤが剥き出し でシングルシーター(単座)のいわゆる 「フォーミュラカー」形式の車両による自動車であり、 その車両で競われるレース規則。 F5000のレースは1968年から1982年に世界各地で開催 された。 低コストのフォーミュラカーによるレースを目指した。 排気量制限が5000cc以下であることからF5000と名 付けられた。 車両メーカーは、マクラーレン、イーグル、マーチ、 ローラ、ロータス、エルフィン、マチック、シェブロン。 量産5リットルOHV・V8のGMシボレー・エンジン 搭載。 約500馬力/8000rpm (370kW)。 North America Formula 5000シリーズは後期に、 単座ではあるがボディがタイヤを覆うルールとなった。 米国で1970年代の初めに人気となり、マリオ・アンド レッティ、アル・アンサー、ボビー・アンサー、 ジェームズ・ハント、ジョディー・シェクターなどが 参加した。 オーストラリアとニュージーランドでフォーミュラ・カー で競われた、タスマン・シリーズ(1964-1975)が開催され いた。 ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレン、クリス・ エイモン、デニス・ハルムが活躍し、後にヨーロッパに渡っ 1970年よりF5000規定が認められ、その後の主流マシンと なった。 タスマンシリーズではレプコがGM系のホールデンをベース にしたレプコ-ホールデンV8エンジンを供給した。 オフシーズンのF1選手のエントリーは減り、地元チーム、 ドライバーが活躍する地域選手権という本来の姿に戻った。 シリーズはニュージーランド側の独立で終了。 オーストラリアではF5000規定のまま1979年まで「ロスマ ンズ・インターナショナルシリーズ」が開催された。 IMSAが1981年にIMSA GT選手権のための新しい規格、 GTPプロトタイプを導入。 IMSAのGTP設定により、F5000は役割を終えた感があり、 1982年に終了。
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最終更新日
2019年07月02日 22時33分37秒
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