テーマ:演劇を小劇場で楽しむ(4)
カテゴリ:映画・ドラマ・スター
小林薫は1971年から1980年まで「状況劇場」に在籍。 根津甚八と並ぶ看板俳優だった。 「退団の際、その才能を惜しんだ唐が説得のために包丁持参で小林の住むアパートを訪れるも、危機を感じた小林が先に逃げ出し説得は失敗、そのままうやむやのうちに退団を認めた」というエピソードが、Wkipediaに掲載されている。 状況劇場 出典:デジタル大辞泉プラス 日本の劇団。 1963年、俳優の復権と「特権的肉体論」を掲げ、唐十郎らが結成。 結成時の劇団名は「シチュエーションの会」。 翌年改名。 旗揚げ公演はサルトルの「恭しき娼婦」。 1964年以降は唐のオリジナル作品を中心に公演を行う。 1968年8月の「腰巻お仙―義理人情いろはにほへと篇」で始めて新宿の花園神社境内でテントを張った公演を行い、評判となる。 以後「紅(あか)テント」と呼ばれ、ときに警察とも衝突しながら、1960年代後半から1970年代のアングラ演劇ブームを牽引する存在となる。 李礼仙(のちの李麗仙)、麿赤兒、四谷シモン、根津甚八、小林薫といった俳優を輩出し、1988年に解散。 後継は、劇団唐組。代表作はほかに「少女仮面」「ベンガルの虎」「唐版・風の又三郎」「ジャガーの 眼」など。 スタンダールの『赤と黒』ではないが、「紅テント」があれば「黒テント」もあった。 黒テント 出典:デジタル大辞泉プラス 日本の劇団。 1968年に組織された演劇集団「演劇センター」の活動のひとつとして、1970年秋から始まった大型仮設テントによる移動公演「翼を燃やす天使たちの舞踏」(演出:佐藤信)を活動の起源とする。 20年近くにわたり「68/71黒色(くろ)テント」の名で活動してきたが、1990年に長年の通称である「黒テント」を正式名称として採用し、現在に至る。 劇団の起源である仮設テントによる移動公演のほか、少人数の演劇「赤いキャバレー」、演劇ワークショップ、海外公演など、多彩な演劇活動を展開。 2005年からは、東京都新宿区、神楽坂に開設した自前の小劇場「イワト劇場(シアターイワト)」を拠点に活動した(同劇場は2012年に閉館)。 所属メンバーに、山元清多、加藤直、斎藤晴彦、清水紘治、桐谷夏子、服部良次(のちの服部吉次)など(退団・物故者含む)。 代表作に「阿部定の犬」「比置野ジャンバラヤ」「逆光線玉葱」「都会のジャングル」「三文オペラ 黒色テント版」など。 早稲田小劇場(1966年~)もあり、時は小劇場(アングラ演劇)の全盛期だった。 演劇界のメジャーは、文学座(1938年)、劇団俳優座(1944年)、劇団民藝(1947年)。
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(2019年02月22日 18時05分27秒)
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