テーマ:ルパン三世(35)
カテゴリ:訃報、消息
「ルパン三世」の作者、モンキー・パンチ氏は、1937年5月26日、北海道厚岸郡浜中町生まれ。 本名は加藤 一彦(かとう かずひこ)。 筆名として加東 一彦(かとう かずひこ)、ムタ 永二(むた えいじ)、かとう・一彦(かとう かずひこ)といった名義がある。 東京工科大学修士。 有限会社エム・ピー・スタジオ代表(初代)。 デジタルマンガ協会会長(初代)。 大手前大学人文科学部教授。 大手前大学メディア・芸術学部教授。 社団法人日本漫画家協会理事。 専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問など。 北海道浜中町を愛していること、温厚な人柄も知られていた。 漫画のデジタル表現にも熱心。 2003年、デジタル表現の研究を目的としたデジタルマンガ協会の発起人となり、2012年まで会長を務めた。 2019年4月11日、誤嚥性肺炎のため死去(満81歳)。 「ルパン三世」 モンキー・パンチさんが死去 手塚るみ子や水木一郎ら著名人からコメント寄せられる 「言葉が見つかりません」 2019年04月17日 ねとらぼエンタ 「ルパン三世」などで知られる漫画家のモンキー・パンチさん(本名・加藤一彦)が4月11日、肺炎のため亡くなりました。 81歳でした。 ネットでは別れを惜しむ声が多数寄せられています。 モンキー・パンチさんは、1937年に北海道厚岸郡浜中町で生まれ、65年にデビュー。 67年からは『漫画アクション』で「ルパン三世」の連載を開始し、71年にはアニメ化。 以降、継続してテレビシリーズが制作された他、劇場版、実写化、宝塚歌劇になるなどヒット作となりました。 葬儀は、近親者のみで執り行われたとのこと。 なお、後日偲ぶ会が予定されており、日時、場所等は決定次第発表するとしています。 …(略)… 手塚治虫の影響を受けて、漫画を描き始め、高校卒業後すぐに上京。 「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で漫画家のアルバイトをしながら、弟の加藤輝彦と、もう一人の友人と同人活動を行っていた。 アメリカのパロディ雑誌「MAD」の影響を受け、アメコミ風に作風が変化。 「漫画ストーリー」(双葉社)の清水文人編集長の目に留まり、1965年に、「ムタ永二」のペンネームにて『プレイボーイ入門』(「漫画ストーリー」)でデビュー。 「マニア・ぐるうぷ」名義で、「摩周仙二」「霧多永二」などが参加しているようにみせていたが、実際はすべて加藤一人で執筆していた。 「加東一彦」、「かとう・一彦」のペンネームも併せて使用していた。 1966年、清水編集長の命名でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名。 気に入らないペンネームだったが、モンキー・パンチ名義で1967年に『漫画アクション』で発表した『ルパン三世』が大ヒット作となり変えられなくなった。 この時期「モンキー・パンチ」名義で発表された『ルパン三世』などの作品は、主に一彦が物語やキャラクターを考え、絵はアシスタントの輝彦との共同作業という形をとっていた。 その後は一彦の一人だけによる名義となっている。
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ファンが多かったのですね。
81歳とは思いませんでした。 (2019年04月18日 22時51分08秒) |
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