テーマ:原子力発電(42)
カテゴリ:船舶・navy
プーチン大統領は北極圏の経済開発をすすめている。 ソヴィエト連邦時代、シベリア地方、極東地方にある豊富な鉱物資源・エネルー資源を開拓し、北極海に面している都市の経済活動を活発にするため、冬季の北極海を航行できる原子力砕氷船を開発・建造した。 今までに、レーニン、アルクチカ、シビーリ、ロシア、セブモルプーチ、タイミール、ソヴィエツキー・ソユーズ、バイガチ、ヤマールの9隻の砕氷船を建造し就航させた。 試験航行終え帰還 2019/12/15 AFPBB News 最強の原子力砕氷船と称され、北極圏(Arctic)の商業活用を図るロシア政府の意欲の象徴とされている巨大原子力砕氷船「アルクチカ(Arktika)」が14日、2日間の試験航行を終え、サンクトペテルブルク(St. Petersburg)に戻った。 アルクチカは2016年に進水し、長さは173メートル、高さは15メートル。北極圏からの液化天然ガス(LNG)輸送に利用されることになっている。建造会社によると厚さ2.8メートルの氷を割りながら航行する能力がある。 今回の初航行では動力源にディーゼル(軽油)が使用された。 アルクチカが一角を占めるロシアの原子力砕氷船団は、国営企業アトムフロート(Atomflot)が管轄。 太平洋や大西洋に通じるロシア北極圏沿岸の海上貨物輸送量を、年間を通じて大幅に増やすことを目標としている。 北極圏には大量の石油や天然ガスが眠っており、ロシアのほかにも米国、カナダ、ノルウェーが開発を図っている。 原子力砕氷船団により、ロシアの東南アジア向け石油ガス輸送も容易になる見込みだ。 アルクチカの最終試験航行は来年3月と4月、就航は5月に予定されている。 同型の原子力砕氷船である「ウラル(Ural)」と「シビーリ(Sibir)」の2隻は現在建造中。 北極圏の経済開発は、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の重要目標の一つと位置付けられている。 ― 引用終り ― 原子力砕氷船のメリット ・燃料補給(燃料交換)が長い期間不要 ・燃料消費による喫水線変動がない レーニンは世界最初の原子力砕氷船として1959年に就航した。 1970年、改造を実施し再度就航。 1989年退役。 ウラル号は1994年に進水したが、経済的事情により艤装が中断された。 さらに2隻の砕氷船、スーパー砕氷船とペベック号を計画中。 アルクチカ号からは半一体型加圧水型炉OK-900Aを搭載。 半一体型加圧水型炉の原子力船での実用化はロシア連邦が世界で最初である。 半一体型炉は、一次系機器を原子炉容器に直接短管で連結吊す原子炉システム。 熱出力2,000MW程度までで大型炉には向かない。 ループ型炉と比べると場所をとらず、建設時の据え付けと溶接箇所が少ない。 大口径の一次系配管が無いので、大LOCA事故の想定をしなくて済み安全対策上有利。 世界で半一体型炉の搭載は、ロシアにおけるアルクチカ号以降の原子力砕氷船のみ。 先代アルクチカは1971年7月3日起工、1975年12月17日就役。 1982年、同年死去したレオニード・ブレジネフ書記長の名を冠してレオニード・ブレジネフに改名された。 1986年、元の船名に戻された。 1977年8月17日、ムルマンスク港から13日かけて、民間の船舶として初めて北極点に到達し、15時間滞在した。 解役は1990年に予定されていたが、2008年まで延長された。 1992年以降、一時はムルマンスク港で係船された。 2007年4月8日、船内で火災が発生。 8時間延焼、船室3室と配電盤が被災。 2008年10月に引退。アルクティカは退役後もムルマンスクに係留。 2代目、アルクティカ はLK-60Ya。2013年11月にバルチック造船所にて起工。 2016年06月に進水。 2019年6月、アトムフロートへ就役予定だった。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年12月20日 16時00分08秒
コメント(0) | コメントを書く
[船舶・navy] カテゴリの最新記事
|
|