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2022/10/04(火)06:00

アントニオ猪木のプロレス外交

政について(536)

 アントニオ猪木は、1989年、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。  「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」をキャッチコピーに、第15回参議院議員通常選挙比例区に立候補し、99万3989票を得て初当選、参議院議員となった。  選挙には新日本プロレスで袂を分かったと思われた、新間寿が参謀として活躍した。  当時、参議院では通称使用が認められていなかったため、議員活動は本名の「猪木寛至」名義で行った。      ​​ 2013年6月5日、日本維新の会より、第23回参議院議員通常選挙比例代表での出馬を表明した。 7月21日の投開票において、獲得票数35万6606票(同党内最多得票)で当選し、18年ぶりの国政復帰を果たした。 2013年7月29日より議員氏名として「アントニオ 猪木」を使用することが、参議院で許可された。   2022年10月1日、アントニオ猪木の訃報に際し、政界から超党派のお悔やみの声が寄せられた。     ​​「残念」「卍固めできなかった」 ​猪木氏に政界からも哀悼相次ぐ​共同通信  2022年10月1日  アントニオ猪木氏がかつて身を置いた政界からも1日、突然の訃報に対し、哀悼の言葉が相次ぎ寄せられた。自民党の世耕弘成参院幹事長は、経済産業相として猪木氏と国会で論戦したことに触れ「印象に残っている。合掌」とツイッターに投稿。猪木氏と同世代の立憲民主党の小沢一郎衆院議員は「元気に闘う姿を見られないのは残念でならない」と書き込んだ。  プロレス好きを公言する立民の野田佳彦元首相は取材に、猪木氏の必殺技コブラツイストをまねした自らの子ども時代を懐古。数々の異種格闘技戦も思い起こしながら「卍固めは難しくてできなかった。激闘で興奮させてくれた」と述べた。  19089年に「スポーツ平和党」を結成し、同年の参院議員選挙に比例代表で当選。史上初のプロレスラー出身国会議員となった。95年の参院選で落選するが、13年の参院選に日本維新の会から出馬して当選し、18年ぶりに国政に復帰。しかし19年の参院選には高齢などを理由に出馬せず、政界から退いた。 政治家としては90年の湾岸危機で、イラク国内で人質となっていた在留日本人の解放に尽力したほか、プロレスラー時代に培った人脈を生かしてたびたび北朝鮮を訪れるなど、独自の外交活動で存在感を発揮した。  ―  引用終り  ―      ​​  1995月4月28日から29日、「平和のための平壌国際体育・文化祝典」が、平壌の綾羅島メーデー・スタジアムで新日本プロレスにより開催された。アントニオ猪木の師匠である力道山が朝鮮半島出身であったことなどから強力に推進され、延べ19万人を集めたが、この興行で新日本プロレスは多額の債務を抱えた。    プロレス界においても前例にとらわれることなく数々の新機軸を打ち出してきた「猪木」は、国会議員となって外交活動においてエキセントリックな活動を行った。     1990年8月2日、サダム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻し、湾岸戦争が開戦した。  イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にとした。  政府間の人質解放交渉は難航した。  「猪木」が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省は難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベント開催後、在留日本人と全人質が解放された。​     ​​  2014年4月、維新の会の松浪健太、石関貴史、阪口直人(衆)、清水貴之(参)の4議員とともにゴールデンウィーク中の再度の訪朝を計画した。政府は北朝鮮に対して渡航自粛勧告を通達するなど制裁発動中であった。自民党から訪朝自粛要請があり、渡航に必要な衆参両院の許可が得られる見込みがなくなったとして、包丁を断念した。  同年6月、第186回国会の閉会を待って再度の訪朝計画を発表した。これについて、菅義偉官房長官は7月7日の定例記者会見で、政府が北朝鮮への経済制裁を一部解除したことを踏まえ「渡航で特段の措置を取ることはない」として反対しない方針を表明した。  7月9日、猪木と上記の4議員にみんなの党の山田太郎参議院議員を加えた6名の議員団を組織して北朝鮮へ出発した。朝・日友好親善協会顧問である朝鮮労働党の姜錫柱書記や労働党国際部副部長を務める朝日友好親善協会の朴根光会長と会談を行い、拉致問題解決に向けた取り組みなどを確認し合った。      ​​​​​​「北朝鮮幹部にも歯に衣着せぬ言動」 ​猪木さん死去、政治家も悼む毎日新聞 2022年10月1日  …  (略)  … 師と仰いだプロレスラーの力道山さんが朝鮮半島にルーツがあることなどから、日朝関係の改善に意欲を見せていたアントニオ猪木氏。一緒に活動をした政治家らからも悼む声が上がった。      衆院議員時代に一緒に訪朝した経験がある大阪府議の松浪健太氏(51)は「相手の顔を見ないことには交渉も始まらないとし、北朝鮮の幹部にも歯に衣(きぬ)着せぬ言動が印象的だった」と振り返る。     ​​ 夕食を共にした今年の節分の日。猪木氏はマスク姿が広がるコロナ禍で、「マスク」と「メロン」を引っかけて「マスクメロン」とダジャレを披露し、メロンをくれたという。  急激に弱っていく姿を目の当たりにしてきた松浪氏は「衰える姿をさらすのも生き様と話していた。決してかっこつけることなく、ありのままで逝かれた。お疲れ様という気持ちです」と話した。  元参院議員でジャーナリストの有田芳生氏は「拉致問題解決のため、独自のルートを開拓して風穴を開けようとしていた。車いすで国会を訪れるなど、最後までがんばっていた。お疲れ様でした」とねぎらった。      元プロレスラーで石川県知事の馳浩氏は北朝鮮やイラクなどで「プロレス外交」をしたことに触れ、「とにかく人生最高の思い出しかありません。『猪木さん、元気ですか~!』と、哀悼の誠を捧(ささ)げます」という談話を発表した。  ―  引用終り  ―

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