オッフェンハウザー・エンジンとインディ500
オッフェンハウザー(Offenhauser)エンジンは、日本でもインディ500の「オッフィー」として知られていた。 70年代・F1におけるフォード・コスワース・DFVエンジンの役どころを演じるインディ版。 Offenhauser Wikipedia からの抜粋と加筆。 オッフェンハウザー・エンジンの原形はハリー・A・ミラーが作った。 ミラーが開発エンジンはその初期、船舶用として販売されていた。 1930年には、レーシングカーに搭載された4気筒の151ミル(2.47L)のミラーエンジンが144.895マイル(233.186 km / h)の新しい国際陸上スピードを記録。 ミラーは、このエンジンをベースにDOHC、4バルブ、4気筒(3.6 L)レーシングエンジンを開発。 1933年、ミラーの会社が倒産し、オッフェンハウザーが工具、図面の権利を購入し、従業員の雇用を継続して生産を引き継いだ。 ミラーのエンジンはオッフェンハウザー・エンジンとしてさらに改良された。 第二次世界大戦直後に、会社はメイヤーとドレイクに売却され、さらなる改良が続けられた。 オッフェンハウザー・エンジン(オッフィー)は1950年から1960年にかけて、インディ500で3回優勝し、11年のうち10年間でポールポジションを獲得した。 1960年代にミゼット・レースや各種のスプリント・レースでも活躍し、気化器と燃料噴射を選択することができた。 「オッフィー」の成功と人気への鍵の1つは、その出力と耐久性。 15:1の圧縮比と4.28125 x 4.375インチ(約108 mm×111 mm)のボアとストロークの251.92立方インチ(約4,128cc)のエンジンから、420hp(310 kW)/ 6,600rpmの出力を生み出した。 ガスケットやシリンダの耐久性も高く、さらに比出力の大きいバリエーションを設定できた。 オーバルコースを500マイル走り続けるインディにおいて、耐久性は重要度が高い。 1934年から1970年代にかけて、「オッフィー」は米国のオープン・ホイール・レーシングの標準となり、頂点に立っていた。 米国モータースポーツのトップレースであるインディ500での優勝は27回。 1963年にライバルとなるフォード・エンジンがインディ500に登場。 「オッフィー」は1947年から続く優勝を1964年まで継続したが、1965年、ジム・クラークのロータス・フォードが優勝した。 だが、その後も高い競争力を保っていた。 「オッフィー」のインディ500での最後の優勝は、1976年、ジョニー・ラザフォードのマクラーレン・オッフィー。 【標準的仕様】 オッフェンハウザーは数種類のエンジンブロックを生産していた。 ボア、ストロークを様々組合せて派生エンジンを作った。 顧客の要望に応じて様々なエンジンが作られたが、標準的なバリエーションは下記の通り。97 cu in (1.59 L) - ミゼット・シリーズの規則対応。220 cu in(3.6 L) - AAA(後のUSAC)スプリントカー規則対応。270 cu in(4.4 L) - AAA規則のもとでのインディアナポリス500対応。255 cu in(4.18 L)-インディ(1930年代の燃料消費の規則の間)対応。252 cu in(4.13 L) - インディのUSAC規則対応。168 cu in(2.75 L) - インディのターボエンジンの排気量規則(1968年まで)対応。159 cu in(2.61 L) - インディ(1969年以降)のターボエンジンの排気量規則対応。