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モータースポーツ(4輪)

2019年09月22日
XML
​​​​
 マクラーレンと組んで散々だったホンダは、トロロッソと組んで上向き。
 レッドブルと組んでシリーズタイトルを狙えるまでになった。
 F1プロジェクトリーダーの田辺豊治氏が理由を明かした。
        

 F1の調子はよいが、ホンダの企業業績は厳しい。
 急に強くなるのはよいが、急にやめないで欲しい。
2019年9月14日 11時12分
citrus   
  …(略)…
──スペック3では、ホンダの航空エンジンに採用されている技術をターボチャージャーに入れることで、ターボの効率が向上し、その効果でMGU-HとICEの使い勝手が増してPU全体の底上げにつながったと説明を受けました。
        

 10月13日に決勝レースが行われる第16戦日本GPもスペック4で臨むことになります。
 スペック4のアップデート内容を教えてください。
田辺:
 MGU-KとMGU-Hはスペック3と同一です。
 ICEの性能をアップしました。
──鈴鹿サーキットで行われる日本GPに向けて、何か特別な準備をしているのでしょうか。
 年間21戦のうちの単なる1戦という認識でしょうか。
        ​
田辺:
 21戦のうちの1戦ですが、準備はしています。
 いま持てるもののなかで最大のパフォーマンスを発揮できるよう考えながら、準備を進めています。
 限られたエネルギーをエンジンに使ったほうがいいのか、リカバリー(MGU-Hの回生)に使ったほうがいいのかは、サーキットの特性を含めてバランスをとる必要があります。
 そういったことも含めて、準備を進めています。
──そもそもですが、2019年にレッドブルと組んだことが、ホンダが急に強くなった理由と考えていいでしょうか。
田辺:
 全体のパフォーマンスは、シャシーとPUとチームのストラテジー、それにドライバーのパッケージで決まります。
 そのパッケージとしてはレッドブルのほうが(トロロッソより)高いものを持っています。
 我々は同じPUを両チームに供給していますが、明らかに差が出ている。
 今年急にホンダが強くなったのは、チームの実力込みだと思っています。
  ― 引用終り ―
        ​
 最近のホンダはスポーツモデル、ホットモデルに力が入っていない。
 企業が大きくなるにつれ、半端に高級志向だけが強まったように見受けられる。
 F1の活躍に見合う良質なホットモデル廉価で販売して欲しい。
 
        ​
 ICEはインターナル・コンバッション・エンジン(internal-combustion engine)の略。
 内部燃焼機関。
 2014年に自然吸気エンジンに代わってF1に導入された1.6リッターV6ハイブリッドターボ=パワーユニットは、ICEとエネルギー回生システムなどから成る総合的エネルギー供給システム。
 これをエンジンと呼ぶと実態とかけ離れてしまうため、これ以降旧来のエンジンをICEと呼ぶようになった。
         ​
​​​






最終更新日  2019年09月22日 08時00分08秒
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2019年09月21日
テーマ:F1(446)
​​​​​​​​​
 伝統の1戦モナコGPなど、公道サーキットは魅力的な響きがある。
 一方現代のモータースポーツは車両、ドライバー側だけでなく、サーキットの施設側にも多くの安全対策を要求している。
 国際戦が開催可能なサーキットの認証は各年ごとに、4輪、2輪で別々に行われる。
 F1GPやMotoGPを開催するごとに、何らかの設備改変がなされる。

        ​

ロイター
  …(略)…

 6月下旬のシンガポール。
 この島国のビジネスの中心地に隣接したマリーナベイ地区のダウンタウンに施設や建物が突然、出現する。
 レースが行われるマリーナベイ・ストリート・サーキット周辺の拠点とされる地区では、数ヶ月をかけて仮設の施設が、最先端の、来場者を手厚くもてなす場所に姿を変えていく。
 最初のコンクリートブロックの積み込みは、5月に始まる
 シンガポールGPの開催は9月なので、かなり早い時期から準備が始まるのだ。
 ブロックは、ナイトレースになくてはならないものをサポートするために使われる。
 地上10メートルでアルミ製のトラスに固定された照明プロジェクターを支える鉄塔の土台となるのだ。
 一方で、日曜日のレース終了後には、シャンパンの最後の泡が表彰台に飛び散ると同時にサーキットの解体が始まる。
 月曜日の朝には主要な道路をいつもの姿に戻さなければならないのだ。すべての取り壊しが完了するまでには2か月を要する。
        

 10年に及ぶ経験で、サーキットのインフラを担うシンガポールGPの技術チームは、いまではマリーナベイ地区を日常的に利用する人々の交通の混乱を最小限に抑えるエキスパートとなった。
 毎年開催されるシンガポール最大のイベント、ナショナル・デイ・パレードの期間中にもその技術は役立てられている。
 技術チームの助監督、クリストファー・チュー氏は「サーキット周辺のホテルやショッピングモールなど関係者の協力の下で1年中作業をしています」と語る。
 「作業は段階ごとに領域を明確にして行うことで、周辺の交通やビジネスへの影響を最小限に抑えています。また、作業全体がスムーズに行われるように、各種の政府機関と密接に連携をしています。また、私たちは常に向上しようと努めています。何年もの間努力を積み重ね、道路の閉鎖期間を短縮してきました。2008年には閉鎖期間は12日でしたが、今では6.5日になりました。大幅な短縮です」
        ​
 初開催の08年から行われている。
 240本の鉄塔、1600基の照明器具、一周5.063キロのコースを網羅する約11キロのケーブルによる照明システムの設置も今では極めてあたりまえの作業になっている。
 準備が整えられたマリーナベイ・サーキットには、23箇所のコーナーがあり、超一流のドライバーたちに究極の挑戦を求める。
        

 「難易度の高いサーキットです。短い直線や、急カーブが多く、起伏に富んでいます」 ベテランレースジャーナリスト、モーリス・ハミルトン氏は語る。
 「トラックのコンデイションも昼と夜で大きく変化し、それに対応しなければなりません。そうしたさまざまな条件により、シンガポールGPはとても魅力的なレースとなり、すべてのF1レースの中でも類まれな地位を築いているのです。初めてシンガポールに来たときには、はたしてうまくいくのかと危惧したものですが、蓋を開けてみればまったく問題はなく、初日から見事に準備がされていました」
 ハミルトン氏は続ける。
 「事が起こればしっかり対応する。これこそがシンガポールがF1グランプリを開催し続けられている秘訣でしょう。当初は問題も散見されましたが、その都度、しっかりと対処されています。レースで浮き彫りになった問題点は、翌年には修正されているのです」
 7月には、日常的な車両や歩行者の移動の邪魔にならない場所に、防護壁が設置される。
 このような準備は5カ月に及び、それがレース開催期間の熱狂として結実するのだ。
 その時期、シンガポールは、世界のスポーツやエンタテインメントメディアからの熱視線を浴びることになる。
  …(略)…
        ​
 世界中への中継と放映に毎年1億3,500万シンガポールドル(約100億700万円)がかかるものの、シンガポールGPは、シンガポールが活気ある革新的な都市だというイメージを世界に発信していることはもちろん、レースがもたらす経済効果も莫大だ。
 シンガポール政府の17年の発表によると、08年の歴史的なナイトレースの開催以来、シンガポールGPは海外から45万人の観衆を集め、観光収入に14億米ドル(約1500億円)もの貢献をしている。
 シンガポールGPは地元企業にとっても、絶好のビジネスチャンスとなっている。
 レース関連事業の90%以上をシンガポールの企業が下請けとして担っているのだ。
​​​​​​  ― 引用終り ―​​
        
 F1GPの開催する団体と観光収入を得る組織・団体は違う。
 ナイトレース開催に必要な設備費用の負担を含めて、莫大な費用の負担をする組織・団体が必要になる。
 最近のF1戦の開催には行政機関が絡んでいることがほとんどの理由が、費用負担の問題。
 巨額の投資を行ってサーキットを建設したにも関わらず、韓国、インドなど早々にF1GP開催を返上したのは、費用負担に耐えられなかったためだ。

F1シンガポールGP|
マリーナ・ベイ・ストリート・サーキット
​ 解説
2018年9月11日 F1-Gate.com

        ​
 日本でもF1GPに限らず数々の公道サーキット構想があったが立ち消えになったのは、別の理由。
 公道をモータースポーツで占有使用することを警察が認めないからだ。
 電気自動車のフォーミュラEシリーズは各国で都市の公道サーキットで開催されているが、日本では日本政府主催か後援とでもならない限りムリ。

 市民からの苦情が1件もなく、競技による競争当事者以外の事故が皆無であることが証明されれば、可能だろう。 






最終更新日  2019年09月21日 16時00分08秒
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テーマ:F1(58)
​​​​​​
 今シーズンはマクラーレンと組んでいた頃の不調が幻のような、2019年F1でのホンダ・エンジンの活躍ぶりに瞠目する。
 その理由をトロロッソ代表のフランツ・トストが明快に語った。
        ​
 インタビュアーのフェルディナント・ヤマグチ氏は、業界に所属していないから、忖度も気兼ねもなく記事を書けた。
        ​
トロロッソ代表フランツ・トスト氏、大いに吼える
フェルディナント・ヤマグチ
2019年9月17日 日経ビジネスオンライン
  …(略)…
F:ホンダの情熱は分かるのですが、トストさんがホンダと組もうと思った時、ホンダは良好な結果を出していませんでした。ホンダがいいと判断した材料は何ですか。マクラーレンと組んでいたときのホンダは、まるきりダメでしたよね。どうやって実力があると判断されたのですか?
「遅かったのは、マクラーレンのせいだよ」
T:あの時期のマシンが遅かったのは、ホンダがダメだったからではありません。マクラーレンがショボかったからです。
        ​
ホンダと組む方が気が楽、ビバジャパン!
F:ホンダと組む前、レッドブル、トロロッソ連合はルノーのエンジンを搭載していました。ルノーはヨーロッパの会社ですが、ホンダは日本の会社です。相性と言うのかな、コミュニケーションに関して不安はありませんでしたか。結果的にルノーとは別れてしまいましたが、ルノーとのほうが気がラクでやりやすかったとか、そういうことはありませんか?
T:それは逆ですね。日本人と仕事をしたほうがやりやすい。ホンダと働いたほうが気がラクです。ビバジャパン! ですよ(笑)。イタリア人はフランス人よりも日本人との相性のほうがいいんです(笑)。ルノーの前はフェラーリのエンジンを積んでいたのですが、フェラーリとはいい関係でした。ただ、ルノーとの関係はかなり厳しかった。
F:それは国民性の問題ですか。それともルノーという会社が持つ固有の問題でしょうか?
T:会社固有でしょうね。人の傾向というか。ルノーの人たちはちょっと変わっていましたから(笑)。
​​​  ― 引用終り ―
        ​
 ​​今シーズンの実績から見ると「マクラーレンのせい」は正解なのだろう。
 パワーユニット(PU)・サプライヤーのホンダに対するマクラーレンの要求、開発の方向性の要求が、適切ではなかったということになる。
 レッドブル、トロロッソと良い関係を保ち続けられれば、2020シーズンはホンダPUはシリーズ優勝を狙える位置に立てることだろう。  
        ​
 







最終更新日  2019年09月21日 06時00分13秒
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2019年05月12日
テーマ:フォーミュラ(3)
​​​​​​​​​​​​
        ​
 2012年8月27日、FIA(国際自動車連盟) は、「フォーミュラE」シリーズ設立を発表。
 運営は、フォーミュラEホールディング (FEH) 。
 狙いは、都市部の大気汚染対策となる電気自動車の普及促進。
 レースは世界各地の大都市や有名リゾート地の市街地コースで開催される。
 秋にシリーズが開幕し、年をまたいで年間10戦程度が行なわれる。
 世界選手権ではない。 
 初年度の2014 - 15年は「スパーク・ルノー・SRT 01E (Spark-Renault SRT_01E) 」のワンメイクレースとして実施された。
 2015 - 16年はシャシーはワンメイクだが、パワートレインはチーム独自に製造・改良することが認められた。
        ​
 搭載バッテリーの充電量の関係から、1レース、ドライバー1名あたり2台のマシンを使用し、レース中にピットで乗り換えた。
 2018 - 2019シーズンからは乗り換えが無くなり、ドライバーは1台のマシンで完走することが求められるようになった。
 停車中にワイヤレス充電するシステム、コース上の給電レーンを走行してワイヤレス充電する方式の導入を目指している。 
        ​
電気自動車のF1「フォーミュラE」はどこが面白い?
2019.4.27
電気自動車による本気のバトル、
日本でも楽しめる日がくる!?
 100%電動フォーミュラカーによるレースシリーズ「FIAフォーミュラE選手権」の第5シーズン(2018-2019年)が始まった。
 5ヵ国、12都市で、全13戦が開催される。
 今シーズンよりマシンが第2世代へと進化しレース内容が大きく変わると聞いて、3月に行われた日本からもっとも近い開催地、香港へと出かけてみた。
 フォーミュラEは、2014 - 15年シーズンにはじまった、ワンメイクのフォーミュラEVによるレースだ。
 その特徴は、排ガスも騒音もないため、サーキットではなく大都市やリゾート地などの市街地コースで行われること。
 香港戦では、香港駅からセントラルハーバー周辺の通りを封鎖し、1周1860mの特設コースが作られていた。
 まわりは、国際金融センターや香港シティホール、そして観覧車に囲まれたまさに香港の中心地だ。
 フォーミュラEでは観客は基本的に公共交通手段で移動する。
 駐車場も用意されていない。
 近くのホテルに宿泊していたあるドライバーも、徒歩でサーキットまでやってきていた。
 「GEN2」と呼ばれる第2世代のマシンは、バッテリーが28kWhから54kWhとほぼ倍増された。
 これまでドライバーはレース中にピットインし給油のかわりに別のマシンへと乗り換えていたのだがその必要がなくなった。
 最高出力も従来の200kWから250kWにアップ、最高速度も225kmから280kmになった。
 また安全性向上のため、従来はオープンホイールタイプだったがフェンダーが備わった。
 さらにドライバー保護のためF1マシンと同様のハロが装着されている。
 現行ルールでは、モノコック、空力パーツ、シャシー、バッテリー、タイヤはワンメイクで、MGU(モータージェネレーターユニット)、インバーター、ギアボックスは独自開発が認められている。
  …(略)…
        ​
 2019年23日、中国・三亜で開催されたフォーミュラEの2018/2019シーズン第6戦で、新人のオリバー・ローランドがポール発進から2位、参戦初の表彰台となった。
 F1が開催可能なレーシングコースは、交通不便な地が多い。
 フォーミュラEは積極的に市街地コースで開催している。
 観戦客にとってどちらが便利かは、言うまでもない。
 ファンが多く、環境にやさしいイメージがあれば、メーカーは参入しやすく、スポンサーも付きやすい。
         ​
 モータースポーツの未来の頂点は、F1ではなく明らかにフォーミュラEにある。
 2019年度予算として、東京都はフォーミュラEの誘致にむけた調査費を計上。
 日産に続きホンダの参戦も噂されている。
        ​

第2世代フォーミュラEの特徴
1.ボディカウルの一部が前後のタイヤを完全に覆う形状。
 オープンホイールカーではなくなっている。
2.バッテリーが小型化・大容量化。
 電力量は約2倍(28kWh→54kWh)に増え、レース途中でマシンを乗り換える必要がなくなった。
 最大出力は250kW(レース時200kW)、最高速は280km/hに上昇。
3.フォーミュラ1同様、コックピットに頭部保護デバイスのHaloが装着された。
 HaloにはLEDが内蔵されており、アタックモードやファンブースト使用時にはLEDが発光。
 観客はブーストの利用が分かりやすくなった。
4.リアウィングが廃止。
 小型の空力パーツがリアホイールハウス上に装着された。
 ウィングの廃止によって損なわれるリアのダウンフォースは、従来よりも巨大化されたリアディフューザーで補う。
5.後輪の回生ブレーキに自動調整機能(ブレーキ・バイ・ワイヤ)が認められた。
​​​​​​​​​​​​        ​






最終更新日  2019年05月12日 06時00分20秒
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2018年08月19日
 1970年代の話。
 レース・オブ・チャンピオンズが、F1とF5000
の混走で行なわれていた時期があった。
 当時のF1は3L自然吸気エンジン。
 DFV+ヒューランドのミッションの全盛期。
 ホンダは参加していないし、出力が高いと思われる
フェラーリV12(のちにフラット12)は足回りの悪さ
から実力を発揮でききれずにいた。

       ​

 で、F5000とは何か。
 フォーミュラ5000(F5000 )は、タイヤが剥き出し
でシングルシーター(単座)のいわゆる
「フォーミュラカー」形式の車両による自動車であり、
その車両で競われるレース規則。
 F5000のレースは1968年から1982年に世界各地で開催
された。
 低コストのフォーミュラカーによるレースを目指した。
 排気量制限が5000cc以下であることからF5000と名
けられた。
 車両メーカーは、マクラーレン、イーグル、マーチ、
ローラ、ロータス、エルフィン、マチック、シェブロン。

      ​

 量産5リットルOHV・V8のGMシボレー・エンジン
搭載。
 約500馬力/8000rpm (370kW)。
 North America Formula 5000シリーズは後期に、
単座で
はあるがボディがタイヤを覆うルールとなった。

       ​

 米国で1970年代の初めに人気となり、マリオ・アンド
レッ
ティ、アル・アンサー、ボビー・アンサー、
ジェームズ・
ハント、ジョディー・シェクターなどが
参加した。
 オーストラリアとニュージーランドでフォーミュラ・カー
で競われた、タスマン・シリーズ(1964-1975)が開催され
た。
 ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレン、クリス・
エイモン、デニス・ハルムが活躍し、後にヨーロッパに渡っ
た。
       ​
 1970年よりF5000規定が認められ、その後の主流マシンと
った。
 タスマンシリーズではレプコがGM系のホールデンをベース
にしたレプコ-ホールデンV8エンジンを供給した。
 オフシーズンのF1選手のエントリーは減り、地元チーム、
ドライバーが活躍する地域選手権という本来の姿に戻った。
 シリーズはニュージーランド側の独立で終了。

       ​

 オーストラリアではF5000規定のまま1979年まで「ロスマ
ンズ・インターナショナルシリーズ」が開催された。
 IMSAが1981年にIMSA GT選手権のための新しい規格、
GTP
プロトタイプを導入。
 IMSAのGTP設定により、F5000は役割を終えた感があり、
1982年に終了。






最終更新日  2019年07月02日 22時33分37秒
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2018年06月21日
​​​​​
​ 鈴鹿市とル・マン市は友好都市。​
 ​友好都市
 鈴鹿市公式サイト

     ​
 日本とル・マンの関係は濃密で長く続いている。
     ​

■ロータリーエンジンとル・マン
 1973年、ル・マンに初めて日本のチームとマシ
ンとドライバーが登場。
 マシンはシグマ・オートモーティブが開発し、マツ
ダ製の12Aロータリーエンジン搭載した、
シグマMC73/マツダ。
 1979年、マツダの市販車「サバンナ RX-7」を
ベースとして、ロータリーエンジンの名機「13B」
搭載の「MAZDA RX-7 252i」が登場。
 海外レース挑戦の先駆者 生沢徹と、後にミスター
ル・マンと呼ばれることになる寺田陽次郎らがドライ
ブしたがトラブルに見舞われ決勝出走はならず。

     ​
■寺田陽二郎とル・マン
 そのミスター・ル・マンの愛称の寺田陽二郎氏は、
ル・マンに29回参戦。
 1983年(マツダ717C)・1988年(マツ
ダ757)・1990年(マツダ767B)・
1996年にクラス優勝。

     ​

■ル・マンでの日本ドライバー、チームの優勝
 1983年、前年に創設されたグループCのジュニ
アクラスにマツダ・717を2台を送り込んだ。
 2台とも完走し、グループCジュニアクラスの1位
と2位となった。
 1991年、シフトがメンテナンスするチーム・
FEDCOのスパイスSE90C/DFR(長坂尚樹/
見崎清志/横島久組)が12位で完走し、カテゴリー1
クラス優勝。
 1995年、1985年より参戦を続けてきた関谷
正徳が、日本人ドライバーとして初の総合優勝
 マクラーレン F1GTR /チーム・国際開発UK、
ドライバーは関谷正徳、J.J.レート、ヤニック・ダル
マス。

     ​

 2000年、チームタイサンのポルシェ911
GT3がLM-GTクラス優勝。
 2004年にはチーム郷(アウディ・R8)が日本
のプライベーターとしては初めての総合優勝。
 同チームのドライバーの1人の荒聖治は、日本人と
して2人目の総合優勝。

     ​
■バイクとル・マン
 今年、2018FIM EWCシリーズ第2戦ル・マン
24時間耐久ロードレースではF.C.C. TSR Honda
France 
優勝!!
 TSRの藤井監督もご満悦。
 ​TSR
 公式サイト
​​​​​






最終更新日  2018年10月09日 19時27分19秒
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​​​​​
 今年のWEC(FIA世界耐久選手権)はポルシェが
撤退。
 シリーズ最高クラスLMP1(ルマンプロトタイプ1)
に参戦する自動車メーカーはトヨタだけとなった。

     ​
 WEC:
 LMP1の最新EoTが明らかに
 2018.06.13 auto sport web
 トヨタは優位性があるとは断言できない条件の中、
ル・マンに挑んだ。
 開発の制約が強まる中、幾度も総合優勝を逃し続け
きたトヨタが優勝できるかが、日本人である私の注
目点。
     ​

 トヨタ、ルマン24時間初制覇で
 豊田章男社長が声明を発表!
 2018年6月18日 clicccar
 6/16~17にフランスのル・マン、サルトサー
キットで開催された第86回ル・マン24時間耐久
レースに出場したTOYOTA GAZOO RACING の
TS-050
ハイブリッド8号車(中嶋一貴/セバス
チャン・
ブエミ/フェルナンド・アロンソ)は、
388周を
周回しトップでチェッカーを受けた。
 同チームの7号車(小林可夢偉/マイク・コン
ウェ
イ/ホセ・マリア・ロペス)が386周で2位
に入り、
日本車初の1-2フィニッシュを飾った。
 …(略)…

     ​
 結果としてポルシェは「勝ち逃げ」となった。
 トヨタと6人のドライバーとチームの面々に、
心から「おめでとう!」を言おう。
 1985年、童夢とともにトヨタエンジンを搭載し
た85C-Lで5年ぶりにル・マンに参戦し12位完走。
 これが事実上トヨタのル・マン初参戦。

     ​
 1987年以降トヨタ・チーム・トムス (TTT)
 として、トヨタワークスとしての参戦。
​​​​
 総合優勝まではとても長い道のりだった。






最終更新日  2018年10月09日 19時27分39秒
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2018年05月01日
グラチャンの幕引きを早めた暴走族
  一方で、グラチャンはレースとは直接関係のな
いところで悩みを抱えていた。
 1970年代から80年代にかけて暴走族が社会問題と
なっていた。

     ​

 2シータースポーツカーの時代から、モータース
ポーツファンとともにグラチャンは暴走族も多数集
めていた。
 グラチャンの開催日には東名高速や中央高速に暴
走族が集まり、会場周辺で集会、レース開催中も会
場内、グランドスタンド裏でドラム缶をパイロンに
みたてジムカーナもどきを行なっていた。
 多くの観客が集まるグラチャンで、改造車を見せ
つけて存在を誇示していた。

     ​

 主催者も困惑、警察の指導もあり「不法改造車で
の入場をお断りいたします」との文言をチケットに
印刷、チケットゲートに掲示するなどしたが、効果
はなかった。
 ツーリングカーレースでは性能向上のために空力
パーツや幅広タイヤをカバーするオーバーフェンダ
ーで装着された市販車がレースを行っている。
 彼らはそれを真似、性能向上などを考えないエス
カレートし、目立つことが目的の改造車を作って乗
り込んできた。

     ​

 特攻服に身を包んだ若者が違法改造車でグラチャン
に集合、普通のモータースポーツファンは辟易。
 竹ヤリ、デッパの改造車は「グラチャン」と呼ばれるまでになった。
 モータースポーツ自体が世間に誤解された。

     ​

 1987年、鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催
された。
 4輪モータースポーツファンは再びF1に接し、中嶋の
参戦もありレースファンは急増。
 頂点レースの高まりは、その裾野を拡大することなく、
1989年、グラチャンは終了。

     ​

 スポーツカーレースであるグラチャンは廃れ、プラ
ベーター主体のレースは、F2000、F2、F3000など
のフォ
ーミュラが主流となっていた。

     ​

 お手本にしたCan-Amシリーズも1986年終了。
 1988年から鈴鹿や菅生でも開催されるようになった
が、
長年富士スピードウェイだけで行われたことで、
マシン
も富士専用にガラパゴス的進化を遂げていた。

     ​

 グラチャンは、19年もの間日本のトップカテゴリー
レースだった。
 フォーミュラ押しの鈴鹿は、モータースポーツイベ
トとしては2流だった。
 そして私にとっては「青春」。






最終更新日  2018年10月09日 19時29分01秒
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 シングルシーター
 主催者の意に反し、規定の変わった1979年の第1戦
では、
様子見の姿勢のチームが多かった。
 出走したシングルシーターは長谷見昌弘のMCS、
片山
義美のKIR、清水正智の火の鳥の3台だけ。

     ​

 優勝こそ逃したものの、単座マシンのポテンシャル
は予
選と決勝を通じてドライバーやピットスタッフに
知れ渡っ
た。
 各チームが新たなマシン作りに取り組み、独創的な
デザ
インのボディーが製作された。
 当時は設計にコンピュータは利用できれず、風洞
実験も
限られていたので空力性能を高めるためのさま
ざまな工夫
、実験的試みがなされた。

     ​

 1983年、高橋徹が死亡。
 観客にも死傷者が出たため、現場検証には警察が
介入す
ることになった。
 さらに高橋の遺族や関係者は死傷した観客側から
提訴さ
れ、事故の責任を問われた。
 グラウンド・エフェクト・カーの特性に起因する
との主
張もあり、グラチャンマシンが危険との印象
が生じた。
 1984年、グラチャンでグラウンド・エフェクト・
カーは
禁止になった。
 グラチャンの人気が復活する中、新しいスターが
育った。

     ​

 モトクロスのライダーから日産の契約ドライバーに
なっ
た星野一義は、1976年のF1イン・ジャパンで一時
3位を走行
する活躍を見せ、闘争心あふれる走りから
“日本一速い男”
の称号を得た。
 彼がグラチャンで初のシリーズタイトルを獲得した
のは
1978年。

     ​

 翌年チャンピオンは、ヒーローズレーシングで星野の
1年後輩にあたる中嶋 悟。
 好敵手として名勝負を繰り広げた二人だった。
 1987年、中嶋はロータス・ホンダに乗り、日本人初
のシリ
ーズ、フルタイム参戦のF1ドライバーとなった。

     ​

 好敵手を欠いたレースは面白みに欠けた。






最終更新日  2018年10月09日 19時29分19秒
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シングルシーター導入
 マーチ・BMWの組合せが全盛で、ムーンクラフト製
セミロングテールのマシンが勝者の定番となりつつあ
った。

     ​

 1976年、富士スピードウェイで日本初のF1グランプ
リが開催された。
 グラチャン勢は、星野一義、高原敬武、高橋国光が
参戦。
 76年、77年と世界最高峰のフォーミュラレースを見
しまったことで、観戦客はグラチャンは頂点レースと
して物足りなくなった。
 打開策として、参加台数を確保し、よりコンペティティ
ブなレースを展開させるべく、F2000とも共通点の多い
座スポーツカーの導入がはかられた。

     ​

 アメリカでは排気量無制限スポーツカーのCan-Amシリー
ズが人気低迷により、ポルシェ917/30ばかりが勝つ規則
を変更。
 F5000のシャシーにカウルをかぶせたシングルシーター
を使い、停滞していた人気を回復していた。






最終更新日  2018年10月09日 19時31分54秒
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