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2011年06月26日
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関西電力北陸支社の広報誌『やまびこ(No96`11夏の号)』(平成23年6月24日発行)に全8頁のうち6頁にもわたり、『名水の麓 西尾味噌醤油店』の地元の舟見(富山湾の舟が一望できる高台で、この地名がついたといわれています)が特集されていました(全文はこちらからhttp://www1.kepco.co.jp/info/hokuriku/yamabiko/index.html)。

ご覧いただいている表紙も、加賀藩の本陣があったご当地、舟見で参勤交代の人たちに楽しんでもらおうと『舟見七夕まつり』が江戸時代からはじまり、現在では名物となった七夕マラソンの模様がアップされています。ちょうど駅伝のようにタスキを渡す瞬間が掲載されています(弊店の目の前が、タスキを渡す恒例の地点になっています)。

北陸地域以外の方には、『なんで北陸の富山県なのに関西電力?』と思われる方もいらっしゃると思います。実は、映画『黒部の太陽』で取り上げられている黒四ダムをはじめ、地元の黒部川水系のダム開発は関西電力が主体となっており、こうした縁から、この富山の地でも広報活動を展開されています。

このブログの2007年11月26日付け『雲雀野(ひばりの)台地にたたずむ宿場町、舟見本陣の由来について』でも紹介させていただきましたが、モバイル金沢城(?!)的な立場である本陣(つまり、お殿様がいる場所が本陣であり、参勤交代中は宿泊場所が御城の役割、モバイル金沢城(笑))の面白いエピソードがより詳しく、地元史家の話として書かれていました。

『江戸文化年間、焼失した金沢城二の丸御殿を再興させるため、黒部奥山から多くの名木が切り出されました。それらの名木の余りを使って、脇坂氏は舟見本陣の御座の間を造ったとされます』と・・。しかし、ここにちょっと裏話めいた逸話が書かれてあり、『もしかしたら脇坂氏は、黒部奥山から切り出した良材の中から一番すぐれたものを、金沢城ではなく、こっそりと地元の本陣に使ったかもしれません』と(笑)

実は、脇坂家は我が家の縁戚でもあり、江戸時代までは黒部奥山廻り役という加賀藩の領域警備も務める重要な役職も兼ねていましたから、こうしたこともおそらくできたのでは、と私も考えます。

『かつての宿場町に本陣を復元させた例は各地にありますが、当時のままの材木を使って忠実に再現したものは稀だと』も書かれてありました。明治以降、本陣の役割もなくなり、医院に転じた脇坂家は、自宅を改装する際に、昭和30年頃まであった本陣跡の材木をそのままつかって2階に復元されました。町の重要文化財にもなっていて、私も友人などとたびたび拝観していますが、現在も生き生きとした材質と威厳は見事なものです。金沢城がなくなった今、とても貴重な文化財といえると思います。

ちなみに、たまたま『情報ライブ ミヤネ屋』という番組を見ていたら、大坂で育毛医として結構がんばっている『脇坂クリニック大坂』の脇坂院長が出ていました。私のまたいとこの次男です(笑)男兄弟三人とも医者をしていますが、だれか戻ってこないのかな?

(追伸) 「奥山廻り-wikipedia」の冒頭の絵図も脇坂家所蔵だった「『新川郡奥山絵圖』古写図、脇坂長右衛門筆 天保7年(1836)、富山県立図書館蔵」となっています。ご参考まで。









最終更新日  2011年07月10日 14時47分01秒

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