鰯ヘッド最終回 親玉登場
昔は鰯ヘッドに何某かの期待もあった。閉塞した社会状況。戦争。厄災。それら大きなギャップを目の前にして飛び越える力を与えてくれるものなのかも知れないとその可能性を模索もした。だが模索すればするほど鰯ヘッドの壊滅的状況の全貌が見え始める。仏教系、キリスト教系、イスラム、ヒンデゥー、自然崇拝や先祖崇拝などの神秘主義系などに大別され、異端としてはUFOだの四次元人だの持ち出してくるニューサイエンス系もあるにはあるがニューサイエンス系の主張教条信条は極めてリアリティ脆弱で、頑張ってもギャグのネタにしかなり得ないのでここでは敢えて現行の鰯ヘッドのうちには数えないこととする。ま、数えても数えなくてもどっちでもいいと言うべきか。組織として巨大で、その理論的支柱が聳え立ち、組織成立から一定の時間も経過し、課金集金システムが完成しているところは組織内部に緩衝構造を抱えているので組織的矛盾も外部に噴出しづらいが所謂新興の鰯ヘッドはネット文化華やかなりし今日この頃、矛盾や問題が世間に巷に噴出しまくりである。任意の鰯ヘッド名でググればいくらでも具体例は探せると思うのでいちいちここであげつらう事はしないが、多くの問題の発端を何処に求められるかと言えばやはりそれは組織経営に関するあれこれである。組織の大小を問わず、鰯ヘッドの主義主張を問わず組織を運営していくためには何らかの経済的基盤が必要であり、その基盤を得んとするが為に鰯ヘッドは汲々とする。多くの鰯ヘッドが理論的支柱とする扶助や救済や擁護、安寧、平和などの概念は組織経営の難しさの前では所詮机上の空論なのだ。組織の円滑なる運営管理がないことには鰯の頭を用いての救済や安寧の為に活動に従事することも出来ず、誰一人の魂も救済もしてやれず、使うに必要なだけの鰯の頭を購入仕入れることもままならないのだから仕方ないっちゃあ仕方ない。一方、集金システムががっちりと確立し、組織運営にさして気も使わずに済む巨大な鰯頭は暇と余裕に飽かせて誇りとプライドとを肥大させ、満足に身動きも取れないほどに肥満してしまう。そうなるともはや無用の長物だ。ただデカイだけだ。ま、確かに単にデカイというだけで存在意義を認める向きもあろう。しかしその扶助のシステムも救済や擁護も安寧も平和もすべては形骸化しまともに機能していないのだから批判されて然るべきだろう。一人撃ち殺すたびに胸で十字を切り、死体を転がしては南無南無と唱え、スティンガーでヘリを撃墜してはアッラーアクバルと天を仰ぐ。こんな連中に救済や安寧を語る資格がないのを妥当と言わずして何を妥当としよう。で、現代最大の鰯ヘッドは何かと言うと十字でも南無でもアッラーでもなくてそれはMONEYである。金があればなんでもできるなんて台詞を誰もが吐けるのはその証左だ。神は万能と主張しづらくなってきて、今やMONEYがその役割を担っているのである。しかしMONEYも所詮は鰯の頭であることを忘れてはならないだろう。鰯の頭には鰯の頭ほどの価値しかない。たとえ世界中のみんなが鰯ヘッドサイコーと大絶賛、もろ手をあげて鰯ヘッド大歓迎の大騒ぎをやらかそうと、あなたは高く空の上にのぼり、遥か眼下を見下ろせば、そこには鰯の頭を奪い合う人の群れが蠢くばかりである。