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尼僧の窓辺から

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2011.04.20
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  「自分には何が出来るのか」
 それは、この震災を通じて何度となく突きつけられた問いでありました。おそらく国民の皆さん、さらには外国のみなさんも同じなのでしょう、雑誌や新聞においてもよく見かけました。

 新聞の記事を読んでは涙が止まらなかった日々。そして先に出発した彼の寒そうな声を聞いて出発を決めた夜。
 たまたま取材を受けてちょっとした有名人になってしまった彼を新聞で見たのは、その出る直前の朝でした。
 それは本当に美しい光景でした。
 
何かしたい、でも、何ができるのか、私には。
 多くの人が繰り返すその反問と同じものが私の中にもありました。しかしそれを突破して、すでに歩き出していた彼を見ました。

 実際被災地に到着して、どこまでも続く瓦礫の前に、私は足がすくんでしまいました。
 和尚様にも励ましを頂きました。でも、歩くのは自分です。結局、歩き始めてすぐ、倒れてしまったポストを見て、また涙がこぼれ、泣きながら町を歩き、ただ鈴をならしました。
 ようやく落ち着いたのは、舞い上がる粉塵や石灰の粉に目を細め鼻をすすっている自分に気づいた頃です。廃墟にも瓦礫にも、托鉢のようにお経を唱えておりました。

 一体、何の涙だったのか、自分でもよくわかりません。ただ亡くなられた方を含め、倒れて線が見えている電柱や、ひっくり返ってつぶれている車、根っこごと横倒しになっている木々が、とても哀しいのでした。
 それら物々すべてにお経を届けたい、鈴を響かせたい、そんな思いでいっぱいでした。広々としてしまった町の一区画一区画の真ん中を通って歩き、海にも船にも石にも向きあいました。そして添えられた花束の横に、火は点けれませんでしたが、お線香を供えさせて頂きました。

 聞いておくれ、届いておくれ、これが、この残酷なこの惨状が、自然界の摂理なんです。ごめんなさい、人間は簡単に受け入れられないでおります、でもきっと…と、今思えばそんなことかもしれません。

 ただただお経を唱え、鈴をならして歩きました。

 

  そんな毎日でした。






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Last updated  2011.04.20 11:49:03
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