私のホンネ
あれから3年・・・・新幹線が止まって帰ることができなくなった帰宅難民の人を受け入れたのが序曲「新潟の時は誰も来なかったから今回も来ないよね・・・」なんて安易に被災者受け入れに名乗りを上げ。いざ、ホントにいらしゃった時には受け入れの態勢が分からなくて右往左往。浪江町のじいちゃんばぁちゃんの悲しみが痛いほどわかって、速く福島に帰れるように願ってたけど、今だに帰宅困難区域。でも、あの時子供を連れて長崎に帰りたかった。悲惨な現実に逃避したかった。子供だけでも避難させたくて、「九州に行ってる?」ってきいたら「どんなになってもママと一緒がいい」の言葉に踏みとどまった。震災後から綺麗な青空が悲しく見えた。もう3年。まだ3年。