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宮本武蔵(手向山)顕彰碑・碑文

北九州市の小倉に手向山という山があります。
その山頂に宮本武蔵先生を顕彰する大きな石碑があります。
武蔵先生没後、9年目に、先生の養子であり、
小倉藩の家老、宮本伊織が建てた顕彰碑の碑文を
以下に示します。尚、この碑文の下には、
武蔵先生の遺骨の一部とその他のものが
収められております

時間があります際に以下の碑文を
完全なる英語に訳したいと思っております。
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武蔵顕彰碑・碑文:

天仰実相円満、兵法逝去不絶。

兵法天下無双。

播州赤松末流 新免武蔵玄信二天居士。
正保二暦五月十九日、肥後国熊本に卒す。
時に、承応三年四月十九日、孝子、
敬しんで焉を建つ。

臨機応変は良将の達道なり。
武を講じ、兵を習ふは軍旅の用事なり。
心を文武の門に遊ばせ、手を兵術の場に舞はせて、
名誉を逞しくする人は、其れ誰ぞや。
播州の英産、赤松の末葉、新免の後裔、武蔵玄信、
二天と号す。想ふに夫れ、天資曠達、細行に拘らず、
蓋し斯れ其の人か。

二刀兵法の元祖と為るなり。父、新免、無二と号し、
十手の家を為す。武蔵、家業を受け、朝讃暮研す。
思惟考索して、十手の利は一刀に倍すること甚だ以て
夥しきを灼知す。然りと雖も、十手は常用の器に非ず、
二刀は是、腰間の具なり。
乃ち二刀を以て十手の理と為せば、其の徳違ふこと無し。
故に十手を改めて二刀の家を為す。誠に武剣の精選なり。
或ひは真剣を飛ばし、或ひは木戟を投げ、北する者、
走る者、逃避する能はず。其の勢、恰も強弩を発するが如し。
百発百中、養由も斯れに踰ゆること無きなり。
夫れ惟れ、兵術を手に得、勇功を身に彰かにす。

方に年十三にして、始め播州に到り、
新当流、有馬喜兵衛なる者と進んで雌雄を決し、
忽ち勝利を得たり。十六歳春、但馬国に到る。
大力量の兵術人、秋山と名のる者有り。
又、勝負を決し、反掌の間に其の人を打ち殺す。
芳声街に満つ。

後、京に到る。扶桑第一の兵術、吉岡なる者有り。
雌雄を決せんことを請ふ。彼の家の嗣、清十郎、
洛外蓮台野に於いて竜虎の威を争ひ、勝敗を決すと雖も、
木刀の一撃に触れて、吉岡、眼前に倒れ伏して息絶す。
予て、一撃の諾有るに依り、命根を補弼す。
彼の門生等、助けて板上に乗せ去り、薬治、温湯、
漸くにして復す。遂に兵術を棄て、雉髪し畢んぬ。

而る後、吉岡伝七郎、又、洛外に出で、雌雄を決す。伝七、
五尺余の木刀を袖して来る。武蔵、其の機に臨んで彼の木刀を
奪ひ、之を撃ちて地に伏す。立ち所に吉岡死す。
門生、寃を含み、密かに語りて云く、
「兵術の妙を以ては、敵対すべき所に非ず。」と。
籌を帷幄に運らして、吉岡亦七郎、事を兵術に寄せ、
洛外下り松辺に会す。彼の門生数百人、兵仗弓箭を以て、
忽ち之を害せんと欲す。武蔵、平日、先を知るの才有り。
非義の働きを察して、窃かに吾が門生に謂ひて云く、
「汝等、傍人と為りて速やかに退け。縦ひ、怨敵、群を成し、
隊を成すとも、吾に於いて之を視るに、浮雲の如し。
何の恐るることか之れ有らん。」と。衆の敵を散ずるや、
走狗の猛獣を追ふに似たり。威を震ひて帰る。洛陽の人皆、
之を感嘆す。勇勢知謀、一人を以て万人を敵する者は、
実に兵家の妙法なり。

是より先、吉岡、代々公方の師範を為し、
扶桑第一の兵術者の号有り。霊陽院義昭公の時に当たり、
新免無二を召して、吉岡と兵術をして勝負を決せしむ。
三度を以て限り、吉岡、一度利を得、新免、両度勝ちを決す。
是に於いて新免無二をして日下無双兵術者の号を賜はらしむ。
故に、武蔵、洛陽に到り、吉岡と数度の勝負を決し、
吉岡兵法の家、遂に泯絶す。

爰に兵術の達人、岩流と名づくる者有り。
彼と雌雄を決せんことを求む。
岩流云く、「真剣を以て雌雄を決せんことを請ふ。」と。
武蔵対へて云く、
「汝は白刃を揮ひて其の妙を尽くせ。
 吾は木戟を提げて此の秘を顕はさん。」と。
堅く漆約を結ぶ。長門と豊前との際、海中に嶋有り。
舟嶋と謂ふ。両雄、同時に相会す。
岩流、三尺の白刃を手にして来たり、
命を顧みずして術を尽くす。
武蔵、木刀の一撃を以て之を殺す。電光も猶ほ遅し。
故に俗、舟嶋を改めて岩流嶋と謂ふ。

凡そ、十三より壮年迄、兵術勝負六十余場、
一つとして勝たざる無し。且つ定めて云く、
「敵の眉八字の間を打たずんば勝ちを取らず。」
毎に其の的を違はず。古より兵術の雌雄を決する人、
其の数を算ふるに幾千万かを知らず。然りと雖も、
夷洛に於いて英雄豪傑の前に向かひ人を打ち殺す。
今古其の名を知らず。武蔵一人に属するのみ。
兵術の威名、四夷に遍く、其の誉れや、
古老の口に絶えず、今の人の肝に銘じる所なり。
誠に奇なるかな、妙なるかな。力量旱雄、尤も他に異なれり。

武蔵、常に言く、「兵術、手に熟し、心に得て、
一毫も私無ければ、則ち、戦場に恐れ、大軍を領し、
又、国を治ること、豈に難からんや。豊臣太閤嬖臣、
石田治部少輔謀叛の時、或ひは、摂州大阪に於いて、
秀頼公兵乱の時、武蔵の勇功佳名、
縦ひ海の口、渓の舌に有るとも、寧ぞ説き尽くさんや。
簡略に之を記さず。
武蔵の勇功、佳名縦(ほしいまま)に、海の口、渓の舌に有り。
寧(あに)説き尽くして簡略にこれを記せざらんや。


旃に加へ、礼楽、射御、書数の文に通ぜざる無し。
況や小芸巧業をや。殆ど無為にして為さざる無き者か。
蓋し大丈夫の一体なり。

肥之後州に於いて卒する時、自ら、
「天仰実相円満之兵法逝去不絶」の字を書き、
以て言く、「遺像と為せ」と。
故に孝子、碑を立て、以て不朽に伝へ、
後人をして見しむ。嗚呼、偉なるかな。





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