琵琶湖疎水記念館
5月に、琵琶湖疎水のインクラインのことを書いたが、その時に行くことのできなかった「琵琶湖疎水記念館」が気になっていて、今回、雨という博物館見学日和に恵まれて、のんびりと丁寧に見学してきた。琵琶湖疎水とは、滋賀県の琵琶湖から京都市内まで、約10キロを、堀やトンネルで水を通したもの。東京遷都による京都の衰退に危機を感じ、京都に活力を戻すため、明治16年(1883年)に測量を開始したというから、当時の政治家の先を見た考えに驚きを覚える。当時としては日本一となる長さ2436メートルのトンネル、など、そのほとんどを人力でだけで工事したという。疎水は水運にも使われ、水は、飲料水、潅漑、発電に使われている。水力発電のおかげで、市内に日本で初めての公共電気鉄道を走らせることができ、京都は活力を取り戻したという。そして、明治末期には、人口増による飲料水や電力の不足に対応するため、二本目の疎水を掘った。先人の先を見越した考えと、それを実行するための力、そして金(税金)。議会は、税金を課してでも疎水を建設することを決定したというから、真の政治家ここにあり、という思いである。