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カテゴリ:越南紀行★ベトナム
![]() ベトナムは今こそ平和ですが、 つい30年まえまでは戦禍にまみれていました。 それも日本の終戦とともに、フランス軍が攻め込んできてから、 サイゴン陥落まで実に30年間も戦争状態にあったのです。 日本軍が旧フランス領インドシナ(いわゆる仏印)から撤退したとき、 日本軍は命令で仏印政府を解体していました(仏印処理) このためベトナムには、第二次大戦直後に権力の空白ができていたため、 ホーチミンさんはベトナムの独立を宣言します。 ところが宗主国フランスとしては面白くないので、 自分トコの息の掛かった王族バオダイさんを君主とした国を 南にうちたてます。これが南ベトナムになります ![]() ![]() フランスはハノイ攻撃とラオス防衛のため、ディエンビエンフーの 要塞に大軍を集結させますが、これがベトナム軍によって陥落させられます。 (1954年 ディエンビエンフーの戦い)大量の捕虜をとられて 大恥をかいて、フランスはベトナムから撤退します ![]() その後、インドシナの共産化をおそれたアメリカがバトンタッチ ベトナム戦争は、アメリカの物量vs北ベトナムのゲリラ戦となります。 国家元首のほうもバオダイさんは国民から人気がなくなったため、 旧貴族のゴ・ディンジェムさんが首相になります。 ![]() これがゴ・ディンジェムさん かれは比較的クリーンな政治をしてましたが、 あまりに熱心なカトリックだったため、左翼勢力のみならず 仏教界から猛反発をくらいます。 ・・・そして有名な僧侶の焼身自殺による抗議がおきます ![]() これをゴ・ディンジェムの婦人が 「あれはバーベキューじゃない」「つかったガソリンもアメリカ製でしょ」と 毒を吐いたため、ますます反感を買って ケネディ政権のときに軍のクーデターで殺されてしまいます。 余談ですが、フランスの女学生がこの事件の後に 同じく焼身自殺で抗議します。 その時、日本で出来たのが有名なこの曲です その後は、強硬派のグエンバンチューさんが大統領になりますが、 戦況は一進一退といったところでした。 やがてそれを揺るがす大事件がおこります。 1968年1月29日、ベトナムの旧正月(テト)のときに 一斉にベトコン(南ベトナム解放勢力)が蜂起します。 ![]() 有名なこの写真は、テト攻勢でつかまった ゲリラの司令官の公開処刑写真です アメリカは大使館を占拠され、政府も空港を破壊されるなど大規模な 損害をうけ、一気に厭戦気分がアメリカを支配します。 で、当時のリンドン・ジョンソン大統領(戦争積極派)が 大統領再任を拒否し、アメリカはベトナムへの支援を 控えるようになります。 アメリカの支援をうしなった南ベトナムは、自然崩壊に 近いかたちで敗走をはじめます。 戦線は至る所で崩壊し、首都防衛のため勢力をサイゴンに 結集します。 ベトナムにいくと、みなさんが最初につくタンソンニャット空港 ![]() ここがまさに勝敗の分かれ目となりました。 解放勢力の放った迫撃砲が空港の滑走路を破壊、 これにより空軍・旅客機一切の飛行機の離発着が不可能になりました (たしかに、空港は首都中心部からチョットはなれたところにあります) 空港が占領されたことで、サイゴン市内は大混乱になり 略奪・暴行がおこなわれ、地方からの南ベトナム軍の支援部隊も 到着できなくなります。 ![]() ![]() 最後、解放勢力が大統領府を占領。南ベトナムの国旗を 引きずりおろして解放勢力の旗にかえます。(有名なシーンですね) 現在も大統領府に突入した2台目の戦車は、 大統領府(現在の統一会堂)に展示してあります。 ![]() アメリカを破った、すごいおじさんの写真です ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月29日 23時42分19秒
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