職の精神史

2008/05/08(木)01:36

34.社会とは・・・

内定への一言(人物/思想)(46)

※この文章は、2003~2006年に大学生・若手社会人向けに配信されたメルマガ『内定への一言』のバックナンバーです。 34.「社会とは、邂逅による結合にほかならない」(伊藤肇) 出会った当時はそれほど大きな期待や変化を予想しなかったのに、時がたって自分に訪れた現実が予想以上に素晴らしかったり、そうでなかったりした場合、人は「きっかけ」の位置付けに納得したがります。 ある人は「運命だった」と言うかもしれないし、「あの時のあれが良かったんだ(悪かったんだ)」と、現実を受け入れるために自分を説得します。 そんなこんなで、我々が意識的であれ、無意識のうちであれ、日夜行っている思考や判断が蓄積され、「今」という現実を招来したのは、まぎれもない事実です。 「邂逅」とは、様々な要因や思いが影響して、人と人が出会うことを言いますが、この社会における様々な組織、とりわけ「会社」や「学校」、友達も、「邂逅」です。 今、とっても仲がいい友達のことを考えてみて下さい。なぜ仲良くなったんですか?どう出会ったんですか?最初に会って、なぜ「また会った」んですか? つまり、どうして「邂逅」が起こったのでしょうか?「そうなるしかなかった」としかいいようのない要因があったんだと思ってしまいますよね。 「多分、あれが原因だ」という理由付けから特定され、再現される行為や状態は「ジンクス」と呼びますが、同じように、例えば左足から靴下を履いても、普段は食べないお菓子を食べてジンクスを信じ、幸運を期待してみても、なかなか再現されないところが、邂逅の邂逅たるゆえんでしょう。年を重ねるにつれ、この不思議な邂逅が増えていくのも、人生の面白いところです。 読者の皆さんも、これからの就職活動や仕事で、「また会いたい」と思う人や会社に出会ったり、「今は必要ないかな」と思う人や会社に出会ったりするでしょう。 そして、数年後には、自分の性格や判断が作り出した邂逅を振り返っているでしょう。今日の一言は、戦前、戦後の経済界をリードした数々の経営者の思想を「中国古典」によって裏付ける、という野心的な試みを評論界に持ち込んだ昭和中期の名ジャーナリストが、死の二年前に書いた「十八史略の人物学」(PHP文庫※絶版)の中でさりげなく書いている言葉です。 所収されている章は「応対辞令の人間学」という章で、「人として出処進退を潔くし、使うべき言葉を日頃から磨き上げていけば、全うするにふさわしい人生というものができているのではなかろうか」といった意味の内容で、特にリーダーたる者は「退」を大切にし、言葉を控えめにすべきであろう、と書いています。 良い言葉が良い人生を作るので、自分のことを考える時も、人と接する時も、注意深く言葉を扱おう、ということです。つまり、「言葉が邂逅を生み出す」ということです。僕たちも、自分の使った言葉、思考した言葉によって、今、ここにいるわけです。そして、どこかに向かっているわけです。 僕の年齢で、果たして死を控えた時期の伊藤さんの心情がどれだけ分かるかは疑問ですが、僕は今日の一言がとても好きです。人生から後悔や嫉妬をなくし、適度な具合に「これでいいんだ」と自分を緊張させ、落ち着かせてくれる言葉だからです。 これから起こることも、全て受け入れられる気分にさせてくれるからです。FUNもまた、夢や問題意識に導かれた学生たちが、「もっと分かりあいたい」、「もっと自分を高めたい」、「もっとこんな友達と一緒に学びたい」と願って実現している「邂逅」にほかなりません。 ある種の集まりの中で、性質を見るのに一番ふさわしい要素は、言葉です。良い言葉を発し、良い言葉を受け入れ、自分の精神と知性を少しずつ鍛えあげていきましょう。そうすれば、未知のことにも臆することがなくなります。 FUNでは早速、SPIの勉強会が今週から始まり、今日お話を聞いた学生さんは、「こんなのをやるんだ」と少し実感が湧いたようでもありました。これもまた、一つの邂逅ですね。就活も素晴らしい出会いの連続です。来月からの就活コースも、どうぞお楽しみに。FUNで蓄積してきた全ての資料とノウハウを結集して半年間お届けするので、部員の皆さんは、受かりすぎにくれぐれもご注意下さい。(交通費は貯金しておきましょうね)

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る