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発達障がいな息子たちとの日常

発達障がいな息子たちとの日常

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2013.11.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
抗がん剤投与は
1週間に一度。
それを4回、つまり4週間で1クールです。
これを何クールか繰り返す、というもので、
3週目の投与後の状況によっては退院して
4週目は通院で受けることもできるという予定でした。


心配していた副作用もほとんどなく
2週目の投与まで順調でした。
3週目を目の前にしたある晩、
夜中に一人でトイレに行こうとして
24時間休みなしに続く点滴のスタンドに足が引っ掛かったらしく
転倒して頭を強打したようでした。

その時すぐにナースコールをすれば良かったのですが
あまりの痛みで起き上がるのもつらく
我慢しているうちに痛みがひいてきたから、と
ベッドに戻って朝を待ったようですが
それでも朝一番に連絡したのは看護師さんではなく、
家にいる父でした。

それほど心細かったのでしょう。

病院へは父から連絡し
急遽、頭部MRIを撮ることに。

家族はみな口をそろえて
なんで朝までナースコールしなかったの!と言いましたが
よくよく考えてみると看護師さんも
朝まで一度も見回りしていなかった、ということなんですね。

検査の結果、
思いがけず、脳梗塞が見つかりました。

母は後に自分の姉や友人に
「転んで頭を打ったから脳梗塞になっちゃった」と
抗がん剤が中断された理由を話したようでしたが
この脳梗塞もガンによるものでした。
ガン患者は血栓ができやすいのだそうで
その血栓が脳に無数に見られるとのことでした。

実は
入院する前から
その様子は現れていたのです。

「最近ちょっと言うことがおかしいんだ」
と、父が母を心配するようになっていました。

ガスを消し忘れたり、
言ったことを言っていないと言い張ったり、
ちょっとボケてきたみたいだ、と
老化による痴呆の心配でした。

そして
入院してからも
なんだか最近、右手に力が入らないんだよ、と
言っていた矢先の転倒でした。

なので
転倒したのも
右手がうまく使えず点滴スタンドを動かしにくかったことと
もしかしたら足にも
軽い麻痺があって動きが悪かったのかもしれませんが
本人はあくまでも
転ばなければ抗がん剤が続けられたのに、と
自分のうっかりを悔やんでおりました。


脳梗塞があると
抗がん剤投与はできないそうで
まずは、
脳梗塞がこれ以上進行しないようにすることが優先になり、
血栓を溶かす点滴を1週間以上続けて
様子を見ることになりました。


その間は
特に右手の軽い麻痺以外には何の症状もなく
こんな退屈なら帰りたい、
この点滴が終わったら帰れるよね、と
しきりに帰りたがっていました。

点滴と同時進行で
麻痺へのリハビリも始まりました。

でもこの病院でのリハビリは
あくまでも入院患者さん対象で
仮に通院での抗がん剤投与となった場合には
他の病院でリハビリを続けてください、と言われましたが
特に紹介も提携もなく
自分で病院を決めてきた後に
市民病院から紹介状を書く、ということでした。

当時真剣に、
どこが通いやすいかと思いを巡らせていたことが
今となってはとても空しいです。


脳梗塞診断から10日ほど経って
ようやく点滴が終わりました。
入院から約6週間が経っていました。

今後の予定を説明に来た担当医が

「一度、帰りたいよねぇ。入院長くなっちゃったもんね」。

母の顔がパッと明るくなりました。
ただ心配なのは
食事。

食欲ないし、
病院の食事はおいしくない、と言って
ほとんど食べていなかったため
栄養を点滴に頼っていたのです。

これが外されて
家で食事が摂れるのかどうか
家族みんなが心配でした。

本人はいたって平気。
今の自分の状態が
家でも続くと信じていたからでしょう。

そして10月7日、
退院。


久しぶりに家に帰って
本当にうれしいと喜んでいましたが
翌日から急速に体力が落ちていきました。

家で美味しいお米が食べたい、と
魚沼産の高級米を買って
食べたのはほんの一口。
お味噌汁が作りたいから、と
豆腐を頼まれて買っていったものの
開封することはなかったです。

家にいってもほとんど横になっていて
目を開けているだけ。
寝てばかりも腰が痛いからと
たまに起きてきても
ソファに深く座ってボーっとしているうちに
ずるっと倒れこんでしまう。
テレビの前にいても観ているわけではなく
読書が大好きだったのに
本にも新聞にも手を出さない。
話しかけても気の無い返事が返ってくるだけで
ただただ
「居る」だけでした。

日に日に弱っていく上に
浮腫と黄疸がひどくなり
ついに起き上がることもできなくなってしまったので
ちょうど仕事が休みだった兄が
病院に連れて行き、
そのまま再入院となりました。

10月11日。
退院からわずか4日目でした。


初めの入院と違って
心の準備もなく
楽しみにしていたはずのわが家での日常から
突然切り離されたまま
二度と帰れなかったことは
とても無念だったと思います。

再入院した時の母の
真っ黄色の顔と、
当初入った大部屋で
自分の向かい側の患者さんの枕元に
『絶飲食』と書いた札がかけられているのを見た母の
「あの人、可哀相にねぇ」
という一言が
忘れられません。





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Last updated  2013.11.11 15:50:31
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どんどこ母さん@ kazuyorちゃん >認めたくなくて子供に向き合わない親御…
どんどこ母さん@ haruharu318さん >おつかれさまでした。ついこの間、前の…
どんどこ母さん@ Re[1]:学童最後の日(09/29) 温かいメッセージありがとうございます。 …
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