◇ACL断裂を経験してから◇ACL再建が決まってから1週間後病院に行った!今すぐにでも再建して欲しいって気持ちだった。その気持ちを受け入れてくれたDr.は、H15年12月11日(木)に手術をする事に決めれくれた。 その日学校に行き、担任に手術するからしばらく学校を休む事を伝えた。休む事なんてなんとも思って無かった... 友達から沢山言われた。お見舞い行くね、毎日行くね。と...嬉しかったけど、この時の自分はそれはどーでも良かった。早くサッカーに復帰したいんだ。ただその気持ちで一杯だった。 でもこの時は気持ちが凄い不安定だった。サッカーを見るのも嫌になっていた。 見るのがきつかった、出来ない自分がいるからだ。 クラブにも行きたくなかった。サッカー出来るのに頑張って無い人が沢山いる、それを見るのが凄く嫌だった。何で出来るのに頑張らないんだょ!!そんな気持ちだった.. 唯一、練習試合を見に行った。県選抜で全国大会を控えてたからだ。自分も選ばれてた。 練習試合の場所に向かっている途中バスの中、クラブの先輩からmailが来た。「今日行ってるの?」って...『行ってるょ』って打ったら、返事に「一応選抜選ばれてるもんね」って来た...えっ!?「一応……」。先輩は別に悪気は無かったと思う、でもその言葉が凄くショックだった。一応なんだ...そんな風に。 練習試合の後、コーチに怪我の事励まされた。嬉しかったけど、辛かったし…何も言って欲しくなかった。 次の日、自分が高1の時知り合った先輩達と、御飯を食べに行く事になってた。手術したらしばらく遊びにいけそーもないから、遊びまくろーって思った。先輩は、高3の先輩、専門学校1年の先輩、大学1年の先輩だった。専門学校の先輩は理学療法学科がある専門学校に行っている。だから、前十字靭帯の事を話した。前十字靭帯が切れてて手術するんだって、わかってくれた。この前、前十字靭帯について勉強したそうだ。嬉しかった。わかってくれる人が増えて... 信じられる人が自分には居なかった。自分が前十字靭帯を怪我してから後輩がこの怪我を経験した事を知った。その後輩以外は信じられなかった。この靭帯について知っている人が居るってのはホント心強かった。 唯一わかってくれる人だって思った。今の自分の気持ちを..分かってくれる唯一の人。 その次の日で入院するから今年の学校は終わりだった。荷物全部持ち帰って、入院の準備を始めた。なんか、入院の準備はとてもワクワクした。早く手術したかったからだと思う。 入院当日...この日もワクワクしていた。夜はチョット興奮して寝付けなかった気がする。 再建してから退院するまで H15年12月11日(木)再建当日は、なんか変な気持ちだった。mailで後輩から、「手術しても完璧に治って、サッカーに今まで通り復帰出来るとは限らないょ」と言われた。確かに...復帰出来なかった人がいる事も知っていて、復帰できないかも?って不安もあった。ただそれ以上に必ず自分なら復帰出来るっていう自信があった。サッカー出来ないって人生が自分には考えられなくて、自分はサッカーの為なら、絶対辛いリハビリも耐えられるって思ったからだ。 手術前、不思議と緊張とかは無かった。ただ…注射は痛かった↓↓ 手術次の日、さすがにきつかった。こんなに辛いって思って無かった。こんなに痛いもんなんだって...主治医のDr.からは「そりゃぁ足を切ってるから痛いょ」って言われた。ホントに痛い... 夜は泣いた。手術ってキツイもんなんだって。 術後2日目もきつかった。ずっと、ベッドに寝てるか座ってるかで、腰・背中、痛かった。もちろん右足全体も寝てばっかで痺れまくってるし... 親からは「手術しなきゃ良かったね」とも言われた。その時は自分もそー思ってたかもしれない。 術後3日目ぐらいには、自分で車椅子に乗れるようになった。そこらへんから、手術して良かったって思えるようになってきてた。確かに右足は痛いけど。 右足に関してかなり敏感だった。チョットでも足を動かしたら再建した靭帯が切れてしまうんじゃないか...とか。凄く心配だった。 術後4日目でやっとリハビリ開始。足をつく時恐かった。でも爪先立ち歩行ってので歩く練習をする。沢山驚いた事があった。筋力がホントに弱まってる...普通に出来るはずの事が出来なかった。こんな抵抗が少ないリハ用のゴムも引っ張れないって思うと、筋力戻るんだろーか...不安になる事もあった。 チューブ訓練では、膝がかなり痛かった。思うように力が入らない、きつかった。 松葉杖になった。なんか、すっごい進歩したって気がした。嬉しかった。松葉杖もきつかった。爪先立ち歩行は移動にも時間がかかるし... でも入院生活は嫌じゃなくなった。手術がきつかったって事も松葉杖になってから、忘れかけてたかもしれない。 入院中、自分は松葉杖で公衆電話で電話をしよーと電話Boxに入る時松葉杖だと凄い不自由でスムーズに入れなかった。違う病棟に入院してる子が通りがかりに電話Boxのドアを自分が入るまで開けてくれた。かなり嬉しかった。とゆーか感動だった。 退院の時は退院したく無い程だった。退院する時はリハビリをちゃんと家で入院してたように出来るか心配でたまらなかった。 でも主治医の先生がリハビリのメニュー&ちゃんとやったかを1回1回書いていける紙をくれた。 やらなきゃいけないって思うとやれそーだ。 って事で退院した。 (H16 7/29) 退院してからサッカーO.K出るまで リハビリが毎日出来るか心配だった。普通より早い退院で、リハ室が休みにしまうからってのもあって退院ってなったけど… 家に帰ったら、かなり不自由だった。段差は沢山あるし、松葉杖で移動しにくい。凄い疲れた↓毎日が。 でも、リハビリは1日も欠かさずに出来た。 退院後初めて病院の外来に行ったら、リハちゃんとしてるから順調みたいに言われた。 学校が始まったら苦労の連続。教室は3階だし、階段は沢山有るし...大変だった。トイレに行くのも一番遠くて大変すぎ。 階段を松葉杖で行くのはかなりきつかった。たまに松葉杖がひっかかって危なかったし。 1ヵ月後、病院での診察で、ジョギング許可が出た!嬉しかった。走れるって事が。今までリハビリ以外の運動が全く出来ず、かなりのストレスだった。走りで発散しようと思ったけど…初めて走った時走れなかった。 走り方忘れたんじゃないか?とさえ思った。 でもその心配はすぐ無くなった。走る事を続けていくうちに、軽くだけど、走れるようになって来た。進歩したって実感出来た! さらに1ヵ月後…術後3ヶ月。病院に行った。装具を外すのはまだって言われた。自分は不安になった。3ヶ月たったら外れるって思ってたのに...でも後から聞いた事は、先生は自分の装具が取れた後、かなり走り回ってまた靭帯切れるんじゃないか?って心配してて外さなかったって事がわかった。先生は考えてくれてたって事がかなり嬉しかった。 でも、3ヶ月たって不安だった。このリハビリを続けてチャント競技復帰出来るのか?自分の目標はレクレーションレベルのサッカーでは無かったし、ホントにこのままで大丈夫か不安で一杯だった。違う整形外科の先生からは、どの選手も同じだよって言われた。でもプロの選手には、専門のPTがついているし、自分も自分だけを見てくれるPTがいればとかなり思った。 なかなか筋力が戻らない..まだ靭帯が弱い状態にあるから、ジョギングから自分なりにフライングして、ランニングを初めてたから前十字靭帯が大丈夫なのか不安だった。 新学年になって、学校のトレーニングルームで筋トレを始める事にした。足がトレーニングできないなら上半身を鍛えようって思って...これは担任に言われた事でトップの選手を目指すなら、全部を鍛えろって言われて↑ 勝手にエルゴメーターとかでかなり走って体力をつけようとしたり頑張った。もちろんリハビリは毎日した。 術後約5ヶ月ちょっとの時に、外来行って、筋力戻ってたら、サッカーO.Kが出る予定で…でも、サッカーO.K出る自信は無かった。自分でも右足の太さが左足よりも全然細い事がわかってたから。 しかも、正座も出来なかった。装具も制限無いのに、膝が真っ直ぐに伸びてなかった。これはヤバイって思ってた。親からもその足で大丈夫なの?とかサッカー諦めたら?とかまで言われた。 自分でも、もーサッカーは辞めようって何度も思って、クラブにも行ってなかった。ホントに悔しかったから... 女子サッカーのアテネ五輪予選、日本VS北朝鮮を見た。 そこで自分の気持ちが変わった!自分は、サッカー好きでやっぱりサッカーしかないって確信した。絶対、自分もあの舞台に立つ!満員の国立競技場でプレーするって夢を持った。それからはリハも楽しくなった。目標が出来て、リハに対する意識も変わった。 でも頑張ってるのにもも前の筋力が弱いのがきつかった。ど~すれば筋力が戻るかわからなかった。 そして、病院の外来...H16年5月24日(月)、診察される前から『多分サッカーまだ無理っぽいよ。筋力戻って無いし』って苦笑いで言った。先生は右と左のももの太さを測って「1cmだけだよ↑右足が1cm細いだけ、じゃぁ~サッカーしましょうか」って言ってくれた。かなり嬉しかった。もー完璧に復帰した気分になった。もちろん装具も普通の生活の中では取れた。でも「サッカーの時は装具つけてしてね」って事だった。 サッカーO.K出てから その日は部活に行って、ボール蹴れる事が嬉しかった!!でもやっぱり不安だった。右足でボール蹴る時も軽く蹴った。でもやっぱ楽しい↑サッカー出来るってこんなに楽しいんだって感じた! でもやっぱり急におもいっきりは絶対無理って自分でもわかった。ボール蹴れるのは楽しいけど、やっぱり恐い↓怪我した時のイメージが頭にあるから、絶対右足を軸にする事が出来なかった… サッカー、少しずつO.Kが出て試合はまだって言われてたけど、高校総体 H16年5月30日(日)に出たいって思いが凄くあった。皆で勝って九州大会行きたかった。高校で最後の大会だし...出るのはすっごい不安あったけど、それより勝ちたかった!!後半残り10分から出た。1チャンスしか無いって思ったのを決めきれなかった↓それで負けた。自分のせいって思った。自分が出なければ勝ったんじゃないか?って沢山思った。なんか、すっごい悔しかった...負けるなんて思って無かったし、試合出てこんなに自分がプレー出来ないっても思ってなかった。全然怪我する前のイメージと今の自分のイメージが違った...悔しすぎ... ぶっちゃけ、試合出て不安だった...膝は大丈夫かなって...でも膝はガクンってなってないしなぁ↑って...怪我するってやっぱ大変↓ それからもずっと...壁に向かってインステップで蹴る練習してた。やっぱり強くは蹴れないから、きつかった。なかなか復帰出来て無い...でも、客観的に見れば、チョットずつ成長してるんじゃないかな?って思う。最初は蹴れなくて、でも蹴れるようになって来た! まだ左足で蹴るのは恐かった。 徐々に横の動きも出来るようになって来た。接触プレーが無ければだいたいのメニューも皆と同じのをこなせるようになって来たし!! 接触プレーは自信が無かった。恐いって思う。 そして7月3日、U-18県大会があった。県大会レベルだったら、出れるかなぁ??って思って...久々、クラブで出れる試合だったし、試合ゎ、9ヶ月ブリだったし。かなりワクワクだった。UPからはりきって、その日は1試合だけだった。暑かったし、後半から出る事になって...シュートも何本か打てた。ぶっちゃけ試合出てすっごい楽しかったし、シュートが入らなかったのはブランクって感じだったけど、試合出れて楽しかった。別にコンビネーションが他の人と合わなかった訳でも無かったし! 次の日の準決勝も出れた。後半から...ホントに今日は点が取りたくてたまらなかった。シュート何本打ったかわからない程打って...1点決める事が出来た!やっぱりブランクはあったけど... 膝の調子は試合終わってからやっぱり辛かった。痛かったし、真っ直ぐ伸びてなかった。 決勝はホント少ししか出れなくて、シュートは打てたけど、やっぱ一杯出たかった。 2日間膝に気を使って、試合出てたから、やっぱかなり痛かった。膝がすっごいポキポキなるし..大丈夫かな?って感じで... でも自分の中で1点取った事でサッカーに対する思いがまた冷めてきた気がした。また膝が微妙な感じ...その後サッカーしたいって思わなかった。なんか、1点とってふっ切れたってゆーか… 膝が熱持ってるから1週間はしないがいいって行き着けの整形外科から言われて、あっそーなんだ。みたいに。平気で練習休んだ。 1個したのACL怪我した子もだいぶかかって復帰して試合で1点決めて辞めた。サッカーを。こんな気持ちなのかな?なんて思ったりもした。 でも、やっぱりサッカーしたくなった。U-18の大会に出た事で練習の最後のゲームとかも、出てもいいかもしれないって気持ちになって...一緒に出来るようになった。楽しかったし、全然通用しないって訳でも無かったし、やっぱり上手くは出来るって訳じゃなかったけど、自分なりに満足だった!! U-15のメンバーが大会前でU-15対それ以上みたいなゲームでも沢山点取れて来た。 でも、ゲーム一緒にするにつれて、皆と呼吸が合わなくなってるがわかった。すっごい...でも自分が思ってるだけじゃなくって他の子もそうだった。 1人1人が個人でサッカーしてるってゆーか..チームプレーに思えなくって悩んだ。でも、まともにサッカーに復帰してない自分がその事を言える立場じゃないって思って、悩む事しか出来なかった... U-15の大会が準優勝でしめくくられてから、次はU-18の県選抜の練習が始まった。すっごくワクワクしてた。でも、そっちもギクシャクだった。自分のチームばかりって訳でも無いし、余計にチームプレー出来なかった。1回目のゲームの時すっごい自分がゲーム中ドリブルばっかで、周りが全然見えてなくって、その時は自分でも自己中だったみたいな感じで思ってた。 先輩から指摘されてまた思った。 チームメートから怪我する前は上手かったって事を言われた。自分でもわかってるけど...今からそのプレーの戻る為に今頑張ってるのに...皆、勘違いしてる。自分の怪我の事全くわかってないし、どれだけサッカー我慢して、どんな思いでリハビリしたか苦労をわかってない。でも、わかって欲しくもないってのもある。わかるはずないし... チームメートにこの怪我の事話しても「はいはい」って感じで、ど~でもいいような返事ばっかり...だから、話す必要も無いってか話したくなくなる。 すぐ復帰したくても復帰出来る訳なんて到底無いし...キツイ。 最近悩んでばっか↓ (H16 7/27) 試合が合った。前期のリーグ戦最終節!!相手はいつも接戦で勝つか負けるか...あるいは引き分けになるかの相手。 試合の前までは出たいな↑って思ってたけど、相手がきてから、やっぱり体格もいいし、当たりもスピードも全然違うから、試合出るのは無理だって思い始めて来た。 前半始まって、やっぱり無理って思った。こんな中じゃ、皆に迷惑かけるだけだし、そんなんだったらホント自分が嫌になるし... でも、後半、やむを得ず出なければならなくなった。FWの子が怪我もしてしまって↓ 案の定、全く出来なかった。迷惑かけた...接触プレーってのがすっげぇ恐いって改めて思った。自分こんなにサッカー出来なくなってるってこの時今まで以上に思って。気持ちが最高に下がった。こんなにモチベーション下がったの...初めてかもしれない↓↓ 試合は結局ボロ負け。FWだったから、点を決めきれなかった事と、全くチームの役に立ってない事がショックだった。 テーピングとサポーターで試合に出たけど、装具をしてる時よりサッカーしてるのが恐い。さらに、プレーが消極的になった。 試合終わってから、このままじゃ復帰できないって悩みまくった。悩んで悩んでなんで膝こんな違和感あるんだよ。そんな気持ちでサッカーに対する情熱が無くなりそうだった。 そんなすぐ復帰出来る訳無い...それはわかってるけど、こんな苦しいんだなぁ?って。すっごい膝痛いし、また切れちゃうんじゃないか?って常に神経使いながら毎日サッカーしたり、普通に生活してる...ホントきつい。 サッカー辞めようっても考えた。マヂ悩んだ。 でも、1回一番下までプレー落ちたんだから、あとはあがるしか無いんだからってコーチの言葉思い出した。一から頑張ろう!!そして前よりいいプレーヤーに。そして、最後には自分の夢叶えてずっとサッカーで生きて行く為に頑張ろうってすっごい思った!! (H16 8/4) 相変わらず、サッカーする度に悩みまくり..デモだいぶその気持ちを流せるようになって楽になって来た。前迄は自分が下手だから、皆の視線とか恐かった...マヂ下手なんだけん出るな..とか思われてそーで。 U-18は、やっぱり選抜って事で競争...今だと出れるか出れないか際どい所...しかもチョット頑張らなかったなら、もーベンチにも入れないんじゃないか?って思ったりもする。練習試合では、全然いいプレー出来なかった。自分の持ち味はドリブルでも突破できるって事だったけど、怪我してからドリブルは絶対、DFと接触になるから恐くて出来なくなってる...まだ復帰じゃないからしょーがないけど、このままだとDr.からOK出てもチャント、プレー出来ないんじゃないか?って不安になる。 (H16 8/15) 試合O.Kが出てから(完全復帰) ジャンル別一覧
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