『奴』のせいでとんでもないことになりそうな…
ツーことで高王選びが始まります。一回でお終いにするつもりでしたが、半角で約2000字オーバーしちゃったので、削るのも大変だから前後編にわけることにしました。だから今日明日はいつもよりもちょいと短めです。「偽りの王(前編)」その漢の名は陶淵、字は清流という。宗王崩御の際に高岫の警備をしていて土砂崩れに巻き込まれ二十五人の小隊の内、生き残りは二人だけ。今一人は腰の骨が砕けて除隊してたので、ほとんど一人きりの生き残りとなった。右肘の腱を痛め、頭を打って意識不明になった程度だった。しかし、意識を取り戻したときにそれ以前の記憶をなくしていた。別人の意識に取って代わられたようなのだ。その別人とは隣国奏の公子、英清君利達のものらしい。けれども、そのことを他人に伝えることはおそらく呪で封じられていた。したがってこの事実を知るのは清流本人と、このことをなしたものだけであった。意識が別人となったとき、清流は州師の両司馬だった。兵は仙ではない。他の国では旅帥か卒長でなければ仙になれないが、巧では兵の数が不足してることもあり両司馬から仙になった。とはいえ、地仙の下士、最下級である。旅帥で漸く中士、州師の将で中大夫、王師の将なら卿になるのだ。仙といえば不老不死だと思われがちだが、完全に不老不死となるのは蓬山にいる天仙だけなのである。自由気ままに暮らす飛仙は上位のものでも数百年に一つ年をとるし、下位のものなら百年足らずで一つ年をとる。各国の官に当たる地仙の場合は三公諸侯の伯仙以上で百年に一つ、卿なら五十年、大夫なら二三十年、士は十年足らずで一つ年をとる。まぁ、十年足らずで一つと言っても傍目にはそんなに変わりなどわからないので、不老と思われているだけなのだ。不死の方で言うなら首斬られたり、胴を割られたりしたらまず助からないし、毒も効けば、気力が萎えれば衰弱死もある。魂魄を抜かれて生きていられるものなどもいない。そういった意味で少なくとも地仙は不老でも不死でもないのだ。とはいえ、それでも只人よりは長命だし、簡単に死ぬこともない。事故の際に清流が助かったのも下士という仙だったからとも思われていた。だから、ほとんど一人の生き残りであり、その両の長であってもこれといった処罰などはなかったのだ。まぁ、奏の荒民に対処するという大変な時期にヘタに処断してしまったら補充が利かないという理由もあったのだ。すべての部下を失い、肩書きだけは両司馬ながらほとんど単独行動することになった清流はそれまでのサボり癖が抜け、こまめに働いた。呑み助で酒癖が悪かったのもピタリと酒をやめたので評判もよくなった。目端が聞く奴との評価も上がっていた。奏の荒民に対する情報やそれへの対処に関する建言はいつも的を射ており、何時しか『清流の言うことなら信用できる』ということになっていた。これまでにも何度か奏の荒民と衝突が起きそうになっていたが、いずれも清流の建言で回避されていたのだ。奏の麒麟がいないことが公表され、巧の民ががっくりしているときも『二十年経てば自然と荒民は激減する』と励ましたりしていた。しかし、巧の民は二十年待つことができず、十五年目に奏の荒民との軋轢が強まり、その板挟みとなった王と麒麟が斃れてしまった。巧が危ういという情報がどこからか流れ、王や麒麟が斃れる前に奏の荒民は巧からかなりの数が移動していた。一部は奏に戻り、あるものたちは才に流れて王師などと激突し、また、船団を組んで舜や漣に向かったものもいた。このうち奏に戻ったものは無事だったが、才では多くのものが王師との激突で死傷し、奏に逃げ帰っていた。舜や漣に向かったものは虚海上でそれぞれの海の民と衝突し、ここでも多くの命が失われた。生き残ったものはどうやら雁や戴に逃れたらしい。戴に渡ったものは気候が違いすぎて病気に倒れ、死者も多く出ていた。唯一荒民の楽天地と思われた雁も子供が生まれないので結果として死を待つだけになり、厭世気分が蔓延していた。かつて正丁六百万人とも言われた奏だけど、僅か十五年で確実に半減しただろうし、これからも減り続けるだろう。王や麒麟がいない百年で正丁の数が微減に留まった芳とは大きな違いである。もしこのまま百年続いたら奏の民は十万人を切ってしまうかも知れない。そんなことを清流は考えていた。知りたくもない情報だけど、夜になると知らされるのだ。(達よ)「…何だ」(このままでは奏は滅びるな)「…そうし向けてる本人の癖に何を言う」(これは奏の民が勝手にしてることよ。予は数人に囁いているだけ。そのものがどうするかなど知らぬわ)「自分の思うように動くものに囁いているのだろうが。動かぬものには囁いておるまい。違うか?」(さて… 達はどうしたい)「宗果を蓬山に返してもらいたい」(ほぉ、それでことが済むと思うのか?)「少なくとも希望にはなる。麒麟がいれば王も選ばれる。王がいれば国は治まる。それだけのことだ」(じゃが、達よ、広めが刃向かった罰はどうする?誰かが代わりに償うか?)「あれは父や母、妹や私が…」(まだまだ足りぬの。もうしばらくは償いが続く)「…私が何かすれば償いになるのか?」(そうよのぉ… 己の手で奏を援けてやればいいであろ?)「それができればやっている!私は今巧の民だ。巧の民にいったい何ができるというのだ!」(民ではできぬの。されど、王ならば…)「バカな!奏の公子の魂魄を持ったものがなぜ巧の王になれるのだ!冗談も…」(…なれるとしたらどうする?)「え?」(巧の王にしてやろうかの?)「…何を考えている。…もしかしてお前は…」(それ以上は考えぬことよ。呪で封じてはあるが危ういの。己のことについて口外すれば呪が解け、魂魄が消えるぞ)「…それでも構わぬといったら?」(そうよの… 宗果がいついつまでも見つからぬことになるであろうな。お主のせいでな)「…ひ、卑怯な!」(なんとでも言うがよい。そうよの… 王となったらしばらくは見るだけにするかの。何もかも知っておってはつまらぬであろ?)「…もし王としての務めが果たせぬ時は麒麟は失道するのか?」(…わざとそうするつもりかの?下手なことをすれば宗果は…)「少なくとも奏のためになることをしようとすれば巧の官も民も反発するだろう。私は巧よりも奏のために動いてしまうだろう。これは巧の王としての務めに反するはずだ。それでも王にするのか?」(ふむ… まぁ、それでも構わぬ。奏と巧との板挟みで苦しむがよい。どれくらい耐えられるかの?)「…知らん!」清流が叫んだ拍子で眼が醒めたようだ。もう既にあの気配は消えている。忌まわしい奴めと毒づくが後の祭りである。清流の身体に利達の魂魄を押し込んだもの。慶の通部でも知りえないことを瞬時に知りえるもの。しかもかなり高度な呪を駆使でき、そのことがさも当然で誇ることさえしないもの。民など虫けら同然に思うもの。おおよその見当はついている。が、その名前を頭に思い浮かべることすら呪で封じられているようなのだ。自分の頭で考えたことを言葉にして口から出すことも、文字として書き残すことも封じられているみたいだ。この忌まわしい存在を雲散霧消することは容易いが、それによって宗果が永遠に戻らぬことになったら… 魂魄が利達である清流にとっては己のせいで奏の民がこれ以上苦しむことをしたくはなかった。