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2005年02月24日
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カテゴリ:読書案内(?)
ツーことで、昨日予告(?)した「亡国のイージス(その2)」ではなく、福井晴敏シリーズ(?)第4弾!「終戦のローレライ」です。まぁ、耽読して読み終わったからというのもありますが、(その2)になるとかなりのネタバレになるし、「ローレライ」のほうも来週には映画が公開になるって言うし… この「終戦のローレライ」って映画のために「第二次大戦と潜水艦と女を出すという三題噺のような条件を出されて」書かれたような作品ですが、2時間くらいの映画のためとはいえ原稿用紙で2800枚、文庫本4冊1700ページ近くもある作品ってどうなんでしょうね?登場人物一人一人について細やかに描写されているからですが、若干冗長な感じもあります<特に終章はもっと短いほうが切れが好いと思うんだけどなぁ… まぁ、映画のせいでかなり情報が流れていると思うんで、多少ネタバレも…(^^ゞ

1945年8月6日と9日にヒロシマとナガサキに原子爆弾が投下されました。この2発で戦争が終わったとされますが、3日ごとに1発投下されるならば、終戦の15日までにあと1回、12日に3発目の原子爆弾が投下されてもおかしくなかったでしょう。もし、3発目が投下されるならどこが標的になったのでしょうか?もし、3発目が投下されるはずだったなら、なぜ投下されなかったのでしょう?そもそもそんな計画なかったと歴史は語るでしょう。でも、歴史は実際にあったことをすべて語るわけではないのですから…

1945年7月、数ヶ月前に無条件降伏をしたドイツから一隻の潜水艦が日本を目指していた。連合国からシーゴースト(ドイツ語ならゼーガイスト)と呼ばれたUF4…戦時中に敵国から捕獲した4隻目の潜水艦…は艦首に20.3cm砲を持つと言うだけでなく、ソナーなしで潜航中の敵艦や海底の地形などを探知できる画期的なPsMB1、ローレライという通称を持つ装置を備えた小型潜水艇ナーバルを後部甲板に乗せている。連合国が「魔法の杖」と呼ぶローレライを手土産に同盟国に活路を見出そうとしていたのだが、連合国もローレライを狙っており「しつこいアメリカ人」と仇名されたアメリカの潜水艦・トリガーがUF4をずっと追尾していたのだ。そして、九州五島沖で、潜水艦の挟撃にあったUF4は1隻は撃沈したものの、その直後にローレライシステムが停止、残りの1隻に攻撃を受け、とにかく逃げるためにナーバルを切り捨てることにする。ナーバルの中に「彼女」を残したまま…

ローレライを廃棄してどうにか日本に辿り着いたUF4は帝国海軍に引き渡され、伊507…戦時中に他国から獲得した7隻目の潜水艦…という艦名に改められる。艦長に任命された絹見(まさみ)少佐は真珠湾攻撃に潜水艦艦長として参加した直後に海軍のエリートだった義弟が思想犯として摘発され自殺したために、潜水艦艦長職を解かれ、海軍学校の教師に左遷されていた人物だった。忸怩たる思いを胸に秘めながらも何もできない3年余りを過ごした後、海軍軍令部第一部第一課長の浅倉大佐に突然呼び出され、伊507の艦長に指名されたのだ。どうして?という疑問符を抱えながら、絹見少佐は伊507艦長となったのだ。

伊507の乗員にはどうやら「規格外」の者が選ばれたようだった。折笠征人もその一人だった。女郎の子供として辛い思いをして育った17歳の少年兵は類稀な潜水能力を買われ、特殊潜航艇の操縦士として卓抜した能力を持つ同じ年の清永とともに横須賀から呼び寄せられたのだった。具体的な任務については全く知らされず、着任地まで軍服を着用してはならないという隠密行動を取らされながら辿り着いた伊507…人間魚雷として特攻をするために呼び寄せられたと思い込んでいた征人たちに与えられた任務とは五島沖に沈むナーバルを回収するというものだった…

伊507には帝国海軍以外の人物も乗船していた。今は亡きドイツの親衛隊・SS将校であるフリッツ.S.エブナー少尉だ。父方の祖母が日本人だったせいか、その外見はまさしく日本人で、そのためにアーリア人至上主義のナチスドイツでは悲惨な眼に遭いながらも、「黄色いSS」という例外的な存在となったのは、ローレライと呼ばれるPsMB1にはドイツ国内では決して知られてはいけない秘密があり、その秘密を保持できるのがフリッツただ一人だったからだ。フリッツは内心の焦燥を押し隠しつつ、ナーバル回収を目指す。たとえ敵潜水艦が待ち伏せしていようとも、特殊潜水艇を乗っ取っても行かねばならない理由があったのだ。人質になった清永の命を救うために征人は水深50Mの海に潜る。敵潜水艦の攻撃を受け、特殊潜水艇ともはぐれ、酸素供給も断たれた状態で一人、ナーバルに辿り着いた征人は懐かしい調べを聴く。♪名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ…♪空気があるかもしれないという一縷の希望を抱いてナーバルの中に乗り込んだ征人が見たものは…

映画のホムペを見てみるとケッコウいろいろ書いてありまして、どうやら「黄色いSS」ことフリッツは映画には出てこないようです。SSの黒い制服に身を固め、ドイツ降伏後に伸ばし始めた長い髪にどこか人を寄せ付けぬ雰囲気ってキムタクかタッキーがやったら似合いそうだなって感じていたんですが、残念!(爆) ちなみに映画のストーリーと原作ではかなり違うから、ビックリですね。征人がナーバルを回収するシーンもないみたいだし… 浅倉大佐も「まとも」のような感じですからねぇ…<え? 原作では何を考えているのか分からないような人物として描かれていて、その類稀な頭脳と人脈を駆使して壮大な計画を練っており、「あるべき終戦の形」のためにローレライを活用しようとしているんですが、映画のストーリーを見るとその印象はまるで「正義の味方」ですからねぇ… 映画であればそうするしかないんだろうとは思うんですが…

で、映画の話は置いておいて、この本って戦争ってなんだろうって問いかけています。付和雷同して最終的には誰も責任を取ろうとしない日本人のありよう。もはや日本など相手にしていない終戦間際の、新たな「戦争」に向かった布石としてしか見られない日本という国。その国が今後どうあるべきか。そのために今何をすべきか。その答えはそれぞれが抱えるものによって異なるんでしょうね。人間としての一線を超えてしまいながらも生き抜いた人、肌の色の違いというとんでもない理由で受けた謂れのない仕打ちから逃れるために必死な人、虐げられながらもそれに耐え続けなければなかった人、思考停止してすべてを他人に委ねてしまった人… 何もかもが終戦という一点に向かいながらも敢えて目を逸らし、より悲惨な結末を呼び込んでしまった人々、それを企図した人々、それに抗って突き進む人々… そして万感の想いを込めて歌が流れる…

♪名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ…♪

この歌に込められた想いを胸に人々はどう生きてきたのだろうか?込められた想いに応えられていたか?まぁ、あっしからすれば上にも書いたように終章ってどうかなって思っちゃう。もっとコンパクトにしたほうがすんなり心に沁みたような気がするんですよね。まぁ、このあたりはあっしの持つ想いと作者の言わんとすることとの違いのせいじゃないかって気がしないでもありませんが、個人の記憶だから時系列が乱れているといえばそれまでですけど、行きつ戻りつするような概観ってのはどうかなって思うんですよね。それまでとのバランスでこうなったのかもしれませんが、あっしとしては気に入らないんですよね。とはいえ、それ以外は深みがあっていいと思うんですよね。かなり長い作品ですから、時間があるときにでもどうぞ(^o^)v





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最終更新日  2005年02月24日 14時29分11秒
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