NOB’s PAGE(別宅)

2006/05/16(火)12:31

真意はどこに?

想像の小箱(「十二」?)(345)

「春の予感(その2)」 二月初旬に乾城近くの港に上陸した呀孟と無病は春分までに往復できそうなので、恭国の首都連檣に向かうことにした。供王に挨拶をしておこうというのである。殆んど身一つで霜風宮を訪れた二人は供王の執務室に通された。慶と違い、才の官は才から出たことが殆んどなく、呀孟も無病も他国の王宮を訪ねるのは初めてのことで戸惑っている。供王の執務室には十二三歳くらいの少女と金色の髪をした青年、そして利発そうな女官らしき人物がいた。噂では聞いていたものの、実際に幼い外見の供王に会うと舌も戸惑ってしまうようだった。 「私は才の仮朝の長で、冢宰に任じております呀孟、これは私の補佐で侍郎をしておる、無病というものです。この度、才の里祠に麒麟旗が揚り、早速昇山せんと乾城に才の民が訪れております。私どもも才の民のひとりとして蓬山を目指すつもりです。城下をお騒がせしないよういたしますので、よろしくお願いいたします」 「ふぅん、あなたが長閑宮の仮朝を取りまとめているのね。言いたいことはいくらでもあるけど、とりあえず騒ぎは起さないでね。才にも令坤門があるけど、そこを訪れた荒民との悶着が高じて斃れたってもっぱらの噂よね。実際はどうだか知らないけど」 「そ、それは…」 「恭だって私が斃れたら才のお世話になるんだからお互い様だと思うけど、乾城での悶着は勘弁して欲しいわ。非がどちらにあるかを明確にして裁くよう秋官には命じてあるけど、どうしても荒民のほうが不利になることは覚えておいて。景王などはどこの民も同じだと言うけど、私にとっては恭の民が一番ですからね。そのことは忘れないように」 「は、はい」 「まぁ、お互い様ですから便宜は図りますわ。その代わり恭の民がそちらに行ったときはよろしくね」 「は、はい。承りました」 呀孟は冷や汗を流しながら供王に答えた。才国の二人が執務室から下がると傍らにいた供麒が苦言を呈した。 「主上、あからさまに身贔屓をすると仰ってはよろしくないのでは?」 「あら?どこがいけないの?恭まで来てわざわざ騒ぎを起さないように注意しただけじゃない。非がなければ咎めないわ」 「でもそのようには聞こえませんでしたが」 「ああ、桃香、この藁くず頭に説明してくれる?私は休ませて貰うわ」 供王はうんざりした顔でさっさと下がってしまう。残された供麒はもう一人執務室に残っている遣士の桃香の方を見た。才の二人は霜風宮の女官だと思ったようだが、供王も紹介もせずやり過ごしていた。桃香はにっこりと笑うと言った。 「荒民はついつい己が不幸であり、恵まれているものたちは自分たちのために手を貸してくれるものだと勘違いしやすいものです。恭の民は供王君の薫陶で荒民を虐げるような真似は決してしませんが、荒民が付け上がった態度を取ればはねつけるでしょう。それで悶着が起こってはかなわないと仰ったのでしょう。恭の民も我慢しているのだから、才の民も我慢してもらいたい、悶着を起したりして欲しくない、ということです。少し厳しく言っておけば我慢強くなってくれるでしょう」 「そういうものですか?曲解して主上を恨んだりとか…」 「供王君を恨んでどうだというのです?手の出しようなどないではないですか?」 「それはそうですが…」 「恭の民と才の民の悶着が起これば誰かを断罪しなければならなくなります。断罪される人がいないようにしたのですから、台輔の望まれる形になっているのではないですか?」 「そ、そういうことですか?」 「供王君は物言いが少し素直ではありませんから。私をここに残したのも台輔に理解して欲しいからではありませんか?供王君の気持ちを無にしてはいけませんわ」 「そ、そうですか?」 供麒は頬を赤らめている。が、一方、執務室から下がった才の二人も別の意味で頬が紅潮していた。もちろん霜風宮の中で声を荒げたりすることなどできないので我慢しているうちに、連檣の街に下りて舎館の房室に落ち着く頃には頭も冷えてきた。とはいえ、それは呀孟だけで、無病の方はまだ頭に血が上っているようだった。 「あれがホントに供王なんですか?」 「私はお会いするのは初めてだが、齢十二にして践祚なさったというのだから多分そうだろう」 「では、頭の中身も十二のままで?」 「無病、お前はあの外見に騙されていないか?もしあれを私のような外見のものが言ったらどう思う?」 「え?外見ですって?私は話の中身の方を…」 「よくよく考えてもみろ。昇山の民と悶着を起すなど才以外ではかつてなかったことだ。才でだって聞いたことはなかった。それくらいありえないことだ。それくらいはわかるよな?」 「あ、はい。昇山の民を傷つけたりすることは天が嫌うって…」 「なのに、才の民は昇山をする奏の民を襲ったりした。人死にが出た。ゆえに王は下手人を厳罰に処した。当然の措置だろう。他の国であっても当たり前のことだ。なのに才の民は奏の民にお咎めなしで才の民だけが処断されることに不満を持った。喧嘩両成敗、って思ったのだろう。けれども、発端もすべて才の匪賊が悪いのが明白だった」 「え?街の噂ではそんなことは…」 「事件当時の供述ではすべて才の匪賊に非があるというものしかなかった。それが処断された後にあれこれ噂が立った。根も葉もない噂だ。昇山を目指すものの荷を掠め取ろうとしたり、傷つけようとしたのはすべて才の匪賊なのに、しかも襲われたものは帰国後に死んでしまっているのに、あたかも極悪人であるかのような、才の民が被害者であるような流言蜚語が意図的に流された節がある。その噂が広まってあちこちで謀叛が起こり、やがて王が斃れたというわけだ。正しいことをした王の威信を傷つけるために誰かがそうしたのではないかとな」 「……」 「無病、お前はその噂を信じていたのか?混乱の最中に親兄弟を失ったからといって甘言に弄されては困るな」 「…噂は虚言だったのでしょうか?」 「間違いはない。私はすべての供述を見直したのだからな。けれど供述したものは消されていた」 「え?」 「噂が立ったあとで供述したものに再確認をしようとしたら誰一人として残っていなかった。おかしな話だろう?」 「は、はい」 「わからぬことが多すぎるのだ。しかし、供王が言ったのは恭の民からは手を出したりはしないという意味合いだろう。雁や巧でも昇山の民には親切にするのが当たり前になっている。敢えて悶着を起すものなどいないし、すぐに処断される。それほど厳しいものだ。その当たり前のことをした王を民が拒絶した才の民が馬鹿なことをするなと言いたかったのだろう。悶着を起せば恭の民を裁くのが普通だが、才の民が吹っかけたならばそちらを処断しなければならない。当たり前のことだな」 「は、はぁ…」 「納得しがたいか?それとも才の王がしたようにするからとでも言われたかったのか?」 「そ、それは…」 無病は返事に窮してしまった。無病とて昇山の民に危害を加えるのはいけないことだとわかっている。奏の民でなければ。どうしても奏の民のことになると冷静に対処できなくなる。無病の生まれた永湊の近くにある小さな廬は今はない。無病が生まれてすぐ混乱のうちに打ち捨てられ、揖寧の街に流れ着いてそこで育ったのである。親も兄弟も覚えていない。朱旌に売られなかったのが不思議なくらいである。たまたま里家の閭胥が無病の利発さを見抜き、上痒に行かせ、少学、大学も実力に運が味方して進むことができた。苦学の末に官吏になり、冢宰府侍郎にまでなった無病であるが、唯一奏のことになるとどうしようもなくなる。物心つくまでに染み付いたものなのかもしれない。絶句してしまった無病を見て、呀孟は苦笑する。 「無病、お前は才の民を一番に考えているのか?他国の民よりも勝っていると考えているのか?」 「…冢宰はそうお考えにならないのですか?」 「才の民のことを一番大事には思う。けれどもそれは才の民が他国の民よりも勝っているからじゃない。逆だな。下手をすると他国の民よりも劣っているかもしれないと思うからこそ、大事にしたいと思う」 「…どういうことですか、それは?」 「どこの国にだって匪賊はいる。良民だって多い。奏の民が匪賊だけで、才の民が良民だけだってわけじゃない。才の民でも奏の民でも匪賊が良民に害したら罰しなくてはならない。どっちがどっちでもな。そこが見えていない」 「…私がですか?」 「無病、お前だけでなく、才の民が皆そういう風に思ってはいないか?何もかも奏の民が悪い、才の民は悪くないって。これが他の国の話になったらどうなるんだ?恭の民は一切悪くなく、すべて才の民が悪いとか」 「……」 ここに来て漸く無病にも供王の言葉の意味が腑に落ちた。供王は才の民に怒っているのだ。まともな王を斃れさせた愚民を。そしてその愚民をまともに導けなかった仮朝の官たちに強烈な皮肉を言ったのだ。お前たちが王に求めたものはこれかと。最低限の礼儀は示し、なおかつ情けない官である呀孟や無病に己の非を感じさせようとしたのだろう。なのに、全く気付かなかった。これでは王が呆れ果てても文句は言えない。供王はキチンと詮議するといった。なのに、無病は理不尽だと感じた。その理不尽さはすべて前の采王に向けられたものだったのに… 無病は己の迂闊さに冷や汗が出てきた。 「冢宰、私は先ほどどのような顔をしていましたでしょうか?」 「供王の外見に惑わされていたことに気付いたか?」 「はい、汗顔の至りです」 「安心しろ、私も似たようなものだ。一つや二つ非が増えたところで大差あるまい。あの場では気づかなくても、結果として気付いたのだから供王も気にはすまいよ。明日にも乾城に戻り、民を見守らなくてはな」 「はい」 明朝早く二人は連檣を発ち、乾城に向かった。乾城では懸念されたような悶着などなく、平穏そのもので春分を待っていた。乾城に来た才の民はざっと二百人くらいだろうか。仮朝の官は呀孟と無病の二人。州侯やその配下のものが殆んどだった。呀孟と無病は従者を連れてきていないが、剛氏は二人ほど雇うことにした。旅慣れていないものを引き連れていくのは理にあわないと思ったからでもあるし、万が一の時に巻き添えにするのは忍びないと思ったからでもある。剛氏であればいざという時に自分のことくらいは守れるだろう。呀孟の心は春分を前に澄み切っていた。

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