槙羅ってこういう人だったのね
ツーことで槙羅です。見込みがあるってことで思いっきり勝手な設定にしました。麦州の生まれで松塾を目指しながら焼き討ちで叶わず、桓堆の軍に馳せ参じて拓峰にも行って目の前で「あの場面」を見たことにしちゃいました。それに感動したのか勉学をしなおして官吏になったという、ちょいと回り道をした分、人間的に一回り大きくなっているのではないかと… 槙羅が活躍するのはまだ先になると思うんですが、名前だけはよく出てくるのでついつい書いちゃいました(^^ゞ で、「お篭り」明けなんで、レスと巡回は一眠りしてからにしますね(^^ゞ ではおやすみなさい(-_-)zzz「麦州からの風」叡碧、字を槙羅という。赤楽十三年に慶国に探花で上士任官、すぐに楽俊という無任所の上大夫の下に配属された。昨年雁の官吏を辞めて慶にやってきたというこの上大夫は半獣だという。実際配属されて最初の仕事では鼠の姿だった。その姿で慶の隣にある巧の国を巡るという旅を引率したのだった。その二年ほど前に践祚した高王は初勅で海客を追放した。そして本来目出度い色であり、景王の髪の色から慶では貴色とされる赤に替わって黄を貴色にしたという。五行では、黄は赤すなわち火に取って代わる土の色であり、「慶を倒してやる」という意思表示でもある。しかも、海客だけでなく半獣も巧では疎まれているようで、上大夫と一緒にいると白い眼で見られることもしばしばだった。けれども当の上大夫は極めてのんびりしたもので、白い眼で見られようが陽気に民人に話しかけたりしていた。旌券は雁のものを用意してあったので、上大夫と離れていさえすれば何事もなかったように過ごせたのも事実だ。とはいえ、こんな容易に雁の旌券が手に入るものなのだろうか?上大夫が雁の官吏だったからなのか?何とはなしに不思議なものを槙羅は感じていた。そして昨年上大夫とともに任官した夕暉という漢。夕暉は槙羅のことを憶えていないようだったが、槙羅は夕暉のことを憶えていた。もう十一年も前のことである。槙羅は麦州産県支松の生まれだ。支松は達王の頃は支錦と呼ばれていたらしい。ここから老松と呼ばれる飛仙が出た。それにちなんで支松と名が変えられたといわれている。この老松、氏名を乙悦といったそうだが、ここに松塾を作った。松塾とは義塾である。知識ではなく道を教えるのだ。当時の麦州侯は松塾の出身といわれていた。麦州侯は予王の時代に女性を国外追放する勅令が出たときにのらりくらりと引き伸ばしをして、女性を州内に留めたそうだ。これもまた、松塾で道を学んだお蔭ではないかと、槙羅の父親は言っていた。槙羅もまた松塾を目指した。しかし、槙羅が門を叩こうとする寸前に松塾は何者かに焼き討ちされ、教師がほとんど殺されてしまった。それは丁度予王崩御、舒栄の乱という混乱と相前後しており、槙羅もまた麦州侯のもとに参じて麦州師に入った。ところが、舒栄を滅ぼし、新王が践祚すると麦州侯が更迭されてしまった。当時の冢宰靖共の謀略だった。麦州侯は大逆の汚名を着せられ、国外追放となる寸前で逃亡し、槙羅は州師将軍青辛・桓堆の義兵に身を投じた。そして和州の乱では明郭から拓峰へと支援に行き、そこで拓峰の殊恩党の知恵袋であった夕暉を見たのであった。あの乱は不思議な展開をしたものだった。和州侯や止水郷長へ叛旗を翻した一団に景王が参加していたのだ。和州師だけでなく王師すらも拓峰を包囲するところへ神獣麒麟に跨った緋色の髪をなびかせた少女が降り立った。まるで朱旌の演じる小説が目の前でやられているのかと眼をこすったりもした。槙羅は午門にいたのだ。玉座は血をもって購えとは誰の言だっただろうか。血を厭う麒麟に血塗れで跨るとはなんという王だろうと思った。それほどまでに危うい勝利だったのかもしれない。勝てば官軍とはこのことだったのかもしれない。叛旗を掲げた一団がいつの間にか義賊となっていた。王の手足だったことにされて、お咎めはなかった。変な気がした。槙羅は桓堆に従って一時的に禁軍に組み込まれることになったが、間も無くこれを辞した。麦州に戻り、少学に入りなおし、やがて堯天の大学に進むことができた。混乱で勉強できなかった遅れも取り戻した。とはいえ、夕暉のように秀才として名前が挙がるには時間がかかった。探花にまでなったのは努力のおかげだった。槙羅はいつの間にか三十を過ぎていた。しかし、大学卒業にはそんなに遅いほうではないはずだ。夕暉が早すぎるのだ。その夕暉は一年先輩として上大夫の補佐をしている。元からの差もあるが、一年でさらに開いた気がする。和州の乱を成功に導いた秀才・夕暉を凌駕しようということ自体がおこがましいことだというのはわかっている。しかし、その夕暉でさえ足下に及ばないという半獣の上大夫とは一体何者なのだ?噂ではとてつもない強運の持ち主だとも言われている。景王も明郭で一緒だった祥瓊さんも世話になったという。慶だけでなく、雁、戴、恭、奏などの王や台輔とも知己があるとも言われている。不思議な人だ。その人に一年余り扱かれた。寝る間も惜しんであれやこれやと走り回り、見聞し、考えまくった。それでも自分が一体何をしているのかすら見えていなかった。同期の二人のこともどうでもよかった。愚痴を言い合う暇があるなら自分なりに考えをまとめて具申書を一枚でも多く書くことしか考えていなかった。今年任官してきた三人を見て初々しいなと感じたのは自分がすれたせいなのか、成長したお蔭なのか?「王の道」も二度目になるといろいろと見えてくるものがある。民人や衛士の様子などもどこか刺々しい。雁の旌券で入り込んでいるとはいえ、引率は相変わらずの鼠で、今年は愛想笑いも向けてもらえていない。さすがに拙いと感じたのか阿岸を過ぎてからは鼠の姿は辞めて人形で過ごすようになっていた。その後巧から奏へ向かい、奏の首都隆洽につくと上大夫は槙羅以外のものを夕暉に任せて才に向かわせたのだ。槙羅は自分ひとりが残されたのかわかっていない。上大夫は奏についた時点で青鳥を飛ばしていたようだった。隆洽の舎館に落ち着いた翌日には迎えが来た。そう、清漢宮から。秋官府への挨拶かと思ったが、違っていた。案内についていくとどこまでも上に向かう。やがて出たところは凌雲山の上だった。清漢宮である。しかも、その後宮にあたる典章殿にまで連れて行かれた。目の前には宗王とその一族、そして宗麟がいた。上大夫は一体何を考えているんだ!完全に舞い上がっている槙羅を他所に話は進んでいるようだった。「楽俊殿久しいな… で、今度つれてきたのは前とは違うように思うが?」「はい、昨年探花で任官しました槙羅と申します。なにぶん慶は制度の整わぬ国ですので奏で学ばせていただければと」「ほぉ、奏の制度を学ぶとな… 探花であればもはや学ぶこともあるまいに…」「いえいえ、高々慶での探花、奏や雁とは比べ物にはなりませぬ。井の中の蛙に過ぎません」「なるほど、雁の状元殿が言うのなら間違いはなかろう… 利広、どうじゃ?」「はい、楽俊君は一昨年奏に来たときも保翠院やら荒民対策やらについてあれこれ調査していました。雁や恭のことについても詳しいのになお奏についても綿密に調査し、より好いものを慶に取り入れるつもりでしょう。それも自分一人が知っているだけではダメだと後進を育てようと頑張っているみたいですね。ひいては奏だけでなく、すべての国に通じようということだと私は見ますが」「ふむ、すべての国にの… 手始めに奏ということか… 雁は熟知しているので後でもよいし、隣ならすぐにいける、か」ふと気がつくとどうやら自分のことを話しているらしい。しかも宗王とだ。どうやら自分は奏に派遣されるようだ。奏は治世六百余年の大国である。それに対してわが慶は高々十余年。まだまだこれからの国といえよう。慶の隣国の雁も治世五百余年の大国であり、こちらは上大夫が伺候していたので熟知しているのだろう。となれば奏に派遣されるのは判らぬでもないが、なぜ自分が?そしてなぜ宗王とこのような話を?舎館に帰ると上大夫からイロイロ話を聞かされた。「さて槙羅、君には来春からこの隆洽で勉学に励んでもらう…表向きはね」「…ということは裏が?」「そう、只勉強するだけなら書物を読めばそれで済む。諸国の制度についても詳しく書かれているものもある。でも、そこには書かれていないものもある。例えば先ほど話に出た巧の半獣追放令の噂とかね」「書物に書かれる前のまだ他国には洩れていないようなことを知れということですか?」「そういうことだね。とはいえ、それでその国に付け入ろうというのではない。単なる先憂後楽に過ぎない」「先憂後楽、ですか?」「そうだ。こちらは基本的に相互不干渉を貫いている。ヘタに他国に踏み入れば「覿面の罪」に問われかねない。一歩たりとも他国の土地を占有してはいけないそうだ。唯一の例外がその国の王の要請があるときで、偽王の乱で延王の援けが借りられたのもこのお蔭だ。我々は派遣された国のためになることをする。それが結果として慶のためにもなるってだけだ。奏に君を派遣するのは巧の情報が手に入りやすいからだ。今後は慶からは巧の様子がわかりにくくなるだろう。でも、だからといって巧に介入しようというのではない。巧で起きたことで慶に影響が出ることを予測し、対処するだけだ。もし巧が斃れ、荒民がでた時にどうすればよいかなど、予め知っておれば慌てふためくこともないからな」「では、巧は危ういと…」「そうは言っていない。高王は践祚なさってまだ三年しか経っていない。斃れて欲しくなどない。だが、常にそれに備えておかねばいけないということだ。備えを怠れば慶も危ないからな」「…は、はい」「来春までに一人でどうにかできるようになってくれ。当分こちらにまわす余裕はないと思うからな」「そうなんですか?」「ああ、いろいろあってな。いずれは奏以外にも派遣したいとも思っているし」「それにしても…」「ん、なんだ?」「なぜ私なんですか?」「ああ、イロイロ見てて適任だと思ったんだ。具申書にしてもそれぞれ眼の付け所が違うしな。それに冢宰殿の意見もあった」「え?」「冢宰殿は前の麦州侯だ。槙羅は麦州の生まれで、和州の乱にも参加している。そのまま禁軍にも入れたはずだ。それが麦州に戻って少学に入りなおし、大学を経て探花にまでなっている。なかなか出来るもんじゃない。そうまでして官吏になったのだから、見所もあるだろうし、胆力もあるだろう。我慢することも知っている。いきなり外に出しても失敗を恐れず頑張るだろうし、失敗してもへこたれないし、第一失敗しないだろう。大胆だけど慎重さも兼ね備えているに違いないってな。かなり高く評価されていたぞ」「そ、そんな…」「考えても見ろ、和州の乱の前に舎館の親父だった虎嘯が今じゃ大僕だ。あの功績で偉くなろうと思えばできたはずだ。たとえ遠回りになろうとも筋をキッチリ通すような槙羅だから評価されるんだ」「そうなんですか」「とはいえ、ひとり立ちにはちょいと早い気がしないでもない。来春まではキッチリ扱かせてもらうからな」「は、はい」そしてこの春から清漢宮の秋官府で過ごすことになった。隆洽山の麓にある大学に潜り込むこともある。ここの書庫に篭ってあれこれ調べものをしたりもするし、学生と顔見知りになったりもする。ここの学生は将来の清漢宮の官吏の卵なのだ。いずれこの知己が役に立つことがあるかもしれない。そして、なぜかちょくちょくそばに現れるのがこの国の公子卓郎君こと利広である。初めのうちは緊張してどうしたら好いのかわからなかったが、そのうちなれた。半年もしないうちに街の酒楼で呑む仲になった。利広は気安さの中にどこかヒヤリとするものを持っているような気がする。それが何なのか槙羅にはまだわからない。そして今日もまた槙羅は隆洽の街で己のなすべきことをするのだった。