|
カテゴリ:管理人日記
野生化したインコ?が、お出迎え。久しぶりに東京大学に行ってきました。安田講堂を見物し、学食へ。営業時間が長い!メニューも豊富。ご馳走様でした!さすが、東京大学!撮影日: 2020年3月13日(金) 東大安田講堂事件(東大安田講堂攻防戦)は、全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。 [大学側] ・加藤一郎 - 東京大学総長代行。のち、総長に就任。 ・大内力 - 経済学部長、東京大学総長代行代理。 ・向坊隆 - 工学部長、執行部員。のち、総長に就任。 ・平野龍一 - 法学部長、執行部員。のち、総長に就任。 ・藤木英雄 - 法学部教授、執行部員。 ・林健太郎 - 文学部長、執行部員。1968年11月4日から11月12日まで全共闘に監禁され事件となった(林健太郎監禁事件)。のち総長に就任。 ・小林隆 - 医学部長。 [学生側] ・山本義隆 - 東大全学共闘会議議長。現駿台予備学校物理科講師。 ・今井澄 - 安田講堂防衛隊長。のち、参議院議員(社会党→民主党)。 ・米田隆介 - 安田講堂守備隊長。明治大学生。 ・瀧澤征宏 - 工学部列品館防衛隊長。明治大学生。 ・鈴木正文 - 慶應義塾大学生。現・新潮社発行「ENGINE」編集長。 ・若尾光俊 - 慶應義塾大学生。東大紛争中に旧友の海江田万里と再会。のちにその秘書。 ・島泰三 - 本郷学生隊長。現在は類人猿研究者。 ・仙谷由人 - 立て篭もりには加わらず、立て篭もり学生らを支援する「弁当運び」をしていたとされる。のち弁護士、衆議院議員(社会党→民主党)、第78代内閣官房長官。 ・町村信孝 - ノンポリの学生グループに所属し、この紛争の激化を止めるように行動したが警察が介入する事態に至り東大構内から撤収する。のち、衆議院議員、外務大臣、第75代内閣官房長官、衆議院議長。 [警察側] ・後藤田正晴 - 警察庁次長。のち、警察庁長官、内閣官房長官、副総理兼法務大臣 ・秦野章 - 最高警備本部長(最高責任者)、警視総監。のち、法務大臣 ・下稲葉耕吉 - 最高警備本部幕僚長兼総合警備本部長(現場指揮担当)、警視庁警備部長、警視長。のち、警視総監、法務大臣。 ・佐々淳行 - 総合警備本部幕僚長(現場指揮担当)、警視庁警備部警備第一課長、警視正。のち、あさま山荘事件警備において、総括・警備実施・広報担当の幕僚長を務める。のち、防衛施設庁長官、初代内閣安全保障室長。 ・石川三郎 - 第一機動隊長。警視。のち、あさま山荘事件警備の際、統括指揮を担当 ・宇田川信一 - 警視庁警備部警備第一課課長代理(現場情報担当)。のち、あさま山荘事件警備の際、コンバット・チームを指揮。のち、警視庁警察学校長。 ・小林茂之 - 警視庁警備部警備第一課課長代理(機動隊連絡担当官)。のち、あさま山荘事件警備の際、特科車輌隊長。 ・楢島文穂 - 現場警備本部長(現場指揮担当)、本富士警察署長、警視。 ・細井為行 - 第五機動隊中隊長。のち、弁護士。 時計台放送の最後のメッセージ「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します」
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年08月31日 18時29分53秒
コメント(0) | コメントを書く
[管理人日記] カテゴリの最新記事
|