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禍福はあざなえる繩の如く

禍福はあざなえる繩の如く

人生は波の如く・・・

これは本当にあったお話です。

今から、私が実際に体験したお話をしましょう。

*** *** ***

今から8年前、時は2001年 6月

私は、オーストラリアへ30日の独り旅をしてきました。

そこでブーメランと出合い、ブーメランの魅力に取り憑かれました。


厳密に言えば、オーストラリアで

ブーメランを投げることを目的に行った訳なのですが、

現地で買ったブーメランですら、戻ることは無かったのです。


日本に帰って・・・むしろ謎は深まりました。

 何故、ブーメランは戻ってくるのだろうか?

 果たして本当に戻ってくるものなのだろうか?


頭では「ブーメランは戻ってくるもの」理解していても、

実際にこの眼で戻ってきたところを見たことがありません。

その事実に気が付きました。


 インターネットで日本ブーメラン協会の

メンバーの方と知り合い、彼らとの知識の情報交換によって、

遂に手作りのブーメランを戻すことに成功しました。


 それが、2002年の春です。

実にブーメランを作り始めて半年も経っていました。


 何故、ブーメランが戻ってこないのか・・・


それは、ブーメランに原因があるのではなく

投げ方に問題があったのです。

半年もの間、私はずっと間違った投げ方をしていたのです。


 改めて、初期の頃に作ったブーメランを、

正しい形で投げてみると、ちゃんと戻ってくるのです。


 なんだ・・・きちんと戻ってくるじゃないか・・・

 ずっと、投げ方が悪かったんだ。

 ブーメランの作り方が悪かった訳ではないんだ。


ところが、オーストラリアで買ってきた

お土産のブーメランは、正しい投げ方をしても

やはり戻っては来ませんでした。


 そうか、作りの悪いブーメランも中にはあるのだな。


私は、ある境地に立っているような錯覚に陥りました。


話は前後しますが、

2001年7月のある日

私は『静岡ブーメランの会』を設立することを思いつきました。

 ブーメランに興味のある方は、絶対にアクセスしてくるに違いない

と絶対的な確信をもって・・・ 

 
たった数回自分のところに戻ってきた

というそれだけ慢心になった私は、この理由だけで、

日本ブーメラン協会の主催する競技会に参加しようと思い立ちました。

それも、ジャパンカップという全国大会に


 意気揚々と大会に臨んだ私の前に待っていたのは、

私のイメージした世界とは全く異なる世界が待っていました。


 ブーメランは、戻ってきて当たり前。

 キャッチして当たり前。


どうにかこうにか戻ってくるような私のレベルからすれば、

そんな世界は夢をみているような感じでした。


 正に、目から鱗が落ちた瞬間でした。

 今まで、私がして来たことは一体なんだったのか・・・


競技者の皆が、すごい存在に見えました。


 その夜、懇親会があり、

見知らぬ私を皆が、やさしく迎え入れてくれました。


 あぁ、なんて素敵な人たちなのだろう・・・


私は、忘れてかけていた海外の雰囲気をそこに見出したのでした。


 それ以来、私はブーメランの普及に人生を賭けたと言っても

過言ではない? そう心に決めたのです。


 それが、2002年の9月群馬県で開催されたJapanCupでした。


その後、自分なりにがんばって、

ブーメランの普及を試みるも、まったく無しのつぶて

 私が独り、盛り上げれば盛り上がるほど、

周囲の人が引いていくそんな気がしました。


 こんなに謎めいて、しかも、

 体全身を使って楽しめるスポーツなんてそうそうない


私は、なんとしてでも、ブーメランの楽しさを皆に伝えたかった。

HPへのアクセスは、私の意に反して、なかなか増えることはなく・・・

というより、ほとんど皆無に等しかったのです。


7年間、全力疾走でがんばってはみたものの

・・・遂にその気力も体力も萎えてしまった。


 バーベキューの炭に例えるなら、

後半の3年間は、正に燻り続けていた。

 
もし一度、風が吹けば直ぐにも再燃できる状況でしたが、

しかし、遂ぞ一度として風が吹くことはありませんでした。


むしろ、風は逆風で、

 2006年旭川で世界大会が開催された時、

日本の競技者のほぼ全員が参加を約束されたその大会で、

私だけが、病気を理由に参加を断念せざるを得なかったのす。

そのときの挫折感と悲しみといったら・・・


私のブーメランに対する情熱は、急速に冷めつつありました。

2007年の冬に、傷心の私に

更なる追い討ちをかける風が吹きました。


私の夢は、2009年4月1日をもって、完全に潰えたのであります。

私は自らの意志で『静岡ブーメランの会』を閉会しました。

 *** *** ***

それから、わずか5ヶ月。

私の願いとは裏腹に、向こうから波が押し寄せてきました。


「ブーメランの指導を是非、たのめないだろうか?」と再三の要請・・・


私はその都度、

「やる気がなくなった。

 もはや普及する意味さえ見失った」と冷たく答えてきました。


しかし、地元での開催だという話を聞かされたとき、


 それならば、事情は、また変ってくると、

私は、自分の主張を撤回しました。


 郷土に対して、何らかの貢献をしたいとずっと考えていた私。

 地元で・・・他人にできず、私に唯一できることといえば、

 ブーメランぐらいしかないのだから


そして、迎えた2009年10月17・18日

 『第一回 富士山スカイドリームス』開催

私は「日本ブーメラン協会」の担当として、このイベントに参加しました。


 この2001年7月以来、ずっと頭にあった

 ブーメランの楽しさを多くの人に伝えたい

 そして、その楽しさを共有したい。

 その夢が、叶った瞬間でした。


*** *** ***

 人生というには、8年と言う年月は短いわけですが、

何事にも、万事順調に行くわけではありません。

良いこともあれば、悪いこともあります。


 もし、私が、ブーメランを皆に伝えたい!

そんな想いを抱いていなかったら、

何も波は起こらなかったでしょう。

むしろ、私が独り高く高く舞い上がったからこそ、

完全に水面下に埋没した時の、

周囲の波を引き寄せる原動になったのではないだろうか

・・・そう思えるようになりました。


 そう都合よく解釈すれば、

一度きっぱり諦め、埋没したことが、転機を呼んだのだと言えます。


人生に長いとか、短いとかありますが、

大切なのは人として、如何に生きたかではないでしょうか?

いろいろ悩みもしたし、大病もしました。

仲間との論争や、仲たがいして嫌な思い出もあります。

それでも、楽しかったことの方が多かったかなぁ・・・


改めて・・・心機一転、ブーメランの普及にがんばってみようかな?

今は、そんな風に考えることができるようになりました。

*** *** ***

波はいつか、必ずやってくる。

いつ来るか、それは計りようもない。

できれば、諦めないほうがいい。

けれど諦めたってもいい。

次に波がやってきたときに、

柔らかな自由な志を持っていれば、

再び波に乗れるのだ。 

   ***

かの有名な二宮金次郎さんの言葉の中に、

次のような話が伝わっています。


 『お風呂の中で、手で水を奥にやってみよ。

  すれば、回りから水が返ってくる。

  これが、自然の通りなのだよ。』


そう金次郎さんは衆民に説いていたそうです。

 この諭す意味は、水を得ようと自分の所に押し寄せても

 むしろ、脇から逃れて行ってしまう。

 水を集めたければ、逆に押しやればいい。

 すると、水は周りから自然と集まってくると言っているのです。


お金も、自分自身に使うと直ぐに無くなってしまうが、

他人に施すことで、いつか何らかの形で返ってくるものである。


 私のブーメラン体験を当てはめれば、

 さざ波が立つ程度の無力に等しい力だったけれども、

 波を送り続けてきたこの8年間。

 その押し出す力も、遂に尽き果ててしまった・・・

 そしたら、向こう側から大挙して大波がやってきた。

 正にそんな感じです。


私は、自分の能力や秘密を出し惜しみする気はさらさらありません。

むしろ、知っていることは、全部教えてあげたいし、

私が、体験し知り得た情報も、できるかぎり伝えたい。


それは、いつか何か形を変えて返って来るということを

知っていて期待しているからではなく、

以前、私が国内外を独り旅をしていたとき、

いろいろな方々にお世話になりました。

その時々で、お礼はしてきましたが、

至らない点が多いように感じています。

何らかの形で、彼ら彼女らに恩返しがしたいのです。

いつの日にか、彼ら彼女らの元に、私の願いが届くように・・・

ありがとうの感謝の気持ちが、形を変えて。


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