『愛と死』評論によれば、武者小路実篤の代表的な作品の中の一つだそうだ。どうして、突然、武者小路実篤さんなんかに 興味をもったかって? それは、09年12月17日、 湯治と一人打上げ兼ね、 伊豆の国市の伊豆長岡温泉宿「いずみ荘」に泊ったことにあります。 何軒か候補のある宿の内、何処の温泉にしようか?と選んでいる際に、 文豪にゆかりの温泉宿って?どんな雰囲気なのだろう、 と俄かに興味を覚えたからなのです。 本は、比較的読むほうですが、 純文学のジャンルは正直読んだことがありません。 学生時代の課題図書でも、まず読まなかったですね。 ともあれ、私もそれなりに年を取って来たので、 それらしい本を読もうかな・・・と思ったしだい。 温泉に浸かり、あがったら、ゆっくり読書する。 ・・・豊かな時間。 そんな妄想を描いての宿泊でした。 しかし、現実は、お湯がとても良くって、 とてもとても本を読む時間を作れませんでした。 いずみ荘には、小さな個室風呂と露天のついた大風呂があり、 温泉めぐりをして、あっという間に時間も経ってしまったのです。 ともあれ、せっかく、こちらまで出向いたのだし、 一人打ち上げでは、どこか、ツマラナイ。 いつもは一緒に飲めない彼と、 このような機会でないと伴に飲めないなと 彼に、飲み+宿泊の誘いの電話を掛けました。 「今、いずみ荘に来てるのだけれど、来ない?」と けれど、彼は 「もう、裾野まで来てしまったので・・」と 唯一、泊込みで一緒に飲む機会を失ってしまった私。 仕方なしに、閑古鳥なくうら寂しい温泉街を後に 煌々と明かりの灯る24時間のスーパーに行き、 つまみとアルコール類を調達したしだい。 一人、しんみりと打上げをしたのです。 *** *** *** 2010年、新年が明けた1日の午後、 組の新年会で良い感じで酔った兄が 明日スキーに行くというので、 『捨ててきてもいいようなマンガ本を買いたいから B○○K○FFに行ってくれないか?』との頼み事で 本屋に行くことにしました。 そこで、ふと、武者小路実篤を思い出したのです。 ありましたありました。 なんと、1冊100円! 2冊で200円。 しかも、兄が購入して100円割引チケットを入手。 私は、2冊100円で本を手に入れました。 新潮文庫の「友情」と「愛と死」 私と友と重なるキーワードなタイトル。 家に着くなり、「友情」から読み始めした。 正直、最近の文庫小説の厚さの半分しかないので、 直ぐに読み終わってしまい・・・、 内容も私のイメージからして極ありふれた内容に思えたのです。 どこが良いのか・・・わからない けれど、大正時代にあって革新的だった作品という 評論を読んで納得したという経緯があります。 続いて「愛と死」を読み始めたわけですが、 私が近年親しく接している友は、 3年前に彼女を亡くして、かなり落ち込んでいました。 その苦悩の姿を私はずっと見てきたので、 私なりに元気づけてきました。 そして、この『愛と死』を読んで 彼に今一度、考え見直してはどうかと・・・薦めるつもりでいたのです。 3日、2週間ぶりぐらいに彼の携帯に電話を掛けた私。 しかし、つながることはありませんでした。 4日、彼のお母さんから、「彼が2日に亡くなった」ことを知らされました。 *** *** *** 『事実は、小説よりも奇なり』と良く言われますが、 これは本当に、起きてしまったのでした。 私は、09年末、彼と何時連絡を取り合ったのか? 最後にカラオケに行ったのは何時だったのか? を冷静に、解析を始めました。 何故、彼がその選択を選んでしまったのか・・・ 私にはその物証か、客観的に帰結する彼の行動を明らかにしたくなったのです。 それには、まず、私と彼が、最後に会ったのは何時か? また、最後に(携帯で)話したのは何時か?という物証を 取らねばなりませんでした。 どうして、わざわざそう書かざるを得ないかというと・・・ 1、記憶を辿ると、妙に思い出せない点がある 2、携帯電話の記録に不自然な点がある ということなのです。 少なくとも、いずみ荘に宿泊した日までの 携帯の記録(着信・通話)は、残っているのですが、 19日以降の記録が不自然に抜けているのです。 19日にカラオケに行ったことは、某カラオケ曲発信サイトに 個人ページを登録していたことから、裏が取れました。 そして、その日、奇妙な事が起きたことを、私は覚えています。 |