短調に感性がない
ロマン派のつくったような悲しい音楽、今の音楽においてその叙情はなかなかなく、質の高い叙情的な短調の音楽が聴けるのは、ドラマの付随音楽だけだと思います。代表的なところでは、「ドクターX」の沢田完氏、「相棒」の池頼広氏、「教場」の佐藤直紀氏です。ジャンルレスになっている音楽の授業で、シリアスな短調の音楽を真摯に取り組み、音楽と情感の機微を識ることはもはやなく、ひたすら音楽は楽しいものになりました。演奏する側においても合わせる楽しさから、短調の音楽を皆で高めるのは少々バツが悪く、知的であっても盛り上がらないのでしょう。この30年の間に人の感性は偏りました。沈黙に耐えられない稚拙な日本人は、日常どこに行っても音楽に囲まれています。西洋では音楽は表現意図を感じさせますが、日本の場合は殆どが意味のないBGMです。テレビの報道番組のVTRの音楽がそれで、明るい話題には編集者のイメージがわかる、相応の音楽がついていますが、死傷事故では適当な音しかついていません。人が亡くなっている事故にも関わらず、軽んじて考えているからかと思いましたが、そうではなく編集者がイメージできない、深刻で悲しい音楽のイメージがないのです。だからと言って適当な音を付けるのは、事故に遭った当事者に失礼だと思います。それでも皇族や動物のニュースには、効果音まで入れてイメージを投入しています。ノンフィクションにBGMは本来不要です。編集者の演出は要らないからです。ノンフィクションをどう受け止めるかは、視聴者が決めることだと思います。自分の趣味で音を付けるのはよくありません。しかしVTRに音を付けることが業務に含まれ、それが商品価値になるためだと思われます。編集者が普段ポップスしか聞かないのでは、ニュース動画の編集には向いていません。選曲の才能に秀でたスタッフが行うべきです。動画に妥当なイメージで良い選曲をする番組、常にBGMが繋がれて演出効果が高いのは、テレビ朝日の30分番組「食彩の王国」です。つい先日1,000回を迎えました。最近まったく興味がそそられない長寿番組、「題名のない音楽会」の前に位置していて、音楽には映像にぴったりの選曲がなされ、何よりも制作者のセンスの良さを感じます。若者は自分の感覚を信じて音楽に接しますが、殆どは前時代に現れたものなのに認識がなく、音楽の質すらも下がっていることに気づかず、自分の趣味を押し付けるので困ったものです。